行きたいとずっと思っていた臼杵城址。
桜の名所でもある臼杵城址に、昨日(3日)小雨の降る中行ってきました。
いただいたパンフレットを少し読んでみました。
臼杵のお城は、キリシタン大名、大友宗麟が、本拠地である大分の府内を離れ、臼杵湾に浮かぶ丹生島の岩上に丹生島城(臼杵城)を築いたものです。
当時は、周りを海に囲まれ天然の要塞であったそうですが、現在、海は埋め立てられ、官公庁や銀行なども近い臼杵市の
中心地となっているようです。
岩上に築かれたと言うお城に登って行く道は、岩の掘り割りで、りりしくかっこいい!外敵を防ぐため、岩を掘り切って造った狭い道なのです。
お堀も、岩を掘り割ったものか?今は水鳥が、のどかに浮かんでいます。
臼杵城は、大友氏の滅亡後、福原氏、太田氏と受け継がれ、その後1600年から廃藩置県まで、稲葉氏が、15代にわたりここを居城とし臼杵藩を治めました。
城址は公園となっていますが
畳櫓などの櫓や、豊臣時代の雰囲気を伝え 現存する天守台石垣では2番目に古いと言う、石垣も残っていました。
こちらは本丸と、二の丸を隔てる空堀(からぼり)です。
ここの桜は少しピンクが濃い感じです。ソメイヨシノで、ほぼ満開でした。
臼杵市を囲む山、こちらも山桜が、いっぱいで驚きます。そばに行ってみたいです。
北側に広がる海には、おにぎりの形をした津久見島が浮かんでいました。
津久見島と言う名前のため津久見市になるのでは?と間違えそうですが、臼杵湾、臼杵市なんですね。
桜の名所でもある臼杵城址に、昨日(3日)小雨の降る中行ってきました。
いただいたパンフレットを少し読んでみました。
臼杵のお城は、キリシタン大名、大友宗麟が、本拠地である大分の府内を離れ、臼杵湾に浮かぶ丹生島の岩上に丹生島城(臼杵城)を築いたものです。
当時は、周りを海に囲まれ天然の要塞であったそうですが、現在、海は埋め立てられ、官公庁や銀行なども近い臼杵市の
中心地となっているようです。
岩上に築かれたと言うお城に登って行く道は、岩の掘り割りで、りりしくかっこいい!外敵を防ぐため、岩を掘り切って造った狭い道なのです。
お堀も、岩を掘り割ったものか?今は水鳥が、のどかに浮かんでいます。
臼杵城は、大友氏の滅亡後、福原氏、太田氏と受け継がれ、その後1600年から廃藩置県まで、稲葉氏が、15代にわたりここを居城とし臼杵藩を治めました。
城址は公園となっていますが
畳櫓などの櫓や、豊臣時代の雰囲気を伝え 現存する天守台石垣では2番目に古いと言う、石垣も残っていました。
こちらは本丸と、二の丸を隔てる空堀(からぼり)です。
ここの桜は少しピンクが濃い感じです。ソメイヨシノで、ほぼ満開でした。
臼杵市を囲む山、こちらも山桜が、いっぱいで驚きます。そばに行ってみたいです。
北側に広がる海には、おにぎりの形をした津久見島が浮かんでいました。
津久見島と言う名前のため津久見市になるのでは?と間違えそうですが、臼杵湾、臼杵市なんですね。