あなたは
いつ死んでもよいと
思っているのでしょう
と呼びかける声がした
京都の古本屋さんで全集を買い
小野十三郎の『大阪』『風景詩抄』『大海辺』
を読み返していたのだ
小野の「葦」とはなにか
近代西洋に陵辱される
母としての「日本」である
小野のことをアナーキストだと
今なお詩壇は思いたがっているが
正確な意味でリアリストであった小野は
その身振りで詩壇を渡るよすがとしたのではなかろうか
そのことを見抜いた秋山清は
彼のことをニヒリストと呼んだ
彼の反戦反権力思想を疑うことはできないが
天皇と浪花節と富士山のきらいな
変わり者の愛国者ではなかったか
私はかぎりなくこの荒漠を愛し
水の中や大気の中に
それとなくゐる
ふしぎな妖精のやうなものを見た。
日本の重工業はそれでも五十年は―
(いゐんですよ。
お父さん。つづけて下さい。)
五十年、少なくとも五十年はね。お前。
おくれてゐたんだよ。 (『大海辺』より「夕暮れの芦原で」)
小野さんの本音、つまり多くの日本人の本音であったものを
ついに探り当てた気がした
小野さんの詩ではじめて泣けた
あなたは
いつ死んでもよいと
思っているのでしょう
と呼びかける声がした
顔をあげてもなお
葦の地方であった
首をぐるぐるまわした
五十年、少なくとも五十年はね。お前。
おくれてゐたんだよ。
と妻と呼ぶと恥ずかしいひとにおどけてみた
分厚い本から顔をあげては
首をぐるぐるまわしている
顔をあげてもあげても
葦の地方である