パエ-リャ

木製カトラリ-

ビサ-ヤ紀行-デュマゲテからマクタン、セブへ、ネグロス(12)

2016-09-06 07:10:10 | Weblog

デュマゲテを午後4時過ぎに出発したオ-シャンジェットのフェリ-が、セブの第一ピアに戻ったのは既に9時を回っていた。

そこで問題になるのは、その晩のホテルにどうやってたどり着くかと、ホテルから夜中の12時過ぎにどうやって空港まで移動するか、だった。ダバオから空路マクタンに来て、すぐに飛び乗った渡し船フェリ-は朝の6時から夜の10時まで運航しているのはわかっていたが、あまり乗り気にならなかった。

何故なら、仮に向こう岸に着いても、そこで再びトライシクルなり、タクシ-でホテルまで移動する必要があったのが、何となく面倒だったからだ。問題はホテルの位置だ。地図を示す。

このホテルは時間をかけて選んだもので、最初は悪い選択ではないと思っていた。マクタンの渡し船フェリ-まで、トライシクルならそれほど遠くないからだ。直線距離は1km弱なので、実際にはフェリ-から2kmはあるし、とても歩ける距離ではない。

熱帯では1kmを歩くのはしんどい。前にダバオの下町で小学生が学校の帰りに一人でトライシクルに乗っている何度も見かけた程だ。

ホテル近辺のパノラマが以下になる。 https://goo.gl/hhBNPC

     

中のレストランも悪くはないし、 https://goo.gl/maps/Tt49F4QrNY32 

           

外テ-ブルだって、全然悪くない。 https://goo.gl/maps/7Ad6toMZjYG2

フィリピンのホテルには何度も泊まっているが、外にテ-ブルが置いてあるのは初めてで、昼間ビ-ルでも飲むには良いかもと、着いた時に思った程だ。

ただ、設備的には部屋がとても小さかった。

でも、エアコンは十分に機能していて、素晴らしかったし、1泊2500円程度なので過不足はなかったと思う。つまり、このホテルをマクタンの渡し船フェリ-への基地として捉えていた訳だ。

食事だって、悪いとはとても思えなかった。

               

           

デュマゲテと比べれば、ほとんど半値なのだから。然も、ラザニアや、パエ-リャなど、フィリピン的でなくて、非常に好感が持てた。

問題は、このホテルで、夜中の12時にタクシ-を捕まえられるかだった。マクタンではタクシ-は24時間営業だとは4月に来た時にも確認してあったし、今回も同じことを言われたので、夜中に空港に行けないとは全然思わなかったが、捕まえてもらったタクシ-に結局、300ペソ払うことになった。

フライトは翌朝の5時50分だったので、いくら何でも、真夜中に起きてタクシ-を捕まえるなら、いっそのこと12時に行って、空港で仮眠するほうが乗り遅れの心配もないだろうとの読みだったからだ。

ところが、セブに戻ったのは既に9時を回っていたし、渡し舟フェリ-は10時が最終便だと分かっていたので、結局セブの第一ピアからタクシ-でホテルに直行することに決めて、そのためのコストは、400ペソだった。 

結局、700ペソ払ったわけで、邦貨にすると2千円位になる。だったら、空港に歩いて数分で行けるとネットでは出ている、冒頭の地図の Waterfront Airport Hotel & Casino が、確か5千円位なので、そちらを選んで置けば良かったような気もするわけだ。多分、韓国人や中国人がうざいだろうが。

直観的には、結局、ホテルに着く時間の問題だろうと思う。このホテルはマクタンの渡し船フェリ-には最適だと判断しての予約だったが、周りは特にどうということもない地域なので、今後の事を考えると、もう一度ホテルを検討する必要があるだろう。

日本からのフライトがマクタンに着くのは大抵、午後の4時頃なので、矢張り空港の近辺に泊まりたいとの思いは強い。無理をして、その日のうちにセブ側に渡れないことはない。が、あそこはゴミの町だ。なんかかんかあって、着く頃には真っ暗になるだろうから、4月がそうだった、ならば、明るいうちにマクタンのこの辺を散歩した方が余程よい。 

12時過ぎに空港へ移動する途中で エアポ-トホテルの前を通り過ぎた。

      

複雑な思いだった。で、空港での仮眠はベンチさえなく、

      大抵の人は床に直接寝ていたので、自分も躊躇なく同じようにした。バックパックを枕にして、実際に寝てしまったので、ここから先にはチェックイン時間まで入れないと言った、近くの警備員が起こしてくれたほど、問題なく快適に仮眠できたのは新鮮な驚きだった。

つまり、この場所から先には進めないのだった。フライトの2時間前にならないと。

これに先立って、改めて外国の空港は不親切だと思うことがあった。それは空港税の支払い場所が閉まっていたので、別の窓口で聞いたら、(結局)別の2か所目の窓口が少ししか離れていない、そこからは見えない場所にあったのが、日本だったら教えてくれるのが普通だが、マクタンでは違った。

別の窓口の場所を知っている、知らないの問題ではなく、自分の窓口の管轄でないことが理由だ。そもそもスマホで遊んでいる状態で、どうにもならない。国の豊かさも、そのような事に関係するとは思わない国民性なのだろう。

ビサ-ヤ紀行はこれで完結した。現在は、フィリピンとマレ-シアの治安を注視している段階で、次回はジャカルタに飛んで、アンボンに行くことを試みるか、あるいは、気乗りはしないが、ベトナムかタイ辺りにでも行ってみようかと考えている。11月位にずれ込んでしまう可能性が高い。10月は別荘でのBBQもあるし、物置の本格的な修理作業もあるからだ。

あるいは、危険はあるが、1っか月ほどダバオ郊外の村で過ごして、家のリフォ-ム作業に没頭することも考えている。 

 


Abu Sayyaf の脅威について

2016-09-05 17:23:19 | Weblog

最初の警告はコタキナバル在住の欧米系の知り合いから数日前にもたらされた。

カナダ人が誘拐されて首を切られたと。結果的にマレ-シア領ボルネオ東部海岸一帯に赤信号が出ているので、詳細はググレと言われたが、正直ピンと来なかった。つまり、サンダカンからタワウに至る路線はやばいと彼は言う訳で、フランス大使館情報らしい。

もし、誘拐されると、そのままフィリピンのス-ル-地方に連れていかれて、アウトだと言われた。アブサヤフだと。なので、それなら、もし、ボルネオに行くならキナバル山の麓で遊んで、レンタカ-でボルネオ最北端の町、Kudat に足を延ばせば良いかもとか言ったら、とんでもない、クダットも完全赤信号で、日本大使館も赤信号を出している。安全なのはサラワクしかないと、

問題は、この辺の情報は新聞とかには出ていないことだ。数日前にダバオで大規模なテロがあった。それは日本の新聞に出たが、その直後に同じミンダナオの Cotabato で起きた、6人が殺されたテロのニュ-スは、ミンダナオ北部に住む現地人の知り合いから Whatsapp で知らされた。日本では知られていない。

ダバオ近郊に住む別の現地人情報では、実はダバオはジェンサンの可能性もあったと。誘拐された18歳のフィリピン人少年の家族が、身代金を支払えなかったので、その少年は首を切られ、デュエルテが報復に軍隊を差し向けて、逆にフィリピン軍に20人近くの死者が出ていることも、日本ではニュ-スになっていない。

地図で示してみよう。

赤い帯の部分はすべて、やばいことになっている。General Santos では一人の少年の首が切られ、結果的に20人近くの兵士が死んだ。ダバオでも爆弾テロで15人近くが殺された。コタバトでも爆弾テロで6人が殺された。すべて、過去、数日間の話で、日本のメディアにはほとんど出ていない。

長い矢印の箇所は、先月末にタクシ-でダバオからダピタンという、デュマゲテにフェリ-でわずか1時間の港町に行く時に通過しただろう場所で、ダバオのタクシ-運転士が怖がって拒否した場所だ。既に、現地人の間では衆知の事実だったのかもしれない。

実は、自分の現地人知り合いは、まさにこの場所に住んでいるので、正確な現地情報を提供してくれている。

問題は、自分の見るところ、デュマゲテにある。と言うか、そもそもの話はミンダナオの歴史にある。スペイン人がフィリピンを植民地にしたのは、良く知られているが、実はミンダナオはイスラムの支配下にあって、スペイン人も手を出せなかった経緯がある。

General Santos が良い例で、別に、サントス将軍というスペイン人の将軍がいたわけではない。今世紀初頭だと記憶しているが、北部のルソン島で飢餓が(根本的な理由は大地主の搾取だ)起きたときに、ミンダナオに飢える住民を連れて移住して、飢餓から一部の住民を救った首領のあだ名が将軍だっただけの話だ。

つまり、イギリスでケルト人が僻地に追いやられたのと同じことがイスラム系住民に起きたので、南部や出っ張り部分にイスラム系の住民が集中している。その結果、第二次大戦の直後には、これらのイスラム系住民が、北ボルネオは彼らのものだとして、占拠して局地的な戦争がオ-ストラリアを巻き込んで始まり、結局、フィリピンのイスラム側が敗北した経緯がある。

つまり、サンボアンガとかジェンサンあたりのイスラム系過激派には国境の概念はないので、カナダ人を誘拐して首をはねるのは当たり前と言える。中東の過激派とは、本来は無関係だったのだ。

で、いきなり、バングラデシュに話は飛んでしまう。日本人が殺された。学生に、しかも、ある程度裕福な地元の学生に、だ。戻って、デュマゲテ、そこはフィリピン最大の学園都市でもある。が、場所が悪い。どう考えても悪すぎる。ダピタンの港からわずか1時間で行けてしまうのだ。

デュマゲテの町の学生の中に、10人の確信的な思想を持った学生がいれば、テロや誘拐は成立してしまう。実行犯は、その半分の人数で事足りるからだ。だから、デュマゲテは既に怖いと思う。爆弾テロは起きないだろうが、多分、誘拐は大がかりな必要はないので、相当にやばいと言えるだろう。それどころか、セブだって、相当やばいかもしれない。無知、無防備が最大の原因になるのだろう。

こうなると、一体、フィリピンの何処が安全かと言う話になってしまう。メトロマニラは問題外の外だろう。素朴に考えると、レイテ島か、台湾に極近い、バシ-海峡の島かな、と思ったりする。

その一方で、本当かよ、と自問する自分を見出している。


パン切り台のデザインと試作過程 (4)

2016-09-05 11:35:30 | Weblog

現在進行中の作品がそろった画像が以下になる。

 乾燥中のクランプが付いているものも、やろうと思えば今日中に仕上げ段階に入れるが、実際には明日にずれ込むだろう。

なので、次の準備に取り掛かっている。

            
これはブナの材で、通常は3m近くの長さの1枚板を購入して使うが、もう80cm程しか残っていない。また、買いに走らなければ。で、パン切り台の試作品を見て、これでいけるのではと思い始めている。400mmx18mmx180mmだ。

ランチョンマットの事もあるので、並べてみると次のように見える。

 画像の関係で奥行きがより長く見えるが、実際には横幅より、約40mm程少ない。で、これも、こんなものなのか、と思う。厚みを10mmで押さえれば、テ-ブルに置いても、それほどの高さは感じないだろうと、まあ、変更するとすれば、横幅を450mmに取って、奥行きを340mmに抑えることかもしれないが、半端な部材が出来てしまうので、どうだろう。

市販のランチョンマットを見てみたい。ネットで調べると、330mmx430mmが平均だと出ているが、既に我が家にあるものを測ってみると250mmx350mmしかないが、普段特に不自由に感じている訳ではない。近くのモ-ルを覗いて見つけたのは400mmx450mmだったが、布製なので参考にはならない。

なので、400mmx300mmで作ろうと、試作だけれど、思う。それで良いのではないだろうか?皆で取り分ける大皿を乗せるわけでもないし、明日から試作にかかろうと思う。恐らく、100個近くの独立した穴を開ける精密作業の前に、穴の位置を確定する作業があるので、膨大な作業用になる。たった1枚のマットでの話だ。

こうなると、もう宮大工の世界に近いと思う。ちなみに、次の画像は前に加工したパン切り台だ。

我ながら感心するのは、小さいので部材の厚みも薄く加工している事だ。大したものだと思う。自分の直感的な判断を尊重する所以でもある。小さなものは耳かきサイズのスプ-ンから、大きなものは家まで、直感的な判断で作るのが自分のやり方だ。


ビサ-ヤ紀行-デュマゲテの町中からセブ、ネグロス(11)

2016-09-05 06:01:20 | Weblog

デュマゲテを出港したのは午後の4時過ぎだった。

今年の冬用の視察に立ち寄っただけだったのに、なんとなく懐かしさが残るデュマゲテの町が後方に見えている。 改めて背後の山が高いと実感した。

      

   右に見えているのはシキホ-ル島だ。                             アポ島も遠くに見える。右の陸地はネグロス島の一部だ。この時の動画が次になる。

https://youtu.be/eoMeq3Ijn-0

時速30km程度は出ていると思う。

ここで、再度セブ島から出ている高速フェリ-の話をしておいても悪くないだろう。セブのマクタン空港に着いて、そのままマクタン島のリゾ-トに滞在するとしても、片道2時間でセブの第一ピアから行けるボホ-ル島に行く人は相当数いると思われるからだ。 この画像はタグビラランで見かけた Super Cat というオペレ-タ-の高速ボ-トだが、造りは同じだ。大多数の客はセブ-ボホ-ル間の旅で500ペソを払って、エアコンの効いた非常に退屈な1階席に入る。座席指定だ。250ペソは推測だ。

(もしかしたら、ここも500ペソかもしれない。セブからボホ-ルのタグビラランまで片道2時間、更にデュマゲテまで片道2時間で、合計1000ペソ近く払うので、それからの推測でしかないが)

1000ペソ払うと、2階前方のキャビンになる、このキャビンに入るには1階席の中にある階段を昇るか、あるいは2階の暴露キャビンとの境にあるドアを通ることになる。でも、後者のドアはいつも閉じられている。

なので、このボ-トが転覆したら、1000ペソ払った乗客は助からないだろう。一番安全で、快適なのは2階後部の暴露席だ。エアコンはない。

窓に注目してほしい。黄色の枠も、緑色の枠も色付きのプラスチックの固定窓だ。つまり、開けることは出来ないので、外の景色は見えない。ひたすら騒がしいビデオを見る他、2時間の間、やることがない。

暴露席は少し、事情が違う。この画像のボ-トは後部にオ-ニングがかかっているが、通常は開け放たれている。今回は、この2階の暴露席の左右の窓がどのように運用されているのか、初めて見ることができた。途中で10分ほど雨が降ったからだ。

   この画像はオ-シャンジェットの2階の暴露キャビンの窓だ。下側の窓はプラスチックの固定で、開けることはできない。その上に巻き上げが可能なキャンバス地の布があって、10か所ほどに紐が付いていて、普通は巻き上げてあるので、風が通り、エアコンなしでも快適な2時間になる。後部は完全に開放されているので、素晴らしい、本当に素晴らしの一言だ。

で、雨が降ると、乗客がこのオ-ニングを自分たちで下すのだが、ひもが欠落していたり、長さが不十分だったりするので、うまく再巻き上げが出来ない場合が多い。

 用意の良い人は、どこにでも必ずいるものだ。

2階の暴露キャビンにやってくる人は多い。眺めがよいし、寒くないし、中には自分のキャビンに戻らないで、そのまま居ついてしまう人もいる。何故か、往復ともニワトリがいて、時々大きな声で鳴くのが理由だろう。

        

動画もある。以下だ。https://youtu.be/JDtR0MCxJaQ

タグビラランはボホ-ル島の港だ。近づいた時には未だ明るかったが、この1時間後あたりでは、既に暗くなり、オレンジ色の照明が町全体を覆っているのが遠望できた。それほど、町の規模が大きいと言えるのだろう。

              遅れがあったので、大急ぎで荷物の積み降ろしをしていたのが次の画像になる。

       

 

この先は、ひたすらセブの第一ピアに戻る2時間強の船旅なのだが、途中で今後重要だと思うことに気が付いた。

20代前半で日本からロッテルダムまで喜望峰周りの客船に乗ったことがあるので、水平線の距離は覚えている。20m位で20km以下だ。オ-シャンジェットの暴露キャビンは10m位だろうから、見えるはずの水平線はそれほど遠くない。なのに、タグビラランを出て、約1時間半以上も左側は暗黒のままだったのだ。

ちなみに、南十字星は南半球でしか見えないというのはウソだ。確か、香港あたりから見え始め、アフリカの喜望峰を回って、象の耳の辺りまで見えていた記憶がある。

左にはセブ島の南部が延々と見えているはずだった。それが見えないのだ。振り返るとタグビラランはずっと見えている。段々と小さくなるけれど、明るいオレンジ色の町は視認出来た。スマホのナビもセブが近いと言っているのに、明かりが一切みえないのだ。

つまり、結論としては、光を出す村落なり、町がセブ島の東海岸沿いのはないのだ。ネグロスが不調なら、セブの南部でも良いと漠然と考えていた。タグビラランは私に言わせれば小さな町だ。それに、右側にあるボホ-ルの西側には、そこそこに町の光が、小さくて、とても弱弱しいけれども見えている。

どんな感じか、推測はできる。4月にさんざんバイクで走り回ったからだ。すべて町でなく、田舎の商店街程度の規模だ。それでも光は発しているのに、セブ側には光がない。つまり、滞在には適さない、超過疎の地が延々と続くのがセブ島の大部分だとわかる。

あんな所にはとても滞在出来ないだろう。まともなホテルがあるとはとても思えない。人は、セブ、セブと騒ぐが、セブ島の大部分にはセブは存在しない。だから、前々から思っていた、セブ島とは実はマクタン島のことだろうとの推測が、矢張り正しかったと思う。

で、マクタンほど退屈な島もないと思う。マルタや種子島とまるで同じだ。町の明かりが見え始めたのは、セブの港に差し掛かる30分ほど前からだ。圧倒的な大きさで見え始めた。さすがに、フィリピン第二の大都市だと感じ始めていたが、ここで小さな問題に気が付き始めていた。 

この後は、マクタンへの移動と空港の話になる。それでお仕舞だ。

 

 


パエ-リャ 139

2016-09-04 09:14:00 | Weblog

Conchita, como estas?

Aqui hoy, hace mucho frio, pero hace sol...
Nevo toda la noche en el norte. En esta epoca
solo amanece hacia muy tarde de la manya-na.

Pues, vamos?

遠隔教育
la educacion a distancia

時間取られるわよ!
Te quita mucho tiempo!

どうのこうの(DK)、で、然もいつも具合よく
終わるとは限らないのよ!

DK, y ademas no siempre resulta bien!

こんなに年月がたったのに
al cabo de estos a-nyos

仕事を家族と両立しなければダメよ!
Tienes que conciliar tu vida labral
con tu familia!

道が上り坂になる
el camino se vuelve cuesta arriba

色んな理由で、動機で
por los motivos que sean

仕事と家族生活を人生の同じ時期に同時に
こなすのよ!
Tienes que mezclar trabajo y familia

en un mismo periodo de tu vida!

パ-トの仕事
las jornadas a tiempo reducido

労働の分野では
el el ambito laboral

DKのための時間を見つけるのよ!
Tienes que ganar tiempo para DK!

他方では
por otra parte

Conchi, bastante para hoy, y vamos ingles!

最後まで話を聞いてよ!
Just hear me out, please!

今、ちょっと急いでいるのよ!
I am in a bit of a rush at the moment!

彼女は遠くのほうに去っていったの!
She finally disappeared in the distance!

今からずっとよ!
from now until forever!

DKみたいな人達には不親切なのよ!
They do not take kindly to people like DK!

十分安全って、どの位安全なの?
How safe is safe enough?

私、朝から晩まで働いているのよ!
I work day in and day out!

大体は偽物よ!
Many of them are fakes!

結果が素晴らしいのでうっとりしちゃうわ!
I am ecstatic with the results!

ブラブラ待ってることね!
You will have to be waiting around!

Conchita, enough for now. Take care!




パン切り台のデザインと試作過程 (3)

2016-09-04 06:54:29 | Weblog

現在行われているのは、あくまでもパン切り台の諸元を決める作業で、要素技術の改良も同時に行われているが、同じ作業を多くこなす事で得られる知見も多い。

     この画像は別荘で、独力で家を建てた時に使った重作業用のクランプが、このような軽作業に不適だとの判断で、急きょ新しいクランプを買いに走って、2基目のパン切り台の固定作業に使っている場面だ。

ここでも、今日は、このような小さなクランプの使い方と、全体の手順に関して知見があったのは言うまでもない。

昨日使ったクランプは、 この家を完全に独力で建設したときには大いに役立ったが、小物には重すぎて扱いにくい。この家は2部屋と二つのロフトを持つ、来客用の宿泊専用棟だ。

この家の最大の特徴は、保守がやり易いように、家の本体の基礎構造に、塗装作業用の足場を簡単に組めるような、縦4本の鉄パイプが既に取り付けてある事だ。

この家の最上部の軒の面は銅板で保護してあるが、壁の塗装は随時行う必要があるのに相当な高さがあるので、しっかりした足場が必要になるためだ。

壁は2重にしてある。壁内部の空間の厚みは150mmある。下側の3か所の吸気口からの自然対流は、この画像では非常に見にくいが、軒天のすぐ下にある4か所の排気口から壁の間の熱エネルギ-を大気中に放出する仕組みになっている。

真夏のある日、その排気口に顔を当てたことがあるが、熱風が噴き出ていたことを思い出す。ちなみに、この家は設計図なしに、その場、その場の直感だけで作られた。スプ-ンやパン切り台を作る時と同じに。そんなに難しいことでもない。エスキモ-の家に設計図があったら驚く。

さて、当面のパン切り台の3基目は以下のような待機状態にある。

昨日の1基目を解圧したのが次の画像になる。

         この時点では、元々の板材の幅が微妙に一定でないこと、それと表面と裏面になる部分は1往復のプレ-ン処理しか行っていないので、所々にバンドソ-ののこぎり目が残っていたりするので、平滑処理をする必要がある。

色々と考えたが、部材の木目方向はバラバラなので、平滑化はベルトサンダ-で行う

事にした。  一部、接着不良の個所を手直ししているものの、この画像の試作品は既に全面がサンディング処理されている。

連結子の端末処理は、 典型的にはこのような感じだ。ここに例えば、色違いのマホガニ-などを入れ込む事も出来るが、それほど強調すべき端末でもないように思える。

 支えなしに自立している事で分かるように、工作作業が如何に正確かを示している画像だ。諸元は18mmx400mmx180mmで収まっている。

現在、我が家で実際に使っているパン切り台の画像が次になる。

         

これの諸元は、収納箱を入れないで、270mmx170mmx35mmになっている。ナイフは全長350mmだ。細かな切り傷が見えるが、3年ほど使用して、この位の傷のつき具合なので許容範囲だと思う。

試作品は、より長く、大きく、薄く、そのためにより美しく見えるが、このままで使うのかどうか、今まで、深さが20mm程度の箱を手掛けたことがないので、考え込んでしまう。

パン切り台の本体が薄いのに、箱にずんぐりむっくりの材を使うわけにもいかないだろうし、そうなるとコ-ナ-の組手(継手)のことを考えてしまう。アメリカ人の考える変な組手(継手)の方がよいかもしれない。

で、この時点で念頭にあるのはランチョンマットだ。恐らく、目指すべき諸元は450mmx450mmx10mmで連結子の径が3mmだろう。塗装も必要だ。

私の能力の限界以内にあると思うが、壮大なプロジェクトになってしまう。恐らく、コスト的には4枚で3万円以下では作りたくない。しかも、純益でだ。なので、矢張り、市販は無理だろう。

 


ビサ-ヤ紀行-デュマゲテの町中からセブ、ネグロス(10)

2016-09-04 06:53:11 | Weblog

最初はデュマゲテの町の点描だろう。

https://goo.gl/uqLNwZ その中でも、矢張りシリマン大学の通りを抜けて、海岸に出た部分は重要だし、この町でとても好きな部分だった。 この画像は大学構内の小径を抜けてきて、海が見え始めた場所で、以下の地図の”1”の地点で撮られた。この交差点で左に曲がるとOcean Jetの切符販売店だ。

       次の画像は”2”の地点で撮ったものだ。

      右に進めばプロムナ-ドで、プロムナ-ドが終わる辺りで町中に入れば大きな教会がある。以下の地図だ。   大聖堂の短縮URLを2か所示す。https://goo.gl/aINBNT  https://goo.gl/iGwy5C

ここにはスペイン時代の別の遺物もある。https://goo.gl/NVlzGJ

矢張り、非常に重要な場所だったのだろう。世界中、何処へ旅してもモスクと教会は是非訪れてみたい場所だ。

もう、セブに戻らないと帰りの飛行機に間に合わない。3時のフェリ-なので、まともに行ってもセブに戻れるのは夜の7時半だ。待合所の様子から始めよう。以下が待合所の建物の見取り図になる。 デュマゲテのフェリ-待合所は、セブの第一ピアと比べると、手続きが簡略になっている。

セブの場合は、切符の販売所、港税の支払い所、座席指定切符の発行場所がそれぞれ別々で、然も、それぞれの紙切れをチェックする監視員も別々にいる。

建物全体は以下のように見える。

近づいて入口付近では次のようになっている。

        

デュマゲテでは待合室への監視員は一人だけ、オ-シャンジェットのチェックインカウンタ-の直後にいるだけで、そのまま待合所に入れてしまう。然も、その監視員はいい加減で、紙切れのチェックをしないので、最初はチェックインカウンタ-の存在も意識しないで待合室に入ってしまい、途中でトイレに行く時に気が付いたほどだ。

チェックインカウンタ-の画像を示す。欧米人が非常に多い。

 右にトイレがある。そのトイレは建物の外に一旦出てしまっても、警備員に断れば使わせてもらえるので便利だ。

この画像を撮るときの背後に待合所に入るドアがある。それを通って待合所のフェリ-に乗るための出口付近から、振り返って撮ったのが次の画像になる。

       この画像の右の奥

からこの待合所に入る仕組みだ。

乗客は欧米人が半分くらい占めている。デュマゲテはビサ-ヤの主要な町なので当然だろう。

問題はこの後だった。3時出発予定のフェリ-が来たのは4時近かったのだ。波止場の作業員に聞いて、遅れて近づいてくるフェリ-をズ-ムしたのが次の2枚になる。

     左側の緑色の船だ。   これに四時間半乗ってセブに戻るのだが、実際にセブに着いたのは夜の九時を過ぎていた。フライトは次の日の朝だったので、遅れは実際には問題にはならなかった。でも、フェリ-の旅とフライトを同じ日にアレンジするのは絶対に避けるのが無難だろう。

デュマゲテの待合建物には展望台があることに気が付いた。

      

フェリ-にやっと乗れることになった場面が次になる。

              

当然、遅れを取り戻すには、途中のタグビラランでの荷物の積み下ろしを早くする必要があるわけで、上から見ていたら、本当にマジで突貫作業をしていたのには感心した。30分のところを15分位で終えてしまったので思わず拍手したほどだ。

次の記事では航海中に気が付いたことを記述してみたい。 

 


パン切り台のデザインと試作過程 (2)

2016-09-03 17:12:32 | Weblog

以下の最初の画像は、普通の人には理解出来る訳がないが、実はとんでもない技術の成果だ。

 この画像は10枚のブナの板材に4本の丸棒が貫通している場面だ。無理矢理に差し込んだわけではないし、そもそも私の持つ木工の精密エンジニアリングの技術がなければ、不可能な事をこの画面が示している。

穴の位置誤差のトレランスは0.5mmだ。1mmの誤差があれば丸棒を挿入するのは既に不可能だろう。この10枚のアセンブリ-だけで、40か所の独立して開けられた穴がある。

1本の連結棒を通すのは簡単だ。でも、そうすると、別の棒が通らなくなる可能性がある。そして、別の棒は3本あるのだ。

勿論、穴の径を+2mmで取れば無理やりに丸棒を通す事は出来るだろう。それでは見てくれがどうにもならないほど醜くなってしまう。それよりも難しいのは部材の高さ/幅を制御することだが、最終的にはプレ-ン処理をするので問題にはならない。薄くて大面積はむしろ望ましいからだ。

この画像では幅が約150mmになっている。同じ厚みのシングルスペ-シングで約150mmは部材の枚数的に厳しいと思う、今まで過去に作って実際に市販されたのは約180mmだからだ。兎に角、試しに広げてみた。

 ほとんど、ダブルスペ-シングだが、これでは風呂場の篠子と変わりがない。出来上がった部材の数は42枚で、4個のパン切り台を作りたいと願っていたが、無理そうなので、3個にすると決めた。

つまり、1個当たり、14枚で、約185mmの幅に仕上がる。次の画像は勘違いで、

12枚で固定したものだ。

まだ接着は行われていない、全体の感じを眺めている段階で、この時点で2枚足らないと気が付けば良かったのだが、なんとなく、この幅でも大丈夫の気がして、見逃してしまった。明日、2枚を追加する。

このアセンブリ-の固定に活躍したのが注射器だ。  

         これは近くの100円ショップで購入した。美容品コ-ナ-に置いてある。針の径が大きいので酢酸ビニ-ル系の接着剤を使うには最適かもしれない。勿論、ある程度希釈しないと無理だが。

接着剤の与え方にも当然、ノウハウがある。クランプの段階の画像が次だ。

 余分な接着剤を拭き取ったので濡れ色になっている。実はここにも知見があった。乾燥後のアセンブリ-の画像が

以下になる。 ジムから戻ってきたら、既に濡れ色は消え去り、余分な接着剤も大幅に収縮して無視できる状態になっている。

でも、問題はまだある。丸棒の端末処理、見てくれの問題でもあるが。それと、パンの切りかすの問題だ。考え方は分かれると思う。下に、新聞紙なり、布なりを置けばよいというのも、あるいは、そのままテ-ブルに置いてもよいが、一つ。

全体をちゃんとした薄箱に格納するのも、一つ。400mmと長いので、パン切ナイフの収納も考えられるが、どうなんだろう?箱と相談する必要があるだろう。理由は、このままでも美しいと思うからだ。

この記事が伝えようとしている事は二つあると思う。

1. 薄い板材に複数の穴を開けて、連結部材で一つのアセンブリ-にするのは滅茶苦茶難しい事、なので市販価格が高くなる

2. 普通にお店で見かける、しばしば馬鹿馬鹿しいほど高価な値段で売られている集成材を使った、1枚板のパン切り台よりも私のパン切り台の方が余程清々しいこと

3. パン切りだけでなく、ケ-キの熱さましにも使える

4. もっと薄くすれば、ランチョンマットになる

5. XXXXXXX (企業秘密)

何が問題か?新しい地平を目指さないで、過去の成果に縛られていることだ。木工作品でも同じことだ。木工や陶芸は特に過去に引きずられている。爆破して、次の地平を目指さないと、日本の木工産業は廃れてしまうだろう。

続く 

 


ビサ-ヤ紀行-デュマゲテの町中からセブ、ネグロス(9)

2016-09-03 05:50:39 | Weblog

考えてみれば、デュマゲテで海面をまじかに見たことはない。離島に向かう観光客用のボ-トに乗る機会がなかったためだ。然し、岸部が綺麗だったのは驚きだった。海面にゴミが浮かんでいるのも一切目にしなかった。

     コタキナバルでもサンダカンでも、タワウでも、ボルネオの海岸はゴミだらけだった。大抵は発砲スチロ-ルがプカプカ浮いているものだが、この画像には見られないし、

 木材もなければPETボトルさえない、珍しい光景だ。近くで、何かを採集している人たちを見かけた。

波打ち際の動画でもわかると思う。 https://youtu.be/8NzgO27CDm8

            フィリピン人は野菜を食べないので、海藻を取っているとは思えないので、矢張り貝類だと思う。 すべて、このプロムナ-ド沿いの光景だ。沖に見えるのはシキホ-ル島、 シキホ-ルなら小型のフェリ-で行くのだろうし、ピアでは透明な海に小魚の群れが見えるだろう。見た感じ、片道30分だろうと思う。シキホ-ル用?のバックドロップも見かけた。

     

        

ロビンソンの話は既にした。場所と施設内部(なんとなくダサい気がした、ダバオとかと比べると)の確認をして、トライシクルで一旦ホテルに戻り、預けてあったバックパックを回収して、お昼を町中のごみごみした処で食べるのは嫌なので、結局、このプロムナ-ドに戻ってきてしまった。他に行く場所はないのが、小さなデュマゲテの問題点だ。

この時は、チキンにして見た。ピザの店の向かいで、建物的には同じだ。

      

Perdices と言うのは山鳥のことで、山鳥の散歩道と書いてある。右がピザで、左側にチキンの店がある。この画像を見ると海側の2階もレストランに見える。

 この時には、隣に30人位のグル-プが来ていた。明らかに誕生パ-ティ-で、店員がバ-スデ-ソングを歌うのがしきたりみたいだった。

メニュ-はこんな感じで、 一人当たりの予算は300ペソだと思う。

 何故かというと、この画像はチキンの店から通路越しに見えるピザの店で、2回ほど食べたが、300ペソだったからだ。300ペソはおおよそ800円ほどなので、現地の人には高いと思うけど、どうなのだろう。 この店の前にスペイン人修道女の像があるのがわかる。

で、チキンは特に変わったところもないし、結局2人前頼んで、それでも足らないのでフィリピン風チャ-ハンを頼んだが、猛烈に美味しかった。問題は、チキンの方で、フライドポテトがサツマイモだった事だ。  これがフィリピン風のチャ-ハンで、多分2人分だと思う。魚介類や肉は一切入ってない、葉っぱだけのチャ-ハンで、目茶苦茶美味しかった。葉っぱは日本では見かけない、多分、野菜の葉っぱではなくて、木の葉っぱだと思う。

そう言えば、サバベジ(サバの野菜)と呼ばれる野菜炒めも、木の葉っぱだったし。

この記事の後は、市内の様子の追加と、デュマゲテのフェリ-乗り場だ。


パン切り台のデザインと試作過程

2016-09-02 16:53:03 | Weblog

直感的にはランチョンマットも似たようなものだと思う。大きな違いはナイフによる傷をどう考えるかと、パンの切れカス、そして全体の面積と厚み、そして形状ということになる。

 

1. ナイフによる傷は経験上、大したことはなくて、むしろ傷が風格を与えるので、むしろ望ましいと思う

2. パンの切れカスに関しては、散らばるのは避けられないと思う。そうだとすればどのように最適な処理が可能かという問題になるわけで、基本的には受け皿的なものを付加するか、あるいは、思い切って使わないことも考えられるだろう。デザイン的には受け皿のないほうが、ずっと美しいのは経験上わかっている。

というか、ここでは居直り気味に、どうやろうとパンの切れかすは飛び散ると考えれば、デザインの幅は大きく広がるだろう。剛構造にする必要も殊更にないわけだし。

3. 面積的にはノ-トパソコン位の大きさが限度ではないだろうか?材料のコスト的な問題もあるし、厚みは10mmだろう、5mmでは集積に釣り糸を使う必要がある。その場合は、柔構造になるし、もし10mmならば竹ひごなり、3mmから5mm程度の丸棒を使う剛構造のパン切り台になる。いずれも、受け皿をつけない前提だ。

受け皿の代わりに布を使えば始末も楽ではないだろうか?もし、柔構造のパン切り台を目指すなら、その布で全体を丸めてしまう手がある。そうすれば置き場所にも困らないし

4. 形状は長四角で構わないと思う。殊更に奇抜な形状は好みに合わないし、格納、収納を考えれば尚更だろう

これらをすべて考慮すると、どうしても材は国産のブナ、製材されたものは手に入らないので、自分で角材か、角棒を製材するので、時間コストが気になるが、量産するわけでもないし、プレゼント予定なので、10基作ればよいのかもしれない。

色々と考える必要があるが、考えてばかりいても先に進めないので、部材を作り始めてみた。 

これは固着型で、40cmx25cmほどのパン切り台の部材、今までのと比べると、バゲット用に10cm程長いし、厚さも18mm程度に収めてある。材は国産のブナだ。非固着型もこの作業の中から考えるのだと思っている。

 これは連結用の丸棒で、収納容器を作るかどうかは、未定だ。連結は10cm程度毎になるだろう。この部材で4基のパン切り台が出来る(はずだ)が、すべてギフトとして贈呈してしまう積りだ。

この連結部材を木綿の紐に変えることで、非固着型のパン切り台を目指す積りだが、端末処理が大問題になるだろうとの予感がある。

サイズ的には、まあ、フランスパンと言っても、バゲットだけではないので、カンパ-ニュやブ-ルの事を考えれば、最終的には35cmx27,8cm辺りに落ち着くのかもしれない。出来上がって、見た時の感じもとても大事なので、兎に角、これを完成させてしまう他はないだろう。

今回の試作の主要な目的は製作過程の確認で、

1. 連結作業に注射器が使えるか

2. 連結棒の挿入の方法の合理化

3. 収納容器を作らない場合の連結棒の端末処理の方法

4. ジグを使わないで製材した部材を大きな整形作業なしで使えること

が目指されている。市販するわけではないが、市販想定店頭価格は1個、5千円と思っている。