昨年秋ごろから、地元の小中学校時代の仲間と飲みに行く機会が多くなった。
半数近くが手にしていたのが
スマートフォン。
そして「やれ!」と勧められたのが
facebook
気がつけば年末にauでCASIOのIS11CAという端末を手にしていた。
昨夜はその頃の友人のご尊父の通夜だったが、その後江古田の駅近くの居酒屋で飲み始める。
見た目は、礼服をはだけて枝豆や酢の物をつまみながら焼酎をあおっている・・・
よくあるオヤジ達の光景・・・
だが一つだけ違うのは、皆端末を手にして時折それを覗き込んだり、見せ合ったり・・・
仕事で来れなかった仲間や親しい友人に画像やコメントをその場から配信しては、その評価をし合ったり・・・
つい先日まで、
「こういう事はパソコンオタクのする事だ!」
と思っていたのが自分がするようになっていて愕然とした。
いやいや、パソコンオタクというワード自体が時代遅れか・・・
今や端末はリアルタイムに自分の意思を発信するツールとなった。
それだけに、意思(情報)を発するはが誰か?という事が重要で、その誰かの実在性・信用性が乏しいと、意思(情報)そものの価値を下げてしまう。
SNSには他にもmixi等の他のサービスもあるが、特にfacebookと端末との組み合わせにはそれを特に強く感じる。
それにしても、50過ぎのオヤジ達がなんでこんなものに夢中になるのだろう。
ガキの頃サイボーグ009に夢中で、テレパシーという能力を本気で欲しいと思っていた事を思い出した。
自分達は記憶の彼方にこびりついていたヒーローごっこの続きをやろうとしているのかもしれない。