昨日は、はらをこわしてしまいました。
朝6時にめしを食って、14時過ぎに昼食、暑いし冷たいビールごくごく、香辛料きかせてがつがつでおなかびっくり・・だったんでしょうね。
て、ことでお城からお寺、そして古墳へと向かいます。
丸墓山古墳の頂です。ここに三成が陣を張ったと・・
お城は? 写っているんですけどわかりませんね・・・!
いまでは建築物も増えて現地でも容易にはわからないんですが、当時は ”鮮明に” というレベルで見えたことでしょう。
この辺で土地の盛り上がりといったらまず古墳じゃないでしょうか。
古墳・・王墓もしくはこれに準ずる権力者の墓。 この一帯は”さきたまの王家の谷” といったところでしょうね。谷じゃないけど・・・
臨んでいるのは前方後円墳の稲荷山古墳。
あの鉄剣で有名な稲荷山ですね・・・ 前方後円形状も良く見えます。
映画で石田堤を築く工事中、埴輪がでてきて無造作に踏み壊してしまうシーンがあります。
実際あったことでしょうね。
ひょっとしたら消滅してしまったものも・・・
標高20メートル程度とのことですが遠望がききます。
この古墳へのいわば”参道”も石田堤の一部なんだそうです。
ここに登ってあらためて思います。 城に鉄砲水ぶつけるのは無理だよと・・
しかし、ここに堤を築いて城を浮かせるというのは成否にかかわらず大変な土木工事であることは間違いないですね。
稲荷山方向から丸墓山(陣地)
稲荷山へ
こう埋葬されていたんだよ! という表示ですね。
盗掘を免れ、よくぞ鉄剣無事だった。
こういうことがあると、宮内庁管理の古墳も掘らせてくれればな~ 腐る前に・・・なんか思いますが、なにせお墓だしね・・・
近畿の庭鳥塚古墳の発掘の現説も行ったんですが、同じような埋葬形式だったと思いますね。
稲荷山後円部から丸墓山。
さて、三重塔を見て帰りましょうか。
その経路上に盛徳寺。 山号は埼玉山。 埼玉というのはもともと狭い地域の名称なんですかね。
古そうですね。
お寺は宗教施設です。 しかし、同時に歴史収蔵庫でもありますね。
変わったお遍路さん? 門番さん? 茂林寺も近いしね・・・
教科書的な板碑ですね。 石は当然秩父青石でしょう?
沙羅です。
この辺は堤防に向けて少し道路高の高いところです。 それでも田んぼの水面が近いですね。 盛徳寺のあたりはすれすれくらいでした。
正面に丸墓山を臨んでいます。
成就院に着きました。
ここの三重塔が見たかったんですよね。
瀟洒な感じでとてもいいです。
しかし、・・・
・・そう、塔を撮ろうとすると無粋なものが写り込んでしまうんです。
ハイテクとの融合と思えばいいんでしょうけどね。
ほらね。
腹へったな~
来た経路で帰ろうかと思いますが、秩父鉄道は1時間1本か2本といった感じです。出たばっかりだと時間もつぶせないしね・・・
自転車便利。 行田市駅付近で借りて、行田駅(JR)でも返せるそうです。
一気に行ってしまいましょう。 ・・っと、駅への標識が少ないです。
現在地がわからなくなりました。 おっと、白バイさん警戒中。
助かった。 親切な隊員さんでした。えらいぞ、さいたま県警。
駅前で件の食事。 あ~あ、こんなのたのんじゃって・・・
しかもこんなにしちゃって・・・ って汁残しただけでもえらいとは思うんだけど・・・
ほんとは、この画はゼリーフライだかのものにするつもりだったんだけど・・のどカラカラだし、はらぺったんこだし・・・ 反省してま~す。血圧下がらんよね。
のぼうの殿様えらい! ばいばい!