昨日は義理の父の七回忌の法要に行った。
臨済宗建長寺派のお寺で、鎌倉時代にはすでに創建されていたという由緒あるところ。
臨済宗建長寺派のお寺で、鎌倉時代にはすでに創建されていたという由緒あるところ。
ただね~、「あのご住職のお経はどうなんだろう?」という法要だった。
ぶっちゃけ、何を言ってるのかまったくわからなかった。
お経の意味がわからないとかそんなレベルじゃなくて、「何という言葉をしゃべってるのか」すらわからなかった。とにかく最初から最後までほぼ「う~にゃ~む~にゃ~う~にゃ~む~にゃ~・・・」って感じ。
お経の意味がわからないとかそんなレベルじゃなくて、「何という言葉をしゃべってるのか」すらわからなかった。とにかく最初から最後までほぼ「う~にゃ~む~にゃ~う~にゃ~む~にゃ~・・・」って感じ。
いくつか読んだ(であろう)お経のうち、かろうじて「観音力(かんのんりき)」らしき言葉と、おしまいに「阿耨多羅三藐三菩提」(あのくたらさんみゃくさんぼだい)らしき言葉が聞こえたものがあったので、もしかしたら「観音経」もあったのかなと。(これも怪しいけどw)
「お経というのはそういうもの」とか「何を言ってるのかわからないからありがたい」みたいなことも目にしないでもない。でも、それはちがうんじゃないの?って、儂は強く思うぞ。
しかも、ただこの「うにゃむにゃ」を読んだだけで、あとは「お焼香して下さい」としか言わず、終わったらこれまた「塔婆をお持ち下さい」しか言わなかった。
それに、このご住職、人に話する時に相手の目をまったく見なかった。目どころか顔も向けなかった。まあこれを考えると、お坊様っていう以前の問題なのかもしれないけど。
それに、このご住職、人に話する時に相手の目をまったく見なかった。目どころか顔も向けなかった。まあこれを考えると、お坊様っていう以前の問題なのかもしれないけど。
法事なんかの時に来てるのは、普段は仏教とか宗教とか関係ない人達がほとんどだと思うので、こういう時こそ、「仏教って何なの?」、「お経って何なの?」といったことを広めるチャンスだと思うんだよね~。
「今日読んだお経はこういうことを言っています」、「亡くなった方をご供養するとはこういうことです」、「仏さまはこういうことを言われています」みたいなお話をすれば良いのにと思うの。
それを、昨日みたいな調子で、ちゃちゃっとお経だけ読んで「ハイ、おしまい」だと、いつまもでいつまでも「仏教ってお葬式や法事のためにあるんだ」っていう間違った観念から抜け出せないし、どんどん廃れていくだけだと思うんだよね。
あ~、ちょっとでもいいからお説法のようなことをして欲しかったな~。
ちなみに、儂、別にご住職を批判しているわけではないからね。ただ昨日の法事で思ったことを率直に書いてるだけだから。
ちなみに、儂、別にご住職を批判しているわけではないからね。ただ昨日の法事で思ったことを率直に書いてるだけだから。
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