修学旅行は5月末。もうすぐ。広島と京都に行く。
この組み合わせはたぶんわりと珍しいけど、平和学習を3年間にわたってやってきているので、
修学旅行はその総決算となる。
1、2年生では8月6日を登校日として、
テレビで中継される広島の平和記念式典を体育館で全員で見て、疑似参加した。
そのあと、戦争がテーマのアニメーションを見て、感想を書いた。
なんでもないことのように思えるけど、
子どものときにこういうことを意識したかしてないかによって、
大人になってから何かが違うように思える。
子どもたちは、だるい、めんどくさいって思っているかもしれない。
けど、意味ある取り組みだと私は思う。大人になってからきっと感じる。
現に中国地方出身の私は、差別に対する学習を重点的に受けている。
西日本には差別を受けている地方がかなりあるのだ。
それは、今でも就職や結婚の際の障害になっている。大変根強い。
特に年配の人は、出身の方に対して厳しいところがあるようだ。
しかし自分たちの世代は学習したおかげで、
それは為政者が自分の都合のためにやったことで、
差別自体なんの意味がないということがよくわかっているし、
そういうことにも関心を持って、一家言持つこともできている。
子どもたちから何かを引き出すことが教育だと言う人がいるけれど、
それだけでは足りない。教えなければいけないことは多いと思う。
インプットなしで、質の高いアウトプットなどあり得ない。
修学旅行1日目、広島へ行き平和記念公園と資料館へいく。
そこで、生徒主導の平和記念式典を行う予定。
そのために昨年度、奉納する千羽鶴やパネルなどを総合の時間に作った。
今年度、平和記念式典の進め方を考えて、平和宣言の草稿を考える仕事をしきることになった。
原爆慰霊碑の前で、生徒代表が読み上げる。
声なき数多くの魂が、聴いていることだろう。そう思うと、気持ちが引き締まる。
意見は生徒に募るけれども、最終的にまとめて文章にしていくのは自分の仕事だから、
8月6日の平和記念式典で毎年ある、こどもの平和宣言を調べてみた。
どれも、よく練られている。この原稿は、子どもが考えたものではないだろう。
まとめる際に、大人の手が入っている。その方たちの熟慮の跡が感じられる。
お互いを理解し合うことの大切さや、憎しみの連鎖を断ち切る強さを身につけようというもの、
いじめについて、核の脅威や自然環境の破壊にまで及ぶ内容。毎年、少しずつ異なっている。
このレベルまで持って行く力は自分にはないけど、参考にさせていただいて、
少しでも子どもたち自身にも響くようなものを作っていきたい。
特に、彼らは今まさに原子力の脅威にモロにさらされているのだから。
平和宣言を行い、そのあと、「あすという日が」という曲を斉唱する。
これは子どもたちが選んだ。
東日本大震災からの復興を願う曲として有名になった曲だ。
そのあと、キャンドルに火を灯し、全員で平和を願う会とする。
平和を願う心は、きっと未来を明るくしていくだろう。
教育の意味は、こういうところにあると思う。
闇の中に光を見出して、また光の中に、闇の存在を感じられるように。
2日目は京都班別自主行動で、3日目はクラス別行動で観光的だから、
1日目はかなり学習の色が濃い。
楽しいのも大切だけど、心から「命」について考える修学旅行というのも、いいものだ。
その場に行かないとなかなか実感できないから、修学旅行っていい学習の場だと思う。
それに旅の中で、友達の良さや本性を知るだろう、良くも悪くも。
そういうふれあいって、教室ではなかなかできない。
2年生のときの宿泊自然教室も感動に満ちていた。
今回は、どんなことを考え、思うのか。
課題も多いけど、とても楽しみでもある。
まあ、寝られないだろうけど・・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます