お寺ふぁん

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

熱闘甲子園 熱湯さめない原発 熱咳

2011-08-21 | 日記

 せっかくの週末ですが、夏かぜをひいてしまい寝込んでしまいました。

 熱もなんですが、咳が辛いんですよね。(;´д`)トホホ…

 妻も検査入院でどうやっても (;´д`)トホホ…な週でした。

 

 甲子園の熱闘、よくもあの炎暑の中でできるものです。

 決勝、東北勢に期待がかかるところ、戦前から「勝ちたい!」「勝つ!」というフレーズが聞かれました。”まずいんじゃないか・・・”

 後からは何でも言えるところですが、「勝つ!」は精神的負担が大きいんですよね。「負けない!」に徹する方が折れないと思うんですがね・・・言霊的に(^^;)

 

 

 北海道の方では、原発の営業運転が決まったようですね。どこも電力不足の折、やれやれでしょう(^^

 ”電気ない! どすんだよ~” の声には勝てないですからね。

 

 しかし、・・・安全はどこまで担保されているんでしょうか?

 福島でどういう命名なのか”サリー”が頑張って汚染水処理が前向きになったようです。事故直後にこういうことが次々にできて早期に収拾できるものと思っていたのに・・・絶対に事故しないから必要のない技術だったんでしょうね。

 福島の事故は言われている以上に深刻という記事がありました。事実は、しばらくすると公表されてくるんでしょう。積極的に解決していけるのではなく、隠して隠して・・先行でしか進められないのは歯がゆいですね。現場の皆さんはご苦労さまです!

 

 原発は、絶対的に信用できないと思ってしまった記事があります。

 もうご覧になった方も多いと思います。この記事に関し、”ふん! 好き放題言いよって。いい加減なもんや、ホットケ!”というのが電力側の言い分だったようですね。

http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

 

 また、放射線ってどんな被害出るんだろう? って国民みんなわからないですよね。

http://cherio1222.blog96.fc2.com/blog-entry-27.html

 ※病状のサムネイル画像が埋め込まれています。心臓の弱い方はクリックしないことをおすすめしたいです。

 大量被曝者の治療経過が出ています。こんなだったら即死した方がいいとさえ思ってしまいます。実際、ある程度強く被曝して細胞が自己死を起こした方が、弱く被曝して遺伝子を傷つけてしまうより事後はいいそうですが・・・被曝量なんかコントロールできるもんじゃないしね~(´・ω・`)

 

 ともかくも北海道を皮切りに、なし崩し的に原発が動いていくことのないように、また、廃炉も視野に入ったもんじゅがいつのまにか復活しないよう願うばかりです。

 

 

 


お盆 暑熱 終戦の日

2011-08-16 | 日記

  昨日15日は、とても暑い日でした。

 きっと昭和20年の昨日も同じかそれ以上に暑い1日だったことでしょう。

 

 私の身内にも戦死軍人がいます。伯父です。硫黄島で亡くなったそうです。

 終戦から相当経ってから私は生を享けましたので見たこともないおじちゃんです。

 戦死日は、3月17日・・・これは硫黄島戦の終結日、要するにいつだったか分からんということですね。遺骨も収集団から送られたようですが、誰のものだかわからない一片の小さなお骨が入っていたそうです。

 伍長だということですから2階級特進ということを考えると上等兵だったということでしょう。仏壇に入営のときと思われる写真がありましたが、身の丈を超える重そうな小銃(これが38式でしょうね。)を携えていました。

 

 硫黄島が戦場になっているころ、不思議なことがあったそうです。

 母(私の祖母)が、尋常でない顔をしてさめざめと泣いていたそうです。

  ● どぎゃんした?

  母 息子が今ぼろぼろの爛れた格好で立っていた。家に入れと言ったが下向いてなんも言 

   わん。

   早よ入れと言うたけど、どこか行くと言う。

   ”どけ(どこへ)行くとか~?” “寺さん(寺に)”と言っていなくなった。

 それで泣いていたということでした。

 周りを見ても誰もいなかったそうですが、とても何事もなかったという感じではなかったそうです。

 科学的に言えば、息子に対する思慕が幻影を見せたということになるのかもしれませんが、本当に帰って来ていたのかもしれませんね。

 これは、“息子”の弟、つまり私の父から聞いた話ですが、「●」の人物が自分だったのか、自分も誰かに聞いたのかもう確認できなくなってしまいました。存命はしているのですが、認知症が進んでしまいました。

 太平洋戦争は、ついこの前に起きた戦争です。しかし、人の寿命からすると直接知り、確かな記憶を持つ人はもうぎりぎりのところでしょうね。

 当時の帝国軍人は死ぬことこそ本望であり、生きて帰ってきただけで後ろめたさがあって口が重いということを聞いたことがありますが、多くを語ってもらいたいものです。

 父も機銃掃射が恐ろしかったこと、鉄拳制裁がくやしくて恨みに思ったことなどをぼそっと話していましたが、特に戦争の話はしていませんでした。もっと聞いておくべきだったと思っています。

 もうひとつ書くと、米軍側の戦況フィルムが放送されるのを見たことがありますが、父は臓物をさらして斃れている兵、生きながらにして火炎放射器で焼かれ転げまわる兵などを見て、“兄貴もこんな風にして焼かれてしまったんだろうな、爛れて出てきたのがわかる。”などと言う一方、母(私の祖母)がもう目も見えない、耳も聞こえない状態になってからこんな映像が出てきて良かったと安堵していたのを憶えています。

 幸いにして日本は、太平洋戦争以降戦争を経験していません。

 昨今国としてあまりにも腰の引けた姿勢に憤懣やるかたなき人もいることでしょう。

 ひょっとすると社会が戦争志向となるかもしれません。

戦争映画も煽るかもしれません。「大和の特攻」だって、所詮まったく勝算なき出撃です。

 映画の意図がずれるでしょうが、犬死がもっと強調されるべきではないでしょうか。

 特攻専用機であるロケット機「桜花」の神雷部隊の指揮官は憮然として「湊川だよ、飛行長」と言って出撃したそうです。臆したのではなく、無策により100戦して100敗を免れない戦地に赴く境地です。戦争は決して美しいものではないし、若干形が違うということがあってもそんな事態は常に付いて回ることでしょう。

 

 戦争を回避するため、戦争も辞さずという毅然とした態度が必要なときもあるかもしれません。そうするとわずかなボタンの掛け違いで本当に戦争に突入してしまうかもしれません。時々に多数の難しい判断、覚悟が求められるんでしょうね。小市民にはどう対応していくべきか見当つきません。

 わかるのは、暑さは自然の成り行きですが、人の営みは内なるも外なるも泰平の世が過去のものとなってしまい、緊張の時代に入ってきたなということだけです。

 平々凡々と“この花はきれいだ”とか“これはうまい”などと言い続けていたいものです。

 

※ 湊川

  楠正成終焉の地。宮方(南朝)は、新政から離反した足利尊氏の追討を新田義貞に命じたが、義貞は敗れ足利軍が都に迫ることに。しかし、正成らの奮戦により足利軍の撃退に成功する。

  正成は、勝っているこの有利な時期にこそ義貞を捨て、足利との和睦をと提言したが容れられず逆に郷里にて謹慎となった。義貞が足利方との継戦に手間取っている間に勢力を盛り返した尊氏軍が九州から東上、正成は強大な足利軍への対抗策として帝に京を離れてもらい足利軍を京に引き入れた上での市街ゲリラ戦展開を提言したが、これも容れられず、義貞麾下として湊川への出撃を命じられる。

  多勢に無勢、策もなし、お上側近は無理無能。必敗を見越したうえでなおの出撃と云われている。結果的に義貞軍は退路を断たれる危惧から戦線離脱、正成の少数軍は孤立したものの勇戦、壮烈な最期を遂げている。  


山陰海岸 鳥取砂丘 浜坂「和心(なごみ)」

2011-08-07 | 日記

 

 6日、甲子園熱闘開始!

 見にも行きたいけど、観戦だって熱闘ですからね~・・・(^^;

 

 海が見たいです。

山陰海岸

 

 

 河原城が見えるとまもなく鳥取市内。

 天守は、模擬。 存在自体も「?」の城のようですが、この丘陵の存在感からしてなんらかの軍事施設があったのは十分説得力があります。

 

 お昼が遅くなりそうなので先に済ませます。

 浜坂まで走ります。 「和心」という海鮮のお店です。

 えびは、もさえびというそうです。 鰹も地物。日本海でも獲れるんですね。 もっちりした食感でおいしいです。 栄螺もこりこり・・あま~い!

 う~ん どれもおいしいですね。 米もうまいし、汁もすごくだしが出ています。

 板さんが無駄なくてきぱきと動いていて、”魚屋さんはこれじゃなきゃね!(^^)” って感じです。

 ちょっと入ったところにあります。まずたまたまは入りませんね。 最初に出してくれた人、謝!

 満足!

 

 

 海岸風景です。

 祇園祭り 「岩戸山」?

 

 

 岩戸山の下で知らない母子が水遊びしています。

 水は本当にきれいです。

 

 

 白砂青松

 

 浦富(うらどめ)海岸

 澄んだ水

 

 港では、いかののれん作業中です。 一汐で冷えた酒いっぱい・・・

 

 砂丘をはずすわけにいかないので・・・

 

 「見ろ、まるで人がごみのようだ!」(ムスカ)

 

 

 砂丘の東側の山上に摩尼寺というお寺があるようです。

 ”あそこかな”というようなところはありますが、建物は見つけられません。すると行っても眺望は得られないのかな? と寄ってみませんでした。

 

 帰路、西宮北付近事故渋滞10キロ・・・(××)

 だけど、やっぱり夏は海いいですね!

 

 

 

 


夏 涼 原発

2011-08-03 | 日記

今年の夏は現在進行中ですが、去年に比べればとても過ごしやすいと思います。

ここ数日も助かりましたが、今日は“つけ”を払うような暑さでした。

 

私は寺回りをしていますが、特段札所、霊場といったところを巡っているとかの宗教的動機は無いつもりでいます。

 古刹と呼ばれるような寺ともなると、国家鎮護を目的とした官営ないしそれに近いものであり、その当時の最高の技術を惜しみなく詰め込んだ玉手箱のようなものと思っています。

 それに加えて季節の花などがあったりするとあっちもこっちもと見たくなるわけですね。

 

 そして、暑い日がくると涼やかな場所が恋しくなります。

 冷たい清水の流れる小浜天徳寺やこの前行ったばかりの高見山近辺の泰運寺など何度も行ってみたいところです。

 そういうお寺の場所となると「風光明媚」「山紫水明」といった言葉があたると思います。

 

 さわやかさを感じながらも、ふと湧く思いがあります。

 “このまさに聖地といった場所もあの魔の物質が降り積もれば、見た目全く変わらないのに遺棄地となってしまうのだろうな・・・”

 

 旧日本軍には、作戦立案において解決しなければどうしても決行に踏み切れない重要な想定が見つかった場合、これを解決する根本的、絶対的に極めて効果的な方法を持っていたということを聞いたことがあります。

 そしてその方法とは、“そういう想定は起こりえない”と結論付けてしまうことです。

 

 原発というのもこの延長上のような考え方で洗脳、自己暗示的に進められてきたような気がします。

 日本の隣国には、列車が事故すると壊して埋めてしまうようなところもあり、こういうところに原発があると、仮に日本国内に原発が無くなったとしても決して安全ということはないと思います。黄砂でもわかるように風下となる日本は汚染を免れ得ないでしょうが、それでも国内には無いようにしたいものです。

 

 暑いのでガンガンクーラーを効かせたい、そんな個人の事情に止まらず産業の基盤である電気をどうするんだということは当然あります。しかし、そういう人質を取られたとしてもブレーキの利かない、あるいはかけ方のわからない列車は走らせてはならないと思うところです。

 

 なお、仮に原発を全廃したとして、それで平和利用核の危険がすべて解決ということもないようです。一旦稼動させた原発は、その施設自体が核物質化してしまいます。まして使用済み燃料の問題があります。もはや一切電力を生むことがないのに、気の遠くなるほどの将来まで冷却していかなければならないようです。

 原発の稼動だけが前面に出て過小に見られていた問題でしょう。

 

 今後どうしていったらいいんでしょうか?

 暑い、暑いといいながらも国民の一人として考えなければならない課題ですね。