個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

高等遊民という生き方

2018-04-12 10:23:05 | ひきこもり
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

新学期が始まり、新しい環境に慣れるまで不安でいっぱいの子や、たくさんのストレスを抱えている子もいるでしょうが、このまま1年間学校でやっていけるかなと遠い先のことを考えるのではなく、まずは目の前の1日1日を過ごすことに集中し、しんどいときには無理せず休みながら自分のペースでしっかり頑張っていってほしいと思います。

話は変わりますが、私はひきこもり時代には睡眠以外の時間のほとんどを、ゲームと映画鑑賞、読書に使っていました。テレビはお笑いは好きでしたのでコントや漫才のネタ番組以外はあまり見ることはありませんでした。そのためか、仕事を始めてからもそれほどテレビを見ることがなく、特にドラマは「古畑任三郎」くらいしか見たことがありませんでした。

そんな私が、たまたま何かのきっかけで数年前に久しぶりにテレビドラマを見ました。ご存知の方も多いかと思いますが、そのドラマの主人公は30歳代半ばで無職、いわゆる「ひきこもり、ニート」なんです。ですが彼は自分のことを「高等遊民」と称し、自らその道を選んで生きているんだ、俗世間で生きている周りの人間とは違い、自分はもっと高尚な生き方をしているのだと言い張るのです。

「高等遊民」とは明治から昭和初期にかけて、大学で高等教育を受け卒業したけれども、労働することなく、読書などをして教養を高める生活をしている人のことをいうらしいです。高等遊民は生産的な活動を行わないので、形式上は現代では「ニート」と同じですね。

私も大学卒業後、約3年間のひきこもりの生活をしていましたので、「高等遊民」の言葉には実際共感できる部分もあり、「うんうん、わかるぞ、その気持ち」なんて思いながら見てました(笑)

ひきこもり時代のある日、病院の帰りに小学校の同窓生たちと出会ってしまいました。中学校を卒業してから一度も会っていなかったので約10年ぶりの再会でした。できるだけ冷静なふりをして彼らと話していましたが、当然話題は現在何をしているのかという話になりました。「俺は○○で働いているねんけど、松下は今何してるん?」これを聞かれるのが嫌だから外に出なかったのに。「俺、今ニートやねん」と言えるほどメンタルが強くもなく「大学卒業して、いったん就職したけれど俺には合わんから辞めてん。それで、自分で事業をしようと思って、今はその準備段階やねん」と精一杯の出まかせを、必死で見栄を張りました。こうでも言わないと、現在のみじめな自分自身が今にも押しつぶされそうで、おそらくもう立てない、必死で踏ん張って立っておくためには、今のみじめな自分を「俺は違った生き方をしているんだ」と自分に言い聞かせておくしか方法がありませんでした。

このドラマの中で一番印象に残っている「高等遊民」の言葉に「道行く社会人がすごく立派に見えて自分には無理だ、あんな風には絶対になれないと思った」というのがありました。

ひきこもっていたときの私の気持ちはまさにこれでした。これまで一緒に遊んでいた友達が、将来のことなど何も考えずにバカなことしたり、バカな話をしたりしてきてた友達が働いている姿を見て、とても立派に見え、とても遠くに感じました。「どうして、みんなは働けるの?どこでそんなスキルを身につけたの?どうして自分だけ何もできないのだろう? みんなと同じように生きてきたはずなのにどうして?どうして?」

みんなが当たり前のように行っているすべてのことが、自分にはとてもハードルが高いことのように思えて、「絶対自分にはできない」と思っていました。

今、こうして塾の講師として働くことができています。もちろん社会人としてスタートしたばかりのときは、ものすごく苦労しましたし、今もまだできないことなんて山のようにあります。ですが、ひきこもり時代の私が今の私を見ていたら「なんでこんなことができるんだろう。自分には絶対できない」と思っていたはずです。社会人になって20年ほど経過し、その間ずっと塾の経営そして講師としての技術を磨くことを一生懸命してきたつもりです。まだまだできないことは山のようにありますが、できることも少しは身につきました。何か1つでも、「これならできる」というものがあるのは、とても心強いものです。ひきこもり時代にあった劣等感がまったくなくなり、「他のことはできないけれども、塾の講師としてはそこそこできてるはずや」と思えるようになりました。

おそらく現在ひきこもっている人や不登校の子たちの中には、同じような気持ちになっている人もいるのではないでしょうか。
「面接で緊張してしゃべれない」「人との接し方がわからない」「人前で話すなんてできないし、電話すらでれない」「得意なものがなにもない」「仕事が覚えられない」「みんなが当たり前のようにしていることが、どうして自分にはできないのだろう?」

うんうん、そうなんだ。そういう気持ちになって当然なんだ。これまですべてのことを当たり前にできてきた人にはわからないだろうけれど、うまくできなかったり、うまくとけこめなかったり、そんな人も多くいるんだ。ブランクがある人は、よけいにその気持ちが大きくなって当然なんだ。でもこれは、自分で勇気を持って飛び込んでいくしかないんだ。とっても怖いことだけれども。初めはしんどくて苦しくて辛いだろうけど、きっといつの間にか自信に変わってくるはず。どうしても苦しくて耐えられない時には、そこから離れてもいいんだ。そこは、あなたの居場所ではなかっただけで、また別の場所を探せばいいんだ。

「どうしてそんなこともできないの?」と自分の物差しで判断して冷たく突き放すだけでなく、「そんなことはできないかもしれないけれども、あんなことはできるかもしれない」「まだ経験が足りないのだからしかたのないことだ」と理解し、1歩踏み出した勇気を大きく評価してあげれるような人間になりたいと思います。そしてまたそのような優しい社会になっていくことを望んでいます。みんな自分からなりたくて「高等遊民」になってるわけではないのですから。

ONE-SのHP


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