先日、寒さのあまり断念した帝釈天に出向いてみます。
ちゃりです。
お医者に言われて”運動”をすることにしました。
どうせ喉元過ぎれば忘れるんですが、まだ喉にあります。
北千住から結構あります。道路が碁盤の目じゃないんでそれもむずいです。
ともあれ参道。
門をくぐります。
なんとなくお寺というより神社っぽいですね。 連子窓が”あ~お寺”って感じですかね。
ここは彫刻の寺。
お寺に入るのは無料ですが、彫刻を見るのは有料です。
もともと寺の外周を彫刻を保護するために透明板で覆ってギャラリーにしたとのこと。 納得。
まさに雅楽かな。
風神・雷神 はたまた牛頭馬頭?
どことなく童顔ですかね。
迫害もあったんですね。
上の写真と続きです。 火はありがたい。
細かいね~
口の中に朱。 彩色もしてたんですね。
龍は水を呼ぶ、そのもののような・・・
インパクトあるな~
お寺の床下だというのがわかりますね。
コストカットもあるんでしょう。だけど一番は彫刻保護でしょうか? 暖房はありません。足の裏が鉄板または氷というような寒さです。
この渡り廊下の両サイドにも彫刻があります。
庭園を望みます。
ずばりシャンデリアですが、仏教用語では呼び名が違うんでしょうね。
冷えた雰囲気ですね。飯塚の旧伊藤伝右衛門邸に似ています。伝右衛門邸はひいな祭り(ひな祭り)の頃でしたが同じような寒さでした。
日本の伝統建物というのは寒いんですね。
横山大観です。 彫刻の原画らしいです。
お経ですかね。 すらすら読みたいですね。
庭園を出ます。
渡り廊下欄間の彫刻です。
僧が訪れ起き上がろうとしているようです。
同じ人でしょうか? また別の人?
人が寄り、もう起き上がれません。
お別れになってしまったようです。 庶民の記録でしょうね。
安永八年。 安永は名ばかり、明和から天明につながる辛い時代だったようです。
安永年間に新島が出現するほどの桜島大噴火、異常気象ですね。 お別れも飢饉の影響だったんでしょうか?
反対側は旅?
ここだからきっと矢切の渡し? ”曲金の渡し”らしいです。
お宝に与かれますように~
板碑です。 秩父の青石とかいうものでしょうか?
程近い矢切の渡しを望みます。
今も運行があるようです。あまり必要性が感じられないので観光用でしょうね?
”矢切の渡し”? 知っていると年が知れますね。
しかし、連れて逃げたのはどっちでしょう? 私は一応都内に在住しているので逃げるのは対岸千葉という感じですが、江戸に逃げ込むということだったかもしれませんね。
ま~、今じゃ考えられんことですが・・・
雪つりが要るほどの雪はないと思うんですがね。
帰りますが、もう一ヶ所お寺を見ます。
新義真言宗ですね。
古い日本の仏教は真言宗と天台宗、教派としては残るんだろうけど、普通にお寺ということではもうないんだよね。 そう思っていたんですが、特に関東には真言宗寺院が多いんですね。
九州ではほぼ皆無だと思うんですが・・・
このお堂は帝釈天。すぐ近くのお寺です。
権力者だったんでしょうね。
ヒンドウーの川の神サラサーヴァティかな?
ここにサッと入りたいところですね・・・ うなぎうなぎ・・・
うなぎは食えないけどお昼。
ロースの西京焼き、下町らしくご飯はどんぶりめし、完食・・・運動の意味ないね(^^;
因みに
帝釈天 経栄山題経寺
弁財天 石照山真光寺真勝院