夕べはテレビで大好きな『耳をすませば』を見た。
ジブリの映画で一番好きなのは『となりのトトロ』なのだけれど、『耳をすませば』は見るたびに泣いてしまう。
本がいっぱい出てきて図書館が出てきて主人公が物語を書いていていろんな骨董品や何かが置いてあるお店が出てきて空が出てきて石まで出てきて、しかも井上直久さんのイバラードまで出てくるとなると感情移入しないわけがないのだ、私は。
何しろ初めの方のどうということもない場面、雫さんが自分ちの窓から飛行船を見上げているところで、もうすでに泣いている。何でなのか自分でもようわからんのだが。
高台にあるあのお店(地球屋さんだっけ?)の裏のベランダから見た街の景色。そこでも泣いてしまう。なぜなんだ。わからん。さっぱりわからん。
ある人が『耳をすませば』について、子どもの頃は何とも思わず見ていたが、大人になってから見ると、「こんなこと言ってても、別れてしまうんだろうな」とか先のことを考えるようになったと言っていた。それを聞いて初めて、ああ、そういう考え方もあったのだなあと気づく。私はまったく考えていなかったよ、そんなこと。
『耳をすませば』を見るたびに思う。私はもうすっかり年食っちゃっているわけだが、性懲りもなく自分の中に原石を探しているのだよなあ。一応何個かそれらしいものを見つけて磨いてみたりもしているのだが。
昔、何も考えずに描いていた頃の絵は、今見るとかなり悲惨だ。その頃だって頭の中には絵の完成図はあったわけなのだが、それをそのまま再現できるだけの技術がなかったし、そのための努力もあまりしなかった。でも、『詩とメルヘン』のイラストコンクールに応募したり、『詩とメルヘン』が休刊になってからはネット上で『星屑ぽえめる』に参加させてもらったりしている間に、いろいろな資料を見たり写真を撮ってきたり、画材を工夫したりもするようになってきて、少しずつ、ほんの少しずつだけれど、頭の中にある絵に近いものが描けるようになってきているみたい。もちろん、まだまだではあるのだけれど。(たぶん死ぬまでまだまだなんだろうな)
頭の中にある映像を言葉で表現することは、絵よりもまださらにへたっぴーなのだけれど、『耳をすませば』を見ると、もっとちゃんとしなくちゃといつも思う。私が中学生の頃は雫さんと違ってずいぶんボーっとしていたものだから、すっかりオバサンになった今頃になって、ハンマー片手に自分の中を歩き回っているのだ。早く原石を見つけて磨かないと手遅れになってしまうのだがな、まったく。
それにしてもやっぱり『耳をすませば』はいい。本当に、大好き。
ジブリの映画で一番好きなのは『となりのトトロ』なのだけれど、『耳をすませば』は見るたびに泣いてしまう。
本がいっぱい出てきて図書館が出てきて主人公が物語を書いていていろんな骨董品や何かが置いてあるお店が出てきて空が出てきて石まで出てきて、しかも井上直久さんのイバラードまで出てくるとなると感情移入しないわけがないのだ、私は。
何しろ初めの方のどうということもない場面、雫さんが自分ちの窓から飛行船を見上げているところで、もうすでに泣いている。何でなのか自分でもようわからんのだが。
高台にあるあのお店(地球屋さんだっけ?)の裏のベランダから見た街の景色。そこでも泣いてしまう。なぜなんだ。わからん。さっぱりわからん。
ある人が『耳をすませば』について、子どもの頃は何とも思わず見ていたが、大人になってから見ると、「こんなこと言ってても、別れてしまうんだろうな」とか先のことを考えるようになったと言っていた。それを聞いて初めて、ああ、そういう考え方もあったのだなあと気づく。私はまったく考えていなかったよ、そんなこと。
『耳をすませば』を見るたびに思う。私はもうすっかり年食っちゃっているわけだが、性懲りもなく自分の中に原石を探しているのだよなあ。一応何個かそれらしいものを見つけて磨いてみたりもしているのだが。
昔、何も考えずに描いていた頃の絵は、今見るとかなり悲惨だ。その頃だって頭の中には絵の完成図はあったわけなのだが、それをそのまま再現できるだけの技術がなかったし、そのための努力もあまりしなかった。でも、『詩とメルヘン』のイラストコンクールに応募したり、『詩とメルヘン』が休刊になってからはネット上で『星屑ぽえめる』に参加させてもらったりしている間に、いろいろな資料を見たり写真を撮ってきたり、画材を工夫したりもするようになってきて、少しずつ、ほんの少しずつだけれど、頭の中にある絵に近いものが描けるようになってきているみたい。もちろん、まだまだではあるのだけれど。(たぶん死ぬまでまだまだなんだろうな)
頭の中にある映像を言葉で表現することは、絵よりもまださらにへたっぴーなのだけれど、『耳をすませば』を見ると、もっとちゃんとしなくちゃといつも思う。私が中学生の頃は雫さんと違ってずいぶんボーっとしていたものだから、すっかりオバサンになった今頃になって、ハンマー片手に自分の中を歩き回っているのだ。早く原石を見つけて磨かないと手遅れになってしまうのだがな、まったく。
それにしてもやっぱり『耳をすませば』はいい。本当に、大好き。
お母さんが学校に通っているという設定は確かに面白いですね。それにあの部屋の生活観のある乱雑さも好きです。まるで自分ちを見るようです。
どれくらい大好きかというと、全ての台詞をなんとなく覚えているくらいに。かつて何度も見ました。
でも、あの映画、高校過ぎたあたりから見れなくなってしまいました。大好きすぎて。
私も、あれ見ると泣いてしまいます。
むかしはすごい憧れていた(髪の毛まで短くしたりしていました。笑)のですが、今は、あれからなにも掴めていない自分がなんだか取り残されたように思えてしまいます。
だから見る勇気がなくなってしまって・・・(^^;
目を背けてるだけじゃダメですね。林本さんはカッコイイなぁ!
私は一時期、精神的にすっかり参ってしまっていたことがあったのですが、その時にたまたま漆塗りの工房のバイトを見つけたんですね。バイトと言っても恐ろしいことに時給350円交通費なし。
でもそこで1年半くらいかなあ、バイトしました。途中で少しずつ時給は上がりましたが。
その時に我慢して細かい作業を続けるととてもきれいなものが作れるということを知ったんですね。蒔絵をするのってえらい時間がかかるんですよ。それまでは絵を完成させることばかりに気持ちが行ってて、我慢が出来なかったんですね。
それと「星屑ぽえめる」で定期的に絵を描かせていただいているのも大きいです。最近はよう我慢して描いてます、我ながら。昔の絵は昔の絵でそれなりにいいとは思うんですけれど、作品に対する愛着の度合いがぜんぜん違いますね。
ちょっとずつでも進んでいければいいなと思ってます。『耳をすませば』を見ると、毎回泣きながら「うん、私もがんばる」と言ってますね、テレビの前で。傍から見ると、カッコよくなんかなくて、なんか怪しいんですけどね。
そうか、林本さんには職人さんの魂があるのか。
なんか納得しました。
確かに、細かい作業を続けると良いものは作れるのだろうなーと思うのですが、実際、やり遂げられる人って少ないし、近年さらに減っているのだろうと思いました。楽しようと思えばできてしまうほど、便利な世の中なので。
だから職人さんって減ってるんだろうな。と。
でも、だからこそ職人さんにはかないませんね。
人の手によって綿密にくみあげられたものの美しさは、それと同等の苦労があるし、その分だけの価値が出てくるものだと思います。
しかし、林本さんの場合、以前の絵ですらかなり細かかったと思うのですが・・・。(^^
今の林本さんがつくられたおはなし、きけてよかったです。
うぅー苦労を惜しんではいかんですね。
私もいろんな経験をしよう!
でも10年~15年かかるんですよね、1人前になるまで。もっと早くに目指さないとダメでしたね、私は。