お寺ふぁん

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

平林寺 野火止用水

2014-11-30 | 日記

平林寺 野火止用水

 

 下見をしておいた平林寺を再訪します。

 どんな紅葉をするんでしょうね。

 今日は野火止用水散策路から向かってみます。

 この用水が高燥地武蔵野台地を開いたんですね。

 

 雑木林ですが、紅葉も進んでいるようです。

 

 用水の傍らではひなたぼっこです。 野良くんたちでしょうか?

 

 

 ふ~結構あるな~

 おわ~

 やはり人出多いですね。 下衆はつい ”え~と 人数×@500=・・・” などと考えてしまいます。

 まずは総門をくぐる・・

 

 前回からは想像もつかないような鮮やかさです。 昨晩の雨も利いていますね。

 

 

 真っ赤なもみじです。

 

 見飽きません。

 

 

 人出が多いです。

 ですが、寺域が広大なんです。

 

 天然寄せ植えですね。

 

 さわやかです。

 木の根もお化粧。

 

 

 しかし、紅い。

 

 

 

 

 

 平林寺総門を後にします。

 

 施設に入れている母が、進行もあってご機嫌が悪く、施設にも過分な負担をかけているという知らせがはいりました。

 起伏のないこんなところに連れてきて少し歩かせれば、かなり気も晴れるんじゃないかなと思いますが・・・残念ですね。

 もみじを数枚狩って送ることにしましょう。

 

 さすがの人出、今日はごはんがむずそうです。

 忘れてました。

 ここ新座の駅から結構あるんです。 空き腹かかえて・・・

 バスも来るんですが、どう走っているのかわからないので乗れません。

 

 帰宅して寺のリーフをチラリ。

 なんだ、バス便のあった東武朝霞台とJR北朝霞はほとんど同じ駅だったのか~

 

 

 

 

 

 

 

 


北小金 本土寺 東漸寺 紅葉

2014-11-29 | 日記

北小金 本土寺 東漸寺 紅葉

 

 先々週、青葉でした。

 今日は時雨ということはないですが、そんな感じ・・・どうでしょうね。

 

 参道を進みます。

 立派な並木です。歴史を感じさせます。

 

 門前にお土産屋さんが並びます。

 

 そして山門着。

 額縁になっていました。

 

 

 今日は入ります。

 

 きれいですね。

 

 

 

 満足しますね。

 

 

 

 どういうご利益があるのか・・銭洗い弁天様です。

 

 

 

 

 

 今日、明日くらいが一番の見ごろじゃないでしょうかね?

 

 

 ”ワ~きれい!” ”うぉ~!” 感嘆、ため息ですね。

 お客さんも益々増えています。

 

 引き上げますが、お土産店を少しひやかします。

 漬物がおいしそうです。といいながら何の脈絡もなく有平糖を求めます。名物だそうです。

 なめこ汁のふるまいを受けました。

 

 今日は、もう一つ行ってみましょう。

 JRをはさんで反対側、東漸寺です。

 高城氏とともに栄えたとあります。北小金城は戦地にならなかったようだと前に書いたんですが、どうも兵火があったようですね。

 

 ここも額縁。

 

 

 こちらは静かな佇まいです。 天気のせいもあるんですかね。

 

 石の仏さま。 「延宝」の年号が刻まれています。 「延宝」は、生類憐令の頃のようですね。 大きな地震もあったようです。

 

 

 

 境内で芋煮会が催されていました。

 地元野菜を使った100円、これは安いですね。

 なめこ汁の接待も受けたし・・雨が来そうで少し悩みましたが、食べました。うみゃ~

 

 震災などで打ちのめされたときに食べれば、また立ち上がれそうな味です。

 表現おおげさですが、まんざらじゃないですね。 昼間からえへへ(^^; ・・は200円

 

 雨です。それも結構な・・・

 あすはどうしましょう・・・

 

 

 

 

 

 

 


滋賀 湖東三山百済寺 紅葉 大阪夜景

2014-11-24 | 日記

滋賀 湖東三山百済寺 紅葉 大阪夜景

 

 琵琶湖東岸に湖東三山があります。

 北から西明寺、金剛輪寺、そして百済寺(ひゃくさいじ)。いずれも天台寺院です。

 これに禅宗(臨済宗)の永源寺を連ねて紅葉を狩りまくる人出が多いですね。

 

 途中、不謹慎。 運転席からパチリ・・・ベタどまりです。

 交通情報はここまでなかったのに・・・ ちなみに道の先のとんがりが近江富士、新幹線からも良く見えます。

 百済寺は、聖徳太子の創建とも・・・すると百済はずばり”くだら”でしょうね。

 ごったがえすといっても人は京都ほどのことはありません。しかし、車はなかなか停められません。

 ともあれ山門。

 

 百済寺には石段に沿って多数のテラス状平面があります。

 完全に人工的な”削平”です。

 その各段にかつて数多の堂宇がひしめいていたとか・・・

 なにも残っていないのは・・・そう、あの”うつけ殿”が完全破壊されたとか・・・おそろしい人だね~(^^;

 

 そんな過去など置いといて・・二人して来し方を語れるというのは美しいことだね。

 

 

 庭園を拝見しましょうか。

 

 紅葉は障子によく映えます。

 

 

 

 

 今年もいい色になりました。

 

 ここからの眺めは天下を眺めるものだそうです。

 超巨大城郭観音寺城、その琵琶湖側ふもとに安土城・・天下・・・ふむふむ・・

 

 本堂です。

 

 

 生命を感じますね。

 

 ご本尊は十一面観音です。

 

 ”かえるまた”にほのかに彩色が残ります。

 

 

 鐘の音は仏の声、多くの人が鐘をついて祈りを捧げます。

 私は並びません。

 ”世界が平和でありますように” ”家族が健康でありますように” そこまでなら並んでもいいんだけども・・・

 やっぱ祈っちゃうもんね。 ”◯億円当たりますように!” ご~ん(^^;

 

 弥勒菩薩。 ご表情が・・・

 

 

 

 今はあちこちにあって珍しくない・・とご参拝のご婦人がおっしゃってました。 あんたのために植えたんじゃ・・・また要らんことを・・

 

 

 桐の意味はなんでしょうね? 経の巻にお止まりのご婦人も早く産卵しないと・・名前はチサ◯というんじゃ・・・時の人だもんね。

 

 

”あんたなにやってんのよ~” ということでもないような・・

 

 

 秋が深いですね。

 好天が続きました。新幹線で隣だった横浜からのお嬢さん、今の時期京都を訪れる何万、何十万という中の1人に過ぎないんだろうけど楽しめただろうね。きっと・・

 

 帰りの渋滞が心配で太郎坊へは遠慮しました。

 黒丸パーキングから正面に見えているんですね。

 参道からは完全にピラミッド型に見えます。

 ローマにはうそつきが手を入れるとはさまれてしまう顔があるようですが、ここはもっとすごいです。

 狭い岩の割れ目を抜けて参拝するのですが、うそつきが通るとその割れ目が閉まってしまうのだとか・・・

 ・・・通っちゃいかんね・・

 

 帰ってから大阪の夜景を撮りに行ってみます。

 cx3 もう売ってないカメラですがお気に入りです。

 腕も棚にあげてだけど、やはり光が少ないときには表現力足りないかな・・・

 

 もうクリスマスですね。

 

 

 

 

 

 


長谷山本土寺 大谷口城 シーベルト

2014-11-16 | 日記

長谷山本土寺 大谷口城 シーベルト

 

 本土寺を昨年訪ねたのは確か勤労感謝の日

 今年は連休だし、主治医の先生のところで検査を受ける予定にしたので、1週くらい早いかな・・? と思いつつ訪ねてみました。

 

 ありゃ~ 早いです。 1週どころではなさそうです。

 

 やっと少しというところですね・・・

 

 

 入らずに帰りましょう。

 

 では、また。

 

 

 本土寺の近辺には近世の城跡が多いようです。 大谷口歴史公園も城址ということですから行ってみましょう。

 

 800メートル・・・どんどん下ります。

 窪地には城は造らないだろうけどな~? と思いながらもう少しと歩くと・・ありました。小高い丘。 あれに間違いないでしょう。

 お寺の屋根も見えます。 輪違紋ですね。 これって真言宗だったかな? 長谷寺系の豊山派?

 

 

 公園の入り口、気になるものが出ています。

 シーベルトですね。 シューベルトだったらなんでもなかったんですが・・・

 表土層に積もったものは雨水等により流されるそうです。それで薄くなるようですね。

 すると流された先、雨水の集積するところは異常値ほどの濃密汚染があることも・・・

 せめて肉眼で見えるものならなんとかできるかもしれんけど・・ ”神の火” はおいそれと人の知力を寄せ付けないようです。

 

 

 

 遺構に来ました。

 

 

 

 確かに畝の跡か。ずっと見せてもらいたいところだけど、保存も必要だね。 土の構造物・・むずいですね。

 

 

 

 

 勉強になりました。

 城の縄張りからどの勢力に属していたかがわかるそうです。

 自然地形をたくみに利用して多彩な人工物を配置する、これは北条系だそうです。 古文書からも城の造りからも領主高城氏は北条系だったと・・・

 この辺は起伏があって実戦用の築城に向いているとか。

 ここは、直接戦地にはならなかったようですが、国府台の合戦に参加していたんですね。

 

 何気ない風景の中に歴史が埋もれているのを見ました。

 (歴史公園至近)