個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

成長を見守れるのは嬉しいものです

2018-04-17 10:39:51 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

40歳を過ぎて痛感するのは、「成長するスピードの遅さ」です。私は大学受験での理科では、「物理」と「化学」を選択しました。高校1年のときに生物と地学は授業があったと思いますが、ほとんど記憶にありません。毎回補習には呼ばれていた気がします(笑)

つまり生物や地学の勉強は、高校1年生を最後に勉強していませんので、当然私には教えることなんてできません。しかし、少し前に塾の卒業生から地学を教えてほしいと連絡がありました。ONE-Sは基本的には中学生までの指導と決めていますが、卒業してからも引き続き勉強を教えてほしいというご要望がたくさんありましたので、数年前から英語・数学・物理・化学の4教科に限って卒業した高校生も教えています。この4教科は、大学受験でも選択した科目ですから、勉強していくうちにだんだんと思い出してきて、それなりに教えることができるようにはなりました。

しかし彼が教えてほしいといってる地学はできる気がしなかったので「ごめん、俺には無理やわ」と言ったのですが「先生、頼むわ。他に教えてもらえる人おれへんねん。この範囲だけでいいからお願い!」と必死に頼んできましたので、「できるかどうかわからんけど、とりあえずやってみよか」ということになりました。

まずは彼から地学の教科書や参考書を借りて勉強しました。「なんとかなるやろ」と思って始めましたが、大きな間違いでした。これまで勉強してきた数学が化学などは、勉強することによって「思い出す」という作業だったんですが、地学のように「1から理解して覚える」という作業は40歳を過ぎた頭ではかなり厳しいものでした。何回読んでも理解できなかったり、全然語句が覚えることができなかったりで本当に苦戦しました。「あれ?俺ってこんな頭やったっけ?」と自信を無くすほど苦労しました。それでもなんとか彼が教えてほしかった部分だけは理解できて教えることができましたが、「もう次は無理やでー」と勘弁してもらいました。

今こうして生徒たちに勉強を教えることができているのは、これまで私が勉強してきた蓄積があるからで、今から新しいことを勉強したり覚えたりすることは、かなり難しいのだと痛感しました。

そんな私と比べると、子どもたちの頭の柔軟さや活発さはうらやましいですし、素晴らしいです。

中1の初めから入塾してくれた生徒で、それまでは塾などには通ったことはなかったのですが、この子は小学生の範囲は完全に理解していましたし、中学の勉強をいざ始めても、とても理解が速くどんどん吸収していきました。「とても頭がよく、この先楽しみだなあ」とは思っていましたが、私の想像をはるかに超えるスピードで成長していきました。それほど勉強するタイプでもなく、基本的には塾に来て勉強し、家では塾の宿題だけを勉強する、試験前だけは勉強時間を増やして暗記科目はほぼ一夜漬けという勉強の仕方でしたが、成績は常にトップクラス、受験生になって本格的に勉強し始めると、一気に眠っていた能力が開花していき、受験前には私の得意の数学の問題でも私より速く解いてしまうことも何度もありました。受験はもちろん第一志望に合格し、わずか3年ほどでこの子には追いつかれてしまいました。

また、逆に入塾したときには、小学校の勉強も半分以上理解できていなかった生徒もいました。中1の段階で、たとえば算数のおつりの計算ができませんでした。しかも「1個30円のお菓子を8個買ったときの代金はくらですか?」という簡単な文章問題も解けませんでした。30×8の説明をしましたが、理解するのに時間がかかりました。

算数だけでなく、いろんな知識というか言葉も知りませんでした。「アメリカ合衆国の首都はどこ?」「うーん、知らん」「じゃあ、日本の首都ってわかる?」「ううん、わからん」この時点でもかなりヤバいのですが、追い打ちをかけるように「それより首都って何?」と質問されたときには唖然としました。

正直「大丈夫かなあ?」と不安いっぱいで勉強を開始しましたが、これまでほとんど勉強してこなかったのでしょう、初めは上に書いたようなことがいくつもあり、驚きの連続でした。ですが、1ヵ月、2ヵ月と過ぎていくうちに、「あれ?この問題いつの間にかできるようになってる」ということがちょくちょく出てきました。1年が経過し、2年生になる頃にはテストの点数もずいぶんとよくなり(科目によってかなりばらつきはありましたが)、自分なりの勉強のしかたも見つけていたようでした。3年生になっても順調に勉強でき、この子も無事に第一志望の高校に合格し、今はりっぱな社会人になっています。

もちろん本人の頑張りによるものが大きく、中2からはほぼ毎日勉強するようになりました。しかし、小学校6年間ほとんど勉強せず、中1の段階では上の例のような状態だったにもかかわらず、3年足らずでその遅れを取り戻すことができました。成長のスピードが、すでに老化が始まった私なんかとは比べものにならないくらいすごいんです。

子どものときというのは、どんどん吸収でき、信じられない速さで勉強だけではなく成長していきます。ですから、今現在何かできないことがあっても、諦める必要なんてないんです。私自身が何人もそういう生徒を見てきました。成長していく子どもたちは、自信からか顔つきも変わってきますし、考え方が前向きになり、とても明るく一生懸命になります。一番成長する時期に一緒に過ごすことができ、その成長を見守れるのは本当に嬉しく幸せな気持ちになります。

子どもたちに負けないように、もう年だからと弱音を吐かずに(笑)、頑張っていこうと思います。

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今の時代は大学ってとりあえず行っとこかというノリでいくもんじゃないですよね

2018-04-14 10:36:50 | 教育問題
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾(ワンズ)の塾長の松下です。

バルセロナがヨーロッパのCLの準々決勝でローマに負けてしまいました。圧倒的に有利な状況での敗戦でしたので、めちゃくちゃショックで2時間ほど動けませんでした。とサッカーの話はとりあえずおいといて、今日は最近よく耳にする気になるニュースを取り上げてみます。それは大学進学などで奨学金を借りたが、その後返済が困難になりかなり苦しい生活に追い込まれたり、場合によっては自己破産する人までいるというものです。

調べてみると実際奨学金を借りる学生の割合も20年前と比べて約2倍になっており、50%以上の大学生が奨学金制度を利用しています。国民全体の所得がそれほど上がっていないのに、授業料は上がり続け、国立大学でも平成元年は授業料が約35万円(大卒初任給平均は約16万円)、平成26年には国立の授業料は約55万円(大卒初任給平均は約20万円)と、かなり厳しい状況になっています。

なぜここまでのリスクを背負ってまで大学に進学する人が多いのでしょうか?

それはまず社会全体が、「いまどき、大学くらい卒業していて当たり前だ」という風潮があるからです。

ですが本当に大学進学するということに、そこまでの価値があるのでしょうか?

大学に進学しないと就けない職業はたくさんあります。医者や弁護士や学校の先生もそうかな? などの専門的な職業は高卒では難しいでしょう。民間企業にしても、ある程度の偏差値以上の大学を卒業していないと、面接すらしてくれないところもあります。そういう意味では偏差値の高い大学を卒業し、学歴という武器を持つということは選択肢が広がり、有利に就職活動も進めることができ、その結果安定した暮らしに繋がっていく可能性も高くなるのです。

しかし、気をつけなければいけないのは、今や大学全入時代です。大学進学を希望すれば、受験勉強をしなくても入れる大学なんていくらでもあります。中学校の授業をしているのかと間違えるほどレベルの低い授業をしている大学もあります。子どもの数はどんどん減っているのに、大学の数は減るどころか増えています。「大学くらい行っておいた方がいいよ」という言葉を信じて、ほとんど受験勉強も必要のない大学で4年間貴重な時間とお金を使い、それが果たして武器となりえるでしょうか。

本来ならば大学は、将来こういう仕事をしたいからという目的を持って、大学そして学部を選んで受験するものだと思います。「それが見つからないからとりあえず大学にでも行って探す」というのも理解できますが、大学進学するのに時間とお金がどれだけ必要で、それを使う価値があるのかどうかをしっかり考えてから決めるべきです。

また、より偏差値の高い大学に合格するための競争が激化しています。中高一貫コースの私学もたくさんあり、小学校や中学校の頃からすさまじい勉強量をしている子もたくさんいます。私は、こういった競争そのものは否定しません。一生懸命勉強し、有名大学に合格したときの喜びは格別でしょうし、優秀な人が増えるのは日本にとってプラスになるはずです。努力するというのはどの分野においても素晴らしいと思います。ただ、これだけ競争が激しいということは、その競争に負けてしまう子もたくさんいるということを、特に親は忘れてはいけません。

小学生の頃から勉強をさせ続けて、ほとんど遊ばせることもなく、中学そして高校と勉強をさせた結果、志望していた大学とはずいぶん差のある大学にしか合格できなかったとしたら、この子はどうなってしまうでしょうか。メディアや予備校で登場する大学生は、この激しい競争に勝ってきた子ばかりです。この子の後ろには、多くの敗者がいるんです。

本人が希望し、そして親もそれを望んでいるのなら、この競争に飛び込むことは素晴らしい挑戦だと思います。ただ、「○○大学に合格することが人生のすべてだ」というような考え方を植え付けてしまっては、その大学に合格できなかったときのダメージが大きくなりすぎます。合格できなかったときでも「頑張ったけれどもあかんかった。でも、こっちの大学でまた頑張るわ」と前向きな気持ちで受験が終えれるような環境を整えてあげることも親の大事な役目だと思います。そうすると受験勉強に費やした努力が、志望校には不合格になったけれども、きっと報われるはずです。

そしてもう1つ大切なことは、大学合格がゴールではありません。そこからがスタートなのです。大学に合格するために勉強だけに集中しすぎて、他の能力が十分に育っていないケースもよくあります。有名大学を卒業している「ひきこもり」や「ニート」の人が大勢いることはご存知でしょうか? 将来の安定のために勉強を続けて、目標の大学に合格できたのに、勉強以外の能力が成長してないせいで社会からはじき出されてしまっては本末転倒です。学歴というものは社会人になるときの初年度に使用できる最高の武器ですが、それ以降は職種にもよりますが、学歴そのものは武器にはなりません。勉強面だけでなく、バランスよく他の能力を磨いていくことも大切にしてほしいと思います。



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高等遊民という生き方

2018-04-12 10:23:05 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

新学期が始まり、新しい環境に慣れるまで不安でいっぱいの子や、たくさんのストレスを抱えている子もいるでしょうが、このまま1年間学校でやっていけるかなと遠い先のことを考えるのではなく、まずは目の前の1日1日を過ごすことに集中し、しんどいときには無理せず休みながら自分のペースでしっかり頑張っていってほしいと思います。

話は変わりますが、私はひきこもり時代には睡眠以外の時間のほとんどを、ゲームと映画鑑賞、読書に使っていました。テレビはお笑いは好きでしたのでコントや漫才のネタ番組以外はあまり見ることはありませんでした。そのためか、仕事を始めてからもそれほどテレビを見ることがなく、特にドラマは「古畑任三郎」くらいしか見たことがありませんでした。

そんな私が、たまたま何かのきっかけで数年前に久しぶりにテレビドラマを見ました。ご存知の方も多いかと思いますが、そのドラマの主人公は30歳代半ばで無職、いわゆる「ひきこもり、ニート」なんです。ですが彼は自分のことを「高等遊民」と称し、自らその道を選んで生きているんだ、俗世間で生きている周りの人間とは違い、自分はもっと高尚な生き方をしているのだと言い張るのです。

「高等遊民」とは明治から昭和初期にかけて、大学で高等教育を受け卒業したけれども、労働することなく、読書などをして教養を高める生活をしている人のことをいうらしいです。高等遊民は生産的な活動を行わないので、形式上は現代では「ニート」と同じですね。

私も大学卒業後、約3年間のひきこもりの生活をしていましたので、「高等遊民」の言葉には実際共感できる部分もあり、「うんうん、わかるぞ、その気持ち」なんて思いながら見てました(笑)

ひきこもり時代のある日、病院の帰りに小学校の同窓生たちと出会ってしまいました。中学校を卒業してから一度も会っていなかったので約10年ぶりの再会でした。できるだけ冷静なふりをして彼らと話していましたが、当然話題は現在何をしているのかという話になりました。「俺は○○で働いているねんけど、松下は今何してるん?」これを聞かれるのが嫌だから外に出なかったのに。「俺、今ニートやねん」と言えるほどメンタルが強くもなく「大学卒業して、いったん就職したけれど俺には合わんから辞めてん。それで、自分で事業をしようと思って、今はその準備段階やねん」と精一杯の出まかせを、必死で見栄を張りました。こうでも言わないと、現在のみじめな自分自身が今にも押しつぶされそうで、おそらくもう立てない、必死で踏ん張って立っておくためには、今のみじめな自分を「俺は違った生き方をしているんだ」と自分に言い聞かせておくしか方法がありませんでした。

このドラマの中で一番印象に残っている「高等遊民」の言葉に「道行く社会人がすごく立派に見えて自分には無理だ、あんな風には絶対になれないと思った」というのがありました。

ひきこもっていたときの私の気持ちはまさにこれでした。これまで一緒に遊んでいた友達が、将来のことなど何も考えずにバカなことしたり、バカな話をしたりしてきてた友達が働いている姿を見て、とても立派に見え、とても遠くに感じました。「どうして、みんなは働けるの?どこでそんなスキルを身につけたの?どうして自分だけ何もできないのだろう? みんなと同じように生きてきたはずなのにどうして?どうして?」

みんなが当たり前のように行っているすべてのことが、自分にはとてもハードルが高いことのように思えて、「絶対自分にはできない」と思っていました。

今、こうして塾の講師として働くことができています。もちろん社会人としてスタートしたばかりのときは、ものすごく苦労しましたし、今もまだできないことなんて山のようにあります。ですが、ひきこもり時代の私が今の私を見ていたら「なんでこんなことができるんだろう。自分には絶対できない」と思っていたはずです。社会人になって20年ほど経過し、その間ずっと塾の経営そして講師としての技術を磨くことを一生懸命してきたつもりです。まだまだできないことは山のようにありますが、できることも少しは身につきました。何か1つでも、「これならできる」というものがあるのは、とても心強いものです。ひきこもり時代にあった劣等感がまったくなくなり、「他のことはできないけれども、塾の講師としてはそこそこできてるはずや」と思えるようになりました。

おそらく現在ひきこもっている人や不登校の子たちの中には、同じような気持ちになっている人もいるのではないでしょうか。
「面接で緊張してしゃべれない」「人との接し方がわからない」「人前で話すなんてできないし、電話すらでれない」「得意なものがなにもない」「仕事が覚えられない」「みんなが当たり前のようにしていることが、どうして自分にはできないのだろう?」

うんうん、そうなんだ。そういう気持ちになって当然なんだ。これまですべてのことを当たり前にできてきた人にはわからないだろうけれど、うまくできなかったり、うまくとけこめなかったり、そんな人も多くいるんだ。ブランクがある人は、よけいにその気持ちが大きくなって当然なんだ。でもこれは、自分で勇気を持って飛び込んでいくしかないんだ。とっても怖いことだけれども。初めはしんどくて苦しくて辛いだろうけど、きっといつの間にか自信に変わってくるはず。どうしても苦しくて耐えられない時には、そこから離れてもいいんだ。そこは、あなたの居場所ではなかっただけで、また別の場所を探せばいいんだ。

「どうしてそんなこともできないの?」と自分の物差しで判断して冷たく突き放すだけでなく、「そんなことはできないかもしれないけれども、あんなことはできるかもしれない」「まだ経験が足りないのだからしかたのないことだ」と理解し、1歩踏み出した勇気を大きく評価してあげれるような人間になりたいと思います。そしてまたそのような優しい社会になっていくことを望んでいます。みんな自分からなりたくて「高等遊民」になってるわけではないのですから。

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ガラパゴス化

2018-04-10 10:42:23 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日授業が終わってから生徒と話しているときに、ゲームの話題になりました。「このゲームめっちゃ面白いで」「ふーん、どんなん?」と言って見せてもらったのですが、正直驚きました。スマホのゲームアプリなんですが、ゲーム性やグラフィック、スケール、何をとってもスマホゲームの域を超えていました。「とうとうここまできたか」という驚きとともに、どうしてもプレイしたくなりました(笑)

実際プレイしたところ、本当にすごく面白かったため、すぐにそのアプリを消去しました。「これは、絶対にハマってしまう」と思ったからです。子どものときから、ファミコンそしてプレイステーションといわゆるテレビゲーム全盛期に育った私は、今でもゲームが好きで、仕事が終わってから寝るまでの時間などに、ほぼ毎日しています。ですから最近のゲームについても、同年代の人よりは詳しいと思うのですが、今回プレイしたゲームのクオリティーの高さは信じれませんでした。生徒たちに聞くと、大部分の子が知っていて、周りでもすごく流行っているそうです。まあ、しかたありませんよね、これだけ面白いのですから。

スマホの普及によって社会が大きく変化しました。10年ほど前とはほぼ別世界です。ちょうど私たちは時代が変化する瞬間に生きているのだと思います。こうして社会が変化するときには、歪ができて問題が続出し、それを否定する声が大きくなるものです。しかし、人が「楽しい、面白い」と思えるものや、「これは便利だ、楽だ」と思えるものについては、その流れは止めることができず、人間が適応していくしか方法はないのだと思います。

スマホによる事件や事故など、子どもの教育にもたらす悪影響など数えればきりがないほど出てきますが、大人も子どももこれほど楽しく夢中になるものは、これからますます発展していくでしょうし、この流れを止めることができるはずもありません。うまく私たちが適応していかなければならないのです。

自動車が普及したときもそうだったでしょう。私が生まれた頃にはもうすでに普及していましたから想像でしかありませんが、自動車による事故も多かったのではないでしょうか。また、排気ガスによる大気汚染などの環境問題を不安視する声もあったかもしれません。ですが、自動車での移動は「とても便利で楽だ」という人間の気持ちが一気に自動車社会を加速させました。そして自己を減らすため、どんどん法律が作られて、道路や信号が整備され、人は車と共存する生き方を選びました。自動車事故は各地で毎日のように起こっていますが、車社会を否定する人などほとんど存在しなくなり、結果的に世の中は便利になり、そしてますます技術が発展し、自動車の製造というのは日本を支える工業の1つとなりました。

パソコンの普及もそうでしたよね。私が20代の頃から急速に普及していったと記憶していますが、当初はインターネットによる悪影響や犯罪、そして何の役に立つのかよくわからない人が多かったこともあり、否定的な意見も多くありました。ですが、便利さを理解した人間は至る所にコンピュータをとりいれ、大学でも会社でも、自宅でもパソコンを使うことが当たり前のようになりました。その流れの中で法律が整備されていき、人間とコンピュータが共存することになりました。パソコンが普及することを予測してた人たちは大成功を収めました。

「スマホ=悪」ではありません。ある特定の状況下ではこの等式は成立するかもしれませんが、便利で優れたものであり、私たちの社会を変えていくものであることは否定できないはずです。SNSを利用した犯罪が多発しています。いじめなどの人間関係の問題も、大人子どもを問わず発生しています。子どものスマホ利用時間がどんどん増え、勉強や成長に悪影響が出ています。自転車や自動車を運転しながらのスマホで事故も起きています。でもそれらは、新しい社会に移行するときにどうしても発生するもので、ある意味仕方のないことだと思います。これから、少しずつ法律が整備されていき、様々な問題が議論されるようになり、あらゆるデータがでてきて、そうして私たちの意識や考え方も変わっていき、新しい社会に適応していくのだと思います。

変化の真っ最中にいる私たちがしなければいけないことは、悪い点ばかりに目を向けるのではなく、有効に利用することを見つけることだと思います。勉強面だけ考えても、とてもシンプルなアプリですが、漢字を覚えるのが苦手な私がアプリを使うと、苦労せず楽に覚えることができました。問題を解いていてわからないことがあっても、すぐに調べることができます。パソコンでもできますが、スマホの方がどこでも使えますし便利ですよね。

また、こういった細かい部分だけでなく、勉強スタイルも変えることができます。学校の授業でも、今までは欠席した場合、だれかのノートを借りてそれをもとに勉強するしかありませんでした。しかし、ノートを見て理解できるのだったら授業なんて必要ないですよね。みんな、それだとわからないから、塾でもう一度教えてもらったり、そのまま放置していたんです。しかし、スマホやタブレットを活用すると、その授業を見ることができます。しかも、何度も何度も。塾や予備校ではもう当たり前になっていますが、学校でこれを導入しないのはなぜでしょうか?

文明は加速度的に変化しています。わずか10年という単位でもまったくの別の世界になってしまいます。社会全体もその変化に対応できるように、なんとか追いつこうとしています。しかし、学校だけが戦後まもない教育から、ほとんど進化していません。上で書いた例はほんの1つであって、今の社会で学校だけがどんどんと取り残されているように感じます。本来ならば教育現場が社会の変化に敏感に対応して率先して変化していかなければならないのに、日本の教育現場は真逆を突き進んでいます。

変化を怖れず、新しいものを悪だと決めつける偏見を捨て、良いものはどんどん取り入れ、変化に対応できるように努力し、これから日本を背負っていく子どもたちに、本当に学んでほしいことを教え、より学びやすい環境を整えることができなければ、未来は明るいものとは言えないでしょう。

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まさか1年も続くとは。これからもよろしくお願いします。

2018-04-07 10:41:34 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

昨日でブログを書き始めてから、ちょうど1年が経過しました。もともとは、なんらかの宣伝効果があればいいかなという軽い気持ちで書いてみたのがきっかけでしたので(ですから、初めの方の記事はとても短い文章ですね)、ここまで続くとは自分でも驚いています。

ブログは、夏期講習や冬期講習などの特別な期間以外は、できるだけ週3回更新しようと決めました。これまで文章を書いたことがほとんどなく得意ではないので、毎回かなり苦労していますが(-_-;)、いろいろとわかったことがあります。

まず、ブログを書くことによって自分の考えていることがきれいに整理されていくのです。話が苦手な私は、これまでも、ある問題について自分なりの考えはおおまかにあったとしても、それを言葉に出して話すとなると、頭の中でまとまっていないので、うまく話ができませんでした。ですが、こうしてブログを書き始めて、どんどんと自分の考えが整理されたり、また自分では気づいていなかったような自分の気持ちを発見したりできたりしたことによって、スラスラと言葉が出てくるようになりました。これは私にとっては大きな自信となりました。

次に、週3回のペースで毎回2000文字くらいの記事を書くとなると、初めのうちはまだいいのですが、だんだんと話題がなくなってきます(実際、同じような内容の記事がいくつもありますよね(笑))。ですので、ブログの記事にするため、より多くの教育に関するニュースや問題について興味を持ち、そして調べるようになりました。結果的に、私自身の知識が増え、さらに塾の先生だけでなく、行政の方、学校の先生や心理カウンセラーの方、そして各種さまざまな活動をされている団体の方と交流させていただけるようになり、大きなネットワークができつつあります。いろんな面から、いろんな角度から子どもたちを見れるようになることは、たとえば成績が上がらない原因を的確に判断できたり、勉強以外での不安や悩みを軽くしてあげることができたりと、塾の講師として1回り成長できたように思います。

最後に、この私のブログを読んでくれている人がいるという喜びです。初めは宣伝のため、そして次は自分自身の成長のために書き続けているブログですが、思わぬ人から「ブログ読んでますよ」と声をかけてもらえたり、「あのブログの内容、まったく同じ意見やわ。」や逆に「その考えには同意できんわ」などいろいろな意見を頂けたりします。ブログを読んでくださっている人がいるとなると、私も「中途半端な気持ちで書くことはできない!文章力がなくても気にせず、自分の考えていることや思っていることをきちんと書いていこう!」と、とても励みになりますし、いろんな意見を頂くことによって「そうか、そういう考え方もあるんやな。俺の考えはまだまだ浅かったな」など、とても勉強になります。そして、忙しい中でも毎週決まった曜日にブログを書きあげるようにしてからは、必要以上にダラダラせず、メリハリのある、より充実した毎日が送れているように感じます。

ブログを書き始める前は、「ブログを書くなんて、意味がわからんわ。芸能人でもないのになんで書くんやろ?ただの自己満足やん」みたいに思っていたこともありましたが、大きな間違いでした。今までに何度か書いてきたように、先入観や偏見を持ってはいけないんですよね。実際にやってみないとわからないことだらけです。やってみたけれど、いまいちその効果がわからないし、自分には合わないなと思ったとしても、そう気づけたことが収穫なのです。

今後もできるだけ今のペースで書いていきたいと思っていますが、いろいろな事情でペースダウンするときが来るかもしれません。また、文章力がなかなか上達しませんので、読みやすくなることはないかもしれません。ときに、話が脱線してまたサッカーや競馬の話ばかりになるかもしれません。ですが、いつも私自身が感じていることを素直に書いていこうと思っておりますので、これからも読んでくだされば嬉しいですし、何かのヒントになればさらに幸せです。2年目も宜しくお願いします。


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