近年目覚ましいネットコミュニケーションの発達により、
「コトバの生態系」がすっかり様変わりしたように感じます。
行き交う言葉のめぐる循環系が・エコシステムが、フィールドそのものからして
スフィアが途方もなく広がったように感じるのです。
「共有」の巨大化 … 広範瞬時にして
「発信」の民主化 … 誰もが有名人に
「言動」の閻魔帳化 … 忘却できない十字架社会
「言論軸」のライブラリ化 … 相対化の果てに勝者なきトリバゴ
「なんかおもろいこと」のシャワー化 … 離脱させないインターフェース
われわれを取り巻くアーキテクチャー環境の変化や
身分の流動性が再び失われたことによる生得的社会化・ダイナミズムの変容による言論の有名無実化
などが力学的フェイズ・シフトをすでに済ませていて
メタ/風 の両面で戦略再考を迫られている分水嶺に来ているのかもしれません。
かつて新奇な言葉というのはビブリオ書物から、お上(権力・メディア)から、アスリート/凄腕経営者/前衛芸術家から、あるいは遠い外国から、拝して戴く
非常にありがたーいものであったのかもしれません。
しかし今では、辺縁の者のディスコミュニケーションから、日陰者の青春の残滓から、抑圧された者の口をついて出る呪詛から
あるいは逸脱を良しとする小心者のアウトローから
次々にハッとさせられる言葉が日夜生まれ、たちどころに消費・喚起されて
瞬間湯沸かし器のごとく賑やかしたのちに3ヶ月後にはまた新しい言葉に興味が新陳代謝して通り過ぎていくものであります。
まあ最近では「コトバの力」の衰えや喪失、軽薄化や逆に極端な濫用に打ちのめされて嘆くばかりで
昔ほど言葉や論理というモノへ過剰な期待や幻想を抱くのはやめにしよう、という心持ちに落ち着きました。
(このへんの事は過去記事)
レトリックの陰謀論 - P突堤2
(↑記事中にて愚文をつらつらと書き連ねています 興味のある方はリンクからどうぞ)
そんなムツカシイの全然カンケーないよっていうネット文化にまだ毒されていない、健やかな人々も多数いるのを見て安堵していますが
何の因果か日夜言葉を集めまくっている自分の深い"業"というものに「もののあはれ」としか形容の仕様がない感情を覚えます。
……
そんな話はさておき、もっとカジュアルな観点でコトバのスフィアを眺めてみましょう。
ネット流行語の類いを、リアルで使うということはまあないんですけれど、だからと言って嫌悪感で距離を置く、ということでもないですし
率直に言えばこのまま生ぬるくウォッチしていきたいというのがあって相反する態度心情にに合理的な辻褄を合わせるためにというのか
自分を第三者的な"観測者""俯瞰者"のポジションに立脚させておいて悦に浸るという
…いやはや恥ずかしや、これじゃ体のいい自家撞着ですね。
そんな矛盾を抱えた「市井のことばウォッチャー」の視点から見た最近の流行語・ネットミームの分析のご登場というわけであります。
「分析分析ィ!」
「いや違う、ことばウォッチャーはここにいる!」
「いやむしろ私が」
「俺も俺も」
「一億総ことばウォッチャー時代の到来」
「なんだか俺が日本のような気がしてきた」
「俺が文化だ」
「はじめに言葉ありき」
「むしろコトバの布団にくるまれて眠りたいだけの人生だった」
はいここで調査項目をドン!
結果はコチラ↓
調査期間:2022年9月27日-9月28日
1.強い言葉 451
2.実家が太い 79
3.おじさん構文 711
4.ちくちく言葉 215
5.人権すぎる 8
6.アーニャ語 13
7.などしてる 147
8.しか勝たん 999+
9.控えめに言って 999+
10.誤変換 388
次々に現れては消えていくネット流行語の数々…
個別のヒト、流行りもの、巷間トピックのポインタ語(対象をズバリ規定する言葉)というのではなくて
様々な文脈で展開範囲が広い、文法性を持つ、文法特異性をもつ、使う人の微妙な心理が見え隠れしている
などなど「言語現象として」面白いものを独自の判断で10個ピックアップしてみてキーワード定点観測してみました。
【各キーワードの解説】
強い言葉:主語が大きい、過剰な一般化、白髪三千丈。気をつけたいところです
実家が太い:肯定的文脈にも否定的文脈にも使われる
おじさん構文:おじさんは連想能力が高いとチコちゃんに叱られるで聞いたことがある
ちくちく言葉:マウントゲームよりも思いやり
人権すぎる:天使すぎるよりもっとすごいのがでてきた
アーニャ語:アニメ2期始まったね。ミッションコンプリート!
などしてる:私の懸案はサテライトなのですわよ
しか勝たん:Only 〇〇 Winsだね
控えめに言って:逆誇張のレトリック
誤変換:流行語というよりも、誤変換ネタに寄りかかって認知/フックを広める手法、あり方
最近では関心対象の多様化・細分化によってミームも小粒化・タコツボ化しているなーというのが全体を見た観なのではありますが、
もっと広く、そして異なる世代層の間でも共有できる「大きな物語」はもう失われてしまったのでしょうか。
「巨人・大鵬・卵焼き」
そんな牧歌的な言葉の風景が50年前の日本には確かにありました。
そんなことも振り返ってみて草稿を書きあげるのと時同じくして、
一時代を作った燃える闘魂・アントニオ猪木さんが死去したという報が入ってきました。
このお方もリングの外においても大きな物語に連なる世相の言葉を残された方ですね。
道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ!
中途半端に年取ると、こうしたまっすぐな言葉にめっぽう弱くなる。
言葉に力があるっていいことですね。
最後はしんみりしてしまいましたが、流行語は世を映す鏡。
今後もコトバの動向に注目して、もっと勉強して語彙力をアップさせていければ良いな…と思います。