さっきまで絵を描いていた。プレスマンという名前のシャープペンシル(芯が0.9ミリ)で下書きをして、ピグマという怪獣っぽい名前の耐水性インク(0.1ミリ)のペンでなぞる。
お皿やティーカップやキャベジンや蔦の葉。お菓子も。なんだろね、いったい。眠いけれど楽しい。
今年になって映像が見えなくなった。目で見る映像ではない。時々額の裏側に映っていた映像。
私の朗読用の詩の書き方はとても簡単だ。自分の額の裏に映っている映像をただ言葉に置き換えるだけ。私の朗読を聞いて映像が見えると言って下さる方がたまにおられるのだが、それはもともと映像だからだと思う。
でも今は見えない。見えても途切れ途切れでストーリーも何もない。仕方がないから見えたものだけで詩を書こうとする。そうすると自己模倣になってしまう。以前書いた作品と似たような展開。私らしいかな、などと思ったりして。
人の真似をするのもどうかと思うが、自分の真似なんかしてちゃいかんやろ、「つくる人」が。
前に書いた詩は朗読出来ても、新しい朗読用の詩が作れない。頭の中の映写技師さんがどこかに行ってしまったから。
だからね、これからは絵を描く。映画は無理でも、幻灯程度のレベルの絵なら生み出せるかもしれないから。自己模倣にならないように気をつけながらね。
お皿やティーカップやキャベジンや蔦の葉。お菓子も。なんだろね、いったい。眠いけれど楽しい。
今年になって映像が見えなくなった。目で見る映像ではない。時々額の裏側に映っていた映像。
私の朗読用の詩の書き方はとても簡単だ。自分の額の裏に映っている映像をただ言葉に置き換えるだけ。私の朗読を聞いて映像が見えると言って下さる方がたまにおられるのだが、それはもともと映像だからだと思う。
でも今は見えない。見えても途切れ途切れでストーリーも何もない。仕方がないから見えたものだけで詩を書こうとする。そうすると自己模倣になってしまう。以前書いた作品と似たような展開。私らしいかな、などと思ったりして。
人の真似をするのもどうかと思うが、自分の真似なんかしてちゃいかんやろ、「つくる人」が。
前に書いた詩は朗読出来ても、新しい朗読用の詩が作れない。頭の中の映写技師さんがどこかに行ってしまったから。
だからね、これからは絵を描く。映画は無理でも、幻灯程度のレベルの絵なら生み出せるかもしれないから。自己模倣にならないように気をつけながらね。
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