いきがかり上いたしかたなく・ぶろぐ

寄る年波には勝てないし難しいことは出来ないし、行き掛かり上致し方なくブログに頼ります。

なれるかな? 29

2016-09-28 21:20:42 | なれるかな?

もう何になりたかったんだっけ? というような状態ではあるのだが、相変わらず闘いは続いている。ほぼ単身赴任状態になっても、最初のうちは食事の支度は母がやってくれていたので、片付けも劇的に進んでいたのだが、途中で母が「もうやりたくない」などと言い出し家事を放棄。たまに名古屋に戻ると、近所の人に「ひろみがいないと不便」と言っていたらしく、もうすっかり人ではなく物ですな。

単身赴任になった当初は、父が夜通し起きていて(いや、今でも起きてはいるのだが)転んで肋骨を損傷したりしていたものだから、こっちも夜通し居間で起きているという家庭内夜勤をやっていたのだが、母と2人でデイサービスに通うようになってから、父の足腰がしっかりしてきて、転ぶこともなくなった。今は朝6時半に起床、だいたい7時から家政婦としての1日が始まる。夜は9時頃までには女中部屋(ずーっと片付け続けている方の棟)に戻ってくる。

で、家事の合間に、原稿書いたりお客様からご注文をいただいたミニ額絵を描いたりもしているのだが、ほんの少しの時間でもいいから片付けも続行するようにしている。たとえ1日に段ボール箱1個しか片付けられなくても、1ヶ月やれば段ボール箱30個は片付けられるわけだからな。母はよく「ここも片付けないかん」「あそこも片付けないかん」と言っているが、言ってるだけでは片付かないのだよ。とりあえず、「具体的に動くことだね」とトイレにぶら下げてある相田みつをさんの日めくりにも書いてある。

この写真の四畳半の部屋は、私の女中部屋である棟から住宅への渡り廊下を通った先にある。ずーっと昔、まだ渡り廊下がない頃は私の部屋だった。かわいそうに。すっかりガラクタ置き場だ。きょうは時間があまりなかったので、30分だけだったが。



うわあ、難しい間違い探しみたいだ。ほとんど変わらんように見える。だが、これでも段ボール箱を大小あわせて10個以上片付けたのだよ。まあ、入れ子になってたのが幾つもあったからな。

写真右側の箱が積んであるところも、2日ばかり前までは、私の背よりも高く段ボール箱が積み上げられ、壁面はまったく見えなかった。その段ボール箱の中の1つから、古いモノクロ写真がたくさん出てきて、父と母のところに持っていったら喜んで見ていたが、ここを片付けたと母に言っても、チラッと見て「ふぅん」と言うだけ。段ボール箱の海抜が低くなったことにはまったく興味はないようだった。以前の私なら、この「ふぅん」に心が折れるところだが、今では家政婦としての自覚も芽生えスキルアップしているので、瞬時に立ち直れる。

とにかく、遅々とではあるが、片付けることは諦めない。まったく床も見えなかった部屋をほとんど1人で片付けられたのだから、何とかなる。とりあえず、多少なりとも床は見えているのだしな。



かたづけ士、小松 易さんの本。読みかけてすぐに、椅子の上に積み上げていた物がものすごく気になり、片付け始めたというすごい効果のある本(あくまでも個人の感想。すべての人に同様の効果があるかどうかは不明)。でも、この本のおかげで、まったく床の見えない部屋を目の当たりにしても、心は折れなかった。

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