父が他界する前後からずっとバタバタしていて、小説も図鑑もほとんど開いてもいない。
ぎりぎりほぼ日手帳(カズン)とミーニングノートと家計簿とLifebearというアプリは書いていて、家事をしながらオーディブルで又吉さんの『火花』を聞いたり、YouTubeの山田五郎さんのチャンネルを音だけ聞いたりはしている。
入院する前に、裏庭に放置した剪定枝をせめて短く切り揃えるところまではすませたいのだが、きのうは天気が悪かった。嘘みたいに寒くて、この間のあの春みたいなのは何だったんだろうと思う。
家の中は、夫が怒涛の勢いで片付けてくれていて、これまでガラクタに隠れて見えなかった床や畳が見えたり、渡り廊下ですれ違いが可能になった。すごい!
私だと捨てるのに何かと躊躇してしまい作業が進まないのだが、こういうことは血の繋がりがない方がよいのかもしれない。
さて、最近良いことと言えば、弟が誕生日プレゼントにくれた骨伝導イヤホンがなかなかの優れもの。夜にこれでジャズやボサノバを聞きながらほぼ日手帳とかを書いている。
今夜はTayasuiSketchesで絵を描いた。もうほとんど使い方を忘れてしまっている。レイヤーの使い方がわからん。保存の仕方がなんか前とは違っていてこれもよくわからず、仕方がないのでスクショしたらちゃんと先に保存されていたりする。どのタイミングで保存されているのだ、これは。
年をとると(母のことを言えないくらい)物忘れがひどい上に、理解力もびっくりするくらい落ちている。その前に、耳が遠くなっていて説明されても聞こえない。夫も似たり寄ったりで、最近2度もボディバッグを置き忘れた。で、一緒にいる私もそのことにまるで気づかないときている。
さすがに、ちょっと背伸びするとすでにゴールが見えている年代は違うわねと確信する。
明日……あ、もう今日だけど。庭仕事はやれるかな。あと山積みになっているのは、ヤナギとクワとキウイの剪定枝。って、まだ全体の半分はあるやないか。
今の心配は私の入院のことより、老健でお世話になっている母の今後のこと。私が退院してきてからしか今後の見通しが立てられないのだが、とにかくもう不安しかない。
父よりも大変だったのだよなあ、入所前に家にいた時も。前は父が相手をしてくれていたからまだよかったのだが。考えだすと胃が痛い。また夜中に揺り起こされる日々が戻ってくるのだろうか。
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