12月8日(木)晴れ。今日は私が希望していた知覧に行く日です。知覧へはバスで行きました。昨日の登山の疲れが残り、私は足が筋肉通でした。2人とも行きのバスの中では眠ってました。バスは眠れて良いですね。終点の特攻観音入口で降りて、最初に特攻平和会館を見学しました。特攻隊員たちの顔写真と遺書、軍服、飛行機、遺品などがたくさん展示されていました。じっくり読んでいたら、かなり時間がかかりますが、どの人もとても達筆だったのに驚きました。死を目前にしていたのに字が乱れていないのです。すごいなぁと思いました。中に自由主義だったと思われる人の遺書がありました。夫によると「映像の世紀」で紹介された人の遺書だそうです。特攻隊員が出撃の前に泊まった三角兵舎の復元された建物も見学しました。2人とも平和の鐘をついてきました。
バスを待つ間にちらん食堂で、黒豚ラーメンでお昼をすませ、その後、バスで武家屋敷へ移動しました。最初に軍の指定食堂だった富屋食堂に行きました。特攻の母と呼ばれるようになった鳥浜トメさんの資料館で、ほたる館と名付けられています。多くの若者たちを特攻隊という死の出撃に見送ったトメさんは、戦後もこの悲しい若者たちを忘れてはならないと真実を語りづつけ、時の町長に働きかけて平和観音を建立し、参拝を続けたという。ここでも多くの兵士たちの写真やエピソード、トメさんの手紙などを読みました。死んだらここに蛍になって帰ってくるといい、出撃した翌日の夜、本当に大きなゲンジボタルが食堂の梁にとまったという話や、朝鮮人でありながら特攻隊員になった人がアリランを歌った話など、今の私たちからは考えられない極限状況に置かれた人たちの実話が残されていました。
その後、7つの武家屋敷庭園を見学しました。庭を見学に解放しているお宅だけでなく、武家屋敷街の生垣の剪定が定規で測ったように、まっすぐに垂直に刈り込まれ、すごかったです。
七つの庭園が解放されていましたが、どのお宅も現在お住まいのようでした。手入れが大変でしょうね。草一本生えていないです。
バスでまた鹿児島市に戻り、夕飯はネットとグルメ冊子で見つけた「赤衛門」という藁焼きの店に行きました。
鰹の塩たたきや鶏のたたき、カキフライ、豆腐サラダなどを食べました。ここでは焼酎を飲みました。私は女王蜂という焼酎を、夫は魔王という焼酎の次に一尚という焼酎を飲みました。飲みやすく美味しい焼酎でした。ホテルまで歩いで帰りました。
12月9日(木)晴れ。今日は14時10分の飛行機で静岡に帰る日なので、午前だけの観光でした。バスで仙巌園に行きました。仙巌園は2代藩主の島津光久が1658年に別邸として建てたもので、庭から桜島、錦江湾を眺められる広大な庭園が広がっています。
殿様の御殿ですから、それは見事な庭園とお屋敷でした。9時40分から御殿内をガイド付きで案内していただけたので、御殿に入りました。お屋敷の中は撮影禁止なので写真は許可されたところでだけ写しました。中庭を望む座敷でお抹茶とお菓子をいただきました。お殿様の暮らしは優雅だなぁというのが実感でした。華美な造りではありませんが、上質なお屋敷。天井や欄間、杉の戸に描かれた絵なども素晴らしいです。
帰りはまたバスでホテルに戻りました。鹿児島はバスがすごくたくさん走っていました。でも、渋滞のせいか2度も10分くらい遅れてきて、気をもみました。帰りの鹿児島交通のバスも10分以上遅れて来ましたが、ホテルで荷物を受け取ってから、バス停に急ぎ、市役所発12時12分の予定していた空港バスに間に合ってよかったです。空港内のレストランで饂飩を食べて、無事に14時10分発の飛行機に乗れました。その他の多くの写真はフォトチャンネルを作りましたので、ご覧くださいね。
バスを待つ間にちらん食堂で、黒豚ラーメンでお昼をすませ、その後、バスで武家屋敷へ移動しました。最初に軍の指定食堂だった富屋食堂に行きました。特攻の母と呼ばれるようになった鳥浜トメさんの資料館で、ほたる館と名付けられています。多くの若者たちを特攻隊という死の出撃に見送ったトメさんは、戦後もこの悲しい若者たちを忘れてはならないと真実を語りづつけ、時の町長に働きかけて平和観音を建立し、参拝を続けたという。ここでも多くの兵士たちの写真やエピソード、トメさんの手紙などを読みました。死んだらここに蛍になって帰ってくるといい、出撃した翌日の夜、本当に大きなゲンジボタルが食堂の梁にとまったという話や、朝鮮人でありながら特攻隊員になった人がアリランを歌った話など、今の私たちからは考えられない極限状況に置かれた人たちの実話が残されていました。
その後、7つの武家屋敷庭園を見学しました。庭を見学に解放しているお宅だけでなく、武家屋敷街の生垣の剪定が定規で測ったように、まっすぐに垂直に刈り込まれ、すごかったです。
七つの庭園が解放されていましたが、どのお宅も現在お住まいのようでした。手入れが大変でしょうね。草一本生えていないです。
バスでまた鹿児島市に戻り、夕飯はネットとグルメ冊子で見つけた「赤衛門」という藁焼きの店に行きました。
鰹の塩たたきや鶏のたたき、カキフライ、豆腐サラダなどを食べました。ここでは焼酎を飲みました。私は女王蜂という焼酎を、夫は魔王という焼酎の次に一尚という焼酎を飲みました。飲みやすく美味しい焼酎でした。ホテルまで歩いで帰りました。
12月9日(木)晴れ。今日は14時10分の飛行機で静岡に帰る日なので、午前だけの観光でした。バスで仙巌園に行きました。仙巌園は2代藩主の島津光久が1658年に別邸として建てたもので、庭から桜島、錦江湾を眺められる広大な庭園が広がっています。
殿様の御殿ですから、それは見事な庭園とお屋敷でした。9時40分から御殿内をガイド付きで案内していただけたので、御殿に入りました。お屋敷の中は撮影禁止なので写真は許可されたところでだけ写しました。中庭を望む座敷でお抹茶とお菓子をいただきました。お殿様の暮らしは優雅だなぁというのが実感でした。華美な造りではありませんが、上質なお屋敷。天井や欄間、杉の戸に描かれた絵なども素晴らしいです。
帰りはまたバスでホテルに戻りました。鹿児島はバスがすごくたくさん走っていました。でも、渋滞のせいか2度も10分くらい遅れてきて、気をもみました。帰りの鹿児島交通のバスも10分以上遅れて来ましたが、ホテルで荷物を受け取ってから、バス停に急ぎ、市役所発12時12分の予定していた空港バスに間に合ってよかったです。空港内のレストランで饂飩を食べて、無事に14時10分発の飛行機に乗れました。その他の多くの写真はフォトチャンネルを作りましたので、ご覧くださいね。
よくぞ知覧を詳しくレポートしてくださいました・・・という想いです。
もちろん私は知覧特攻博物館へ行きましたし、ここを設立した館長さん(故板津忠正さん・・・犬山市 )と交流をもたせていただいてました。
過去には、80歳以上の高齢になっても、SBS学苑で 「特攻隊とは」という講座を何度かされ、特攻隊の真実を語ってくださいました。 ものすごい貴重な話でした。
板津 忠正さんを検索してみることもできます。
知覧特攻隊のことを身近に知ることのできるものは、
● 俺は、君のためにこそ死ににいく( 2006 映画)
をご覧くださると、よ ~~~ く分かります。
これは板津さんの力もあって制作できたものです。
これを観ると、大泣きされちゃいます!!
この特攻隊博物館のことで思い出されるのは、
団体客がぞろぞろと入るのに、旅の嬉しさでニコニコおしゃべりしながら入って行ってるのに、出てきたお客さんは、おしゃべりもなく しんみりとしてしまい出てきている状況が、とても目に浮かびます。
それだけ考えさせられることが深いということではないでしょうか。
焼津近隣でカツオがいっぱいのトドさんが、今度は鹿児島のカツオですか。。。 まぁ旅先のカツオはまた違いますからね。
鹿児島では、西郷ドンさんのあるところもなかなかいいですよ。 郷中(ごじゅう)教育は、画期的だなって思えたことがありました。
誕生日旅行、お疲れさまでした。
鹿児島の方々に、この旅行記を拝読されたらいいですね。
知覧特攻隊が映画化された 「俺は、君のためにこそ死ににいく( 2006 映画) 」 では、死んだ兵士は ホタル になって返ってくる という物語も含まれており、
「鶴」 というロシア民謡には、鶴になって私たちに語りかけているという歌詞が含まれてます。
「兵士たちは死んでるんじゃない、形を変えて私たちに語りかけているんだ」 というものは両者とも同じです。
私たちコーラスでは、その「鶴」を合唱していますが、歌っているときにも切なくなることがあります。
世の中の不条理を、穏やかに治めている表現だと感じます。
「知覧特攻平和会館」は、私も多くのみなさんに入館していただきたい思いでいっぱいです。
それだけ入ることが 「とても有意義な思い」 としてこみあげられることを知って欲しい思いでいっぱいです。
身近には、ホームページを検索してほしいです。
またご紹介させていただいた
●俺は、君のためにこそ死ににいく( 2006 映画)
ビデオでご覧くださると、痛いほどにこのたいへんな時代背景が分かってきます。
とても社会勉強になります。 そして「人間味」が感じられます。