忙しかった2週間。
新しいクラスもちょっとずつ互いがなじんできて、生徒もリラックスしてきた。
数学と算数と言ったり、
帰り学活で、日直が「帰り学活を始めます。」
というと、座っている子たちが、
「始めまーす!」と繰り返したり、
(最初はびっくりしたけど、小学校ではそうすることになってたらしい。)
帰りの挨拶が「さよーなら!」だったり、
まだまだ小学生全開だけど、
自分の仕事をちゃんと果たし、道徳のグループワークでは、
ちゃんとチームで話し合いができたし、
学級旗のデザイン募集にもたくさんの生徒がアイデアを出してくれたし、
わりといい感じにクラスになってきた。
というか、小学校の先生たちがきちんと教育してくださってたんだなと思う。
礼儀正しく、正義感が強い子がたくさんいる。
美術の授業も1年生はすでに今週で2回目で、
美術を行う意味を最初に話し、
こういうことを意識して取り組んで欲しい、という導入をしたのだけど、
多くの生徒が共感してくれた。
感想で「美術って面白そう。好きになれそうで楽しみ!」をたくさんもらった。
導入にはものすごく力を入れた。自分でハードルをあげた。
図工で苦手意識を持った子に、美術の懐の広さや面白さを知って欲しい。
学習指導要領には、
「生涯にわたって美術を愛好する心を育て」という文言がある。
簡単そうで、意外に難しいことだと思う。
自分の個性を大事にして表現できるだけでなく、
他の人の個性の発露にも興味を持って、
その良さを認める、ということでもあると言える。
生徒には、そのことを話した。
「みんな違って、みんないい。」という金子みすずさんの有名な言葉は、
言葉だけは知っていても、
それが体現された世界は、残念ながらまだこの世には存在していない。
君たちは、それを作れる可能性がある、という話をした。
美術は、美しく表現する技を学ぶだけでなくて、
そういう世界を作るために必要な心や態度を養うためにもあるんだと思う、
と話すと、多くの生徒が共感してくれた。
生徒も、自分たちが次の世界を作る、というところに熱い思いを抱いたようだった。
なんか、そのことがとても嬉しかった。
話したことは私の理想だけど、
学校が理想を語らなくてどうするんだ、と思う。
理想や夢が次の世界を作ると信じて、自分の思いを話すことにした。
美術教師を初めて8年が経過して、やっと自分の思いを話せるようになった。
理想を語り、次の世代へ思いや夢を伝える、ということを意識し始めた。
美術はその一手段にすぎないと考えるようになった。
でも、これが到達点ではなくて、これからもっといろいろ考えて、
もっと違う結論に辿り着くかもしれない。
先生って仕事は大変だ。まるで哲学だ。
8年間、美術って何で中学に必要なんだ?とその意味を模索してきた。
技能講座にもたくさん参加したし、今もしてる。
やってみて、技術を教えるだけなら趣味の講座、習い事でいいじゃんと思った。
なんで、中学で、という疑問は、学べば学ぶ程出て来た。
全ての教科が、子どもたちの未来を作るための有効な道具でなければいけないと、
最近になって言われるようになった。
『キャリア教育の大切さ』がようやく叫ばれるようになった中だけど、
まだまだ学校でやっていることと、
社会で必要なことがあまりにもかけ離れ過ぎていた。
美術もそうだったと思う。
『人生において必要な美術の授業をするから。』とそれぞれの最初の授業で全校生徒に宣言した。
最近、心と言葉が連動し始めた。人生においてやっと!
自分の中に、思いや願いがたくさんあることに気がついて、
それを授業の中で、まるで次世代の人への遺言のように言うようになった。
自分って、結構熱い人間だったんだ!
話すのが苦手で、人が苦手だと思っていたのに。
いろいろな修羅場(?)を越えて、そんな自分を見つけた。
やっとちょっと『先生』になれたかな。
でもそれは生徒たちが後々、審判してくれるのだろう。
今はただ、思いをのせて授業を行うのみ。
新しいクラスもちょっとずつ互いがなじんできて、生徒もリラックスしてきた。
数学と算数と言ったり、
帰り学活で、日直が「帰り学活を始めます。」
というと、座っている子たちが、
「始めまーす!」と繰り返したり、
(最初はびっくりしたけど、小学校ではそうすることになってたらしい。)
帰りの挨拶が「さよーなら!」だったり、
まだまだ小学生全開だけど、
自分の仕事をちゃんと果たし、道徳のグループワークでは、
ちゃんとチームで話し合いができたし、
学級旗のデザイン募集にもたくさんの生徒がアイデアを出してくれたし、
わりといい感じにクラスになってきた。
というか、小学校の先生たちがきちんと教育してくださってたんだなと思う。
礼儀正しく、正義感が強い子がたくさんいる。
美術の授業も1年生はすでに今週で2回目で、
美術を行う意味を最初に話し、
こういうことを意識して取り組んで欲しい、という導入をしたのだけど、
多くの生徒が共感してくれた。
感想で「美術って面白そう。好きになれそうで楽しみ!」をたくさんもらった。
導入にはものすごく力を入れた。自分でハードルをあげた。
図工で苦手意識を持った子に、美術の懐の広さや面白さを知って欲しい。
学習指導要領には、
「生涯にわたって美術を愛好する心を育て」という文言がある。
簡単そうで、意外に難しいことだと思う。
自分の個性を大事にして表現できるだけでなく、
他の人の個性の発露にも興味を持って、
その良さを認める、ということでもあると言える。
生徒には、そのことを話した。
「みんな違って、みんないい。」という金子みすずさんの有名な言葉は、
言葉だけは知っていても、
それが体現された世界は、残念ながらまだこの世には存在していない。
君たちは、それを作れる可能性がある、という話をした。
美術は、美しく表現する技を学ぶだけでなくて、
そういう世界を作るために必要な心や態度を養うためにもあるんだと思う、
と話すと、多くの生徒が共感してくれた。
生徒も、自分たちが次の世界を作る、というところに熱い思いを抱いたようだった。
なんか、そのことがとても嬉しかった。
話したことは私の理想だけど、
学校が理想を語らなくてどうするんだ、と思う。
理想や夢が次の世界を作ると信じて、自分の思いを話すことにした。
美術教師を初めて8年が経過して、やっと自分の思いを話せるようになった。
理想を語り、次の世代へ思いや夢を伝える、ということを意識し始めた。
美術はその一手段にすぎないと考えるようになった。
でも、これが到達点ではなくて、これからもっといろいろ考えて、
もっと違う結論に辿り着くかもしれない。
先生って仕事は大変だ。まるで哲学だ。
8年間、美術って何で中学に必要なんだ?とその意味を模索してきた。
技能講座にもたくさん参加したし、今もしてる。
やってみて、技術を教えるだけなら趣味の講座、習い事でいいじゃんと思った。
なんで、中学で、という疑問は、学べば学ぶ程出て来た。
全ての教科が、子どもたちの未来を作るための有効な道具でなければいけないと、
最近になって言われるようになった。
『キャリア教育の大切さ』がようやく叫ばれるようになった中だけど、
まだまだ学校でやっていることと、
社会で必要なことがあまりにもかけ離れ過ぎていた。
美術もそうだったと思う。
『人生において必要な美術の授業をするから。』とそれぞれの最初の授業で全校生徒に宣言した。
最近、心と言葉が連動し始めた。人生においてやっと!
自分の中に、思いや願いがたくさんあることに気がついて、
それを授業の中で、まるで次世代の人への遺言のように言うようになった。
自分って、結構熱い人間だったんだ!
話すのが苦手で、人が苦手だと思っていたのに。
いろいろな修羅場(?)を越えて、そんな自分を見つけた。
やっとちょっと『先生』になれたかな。
でもそれは生徒たちが後々、審判してくれるのだろう。
今はただ、思いをのせて授業を行うのみ。