山へ行こう!

自然に触れ、可憐な花を愛でる人生に乾杯!

9月25日 3日目

2011-09-26 | ひとりごと
朝、5時30分起床
古川駅まで


往復15分だということで
ウォーキングをした

歩道はまだ地震の名残りがあり
整備されていない


それどころでは
ないのであろう

しかし、足元は
つまずきそうで
危険なのです

宮崎県民と
朝の爽やかな挨拶を
交わしながらホテルへ戻った

途中、電話ボックスがあり
中をのぞいて見ると
パソコンだった






しかも無料でできるのだ

驚いた!

災害情報を逸早く
キャッチするための
ものなのだろうか?

昨日と同じ7:15に出発
同じ支援センターへ向かう


今日は自分が忘れないため
子供達に教えるため
写真を撮った

何もない所


壊れた家屋


流されてきた船


支援センター

ボランティア劇団の
演劇案内


バス時刻


石巻駅を往復するバス


何もないところに
営業するガソリンスタンド


一歩一歩、復興へと
向かっていた

こんな場所に
家があるのかと
思われるような道を
前へ前へ進んだ

そこが終点の
山奥の土砂被害の
家屋では

床下の泥だし
土砂の除去作業を

ここでもチームプレーで
流れ作業で行なった

ここでも”石川パワー発揮”を
合言葉に息が合い
スムーズに進む

お昼休憩では
養鶏場の取れたて卵を
振舞ってくれた




2個も頂いた

作業前と作業後の
変化におのおの満足し

家主さんにも喜んで頂いて
3時にはお別れをした

一旦、支援センターに
戻った

そこでは集合写真を撮った


4時にその場所を
出発し

一路、石川へと向かった

途中、温泉によって
夕食もそこでとるように言われた

しかし、大好きな温泉で
露天風呂の「仙鶴 泉の湯」が
天然温泉で神経痛、筋肉痛、疲労回復
健康増進等々、効能が一杯書いてあった

そこでたっぷり
40分も浸かっていた

勿論、ご飯より好きで
食べ損ねたのだ

次に寄ったサービスエリアで
お土産とお握り2個を買った

この2日間、朝食以外は
炭水化物ばかりだった

11時間の長い帰路を走り
県庁前4時に到着した

家までとばして
4:32に着いた

早速、パソコンを開き
友達リクエスト

まあ、こういう機会が
なかったら

出会うことがない
そういう人だったと思う

ボスが言うには
ラモーネに事務所があり

そこで再度
反省会及び懇親会を
開く予定とか

また、交友と楽しみが
増えたようで・・・

今日はpm9:00まで
FM収録があり

その後、これを
記入した
0:15
はあ~終わった

9月24日 2日目 

2011-09-26 | ひとりごと
朝、6時に起床
着替えて朝食をとる

7時15分に集合場所から
出発し被災地へと向かった

その場所へは
2時間ほど掛かるという

ホテルでの夜は
am3時頃から眠れなくて

1時間ごとに目が醒め
熟睡した感じが無く

バスの中では
到着するまで
仮眠することにした

もうそろそろかと
思われる時間に
目を開けると

そこには
何にも無い世界が
広く広く広がっていた

鳥肌が立った

ガレキや車が所々に
寄せられていた

確かにそこに
あったはずの
いたはずの

町が家が人々が
全てなくなっていた

右手には
そんなことが
あったかのように

静かな海が
太陽の光に
キラキラと
輝いていた

道路沿いには
水産加工場が
再建のため
足場を組んで
修復作業をしていた

道路は復興作業に
忙しく動く

トラックの往来が
激しかった

暫く行くと
子供と同じ体操服を着た
女子学生が見えた

中学校が見えて
グラウンドには

野球帽を被った子供が
5、6人目に入ってきた

涙が流れ
鼻水がこぼれた

ハンカチで拭っても
拭っても出てきた

何にもない世界が
その凄まじさを
物語っていた

嘆きと怒りが
込み上げてきて

そんな中にも
命があることに
たただだ感激したのだった

バスは牡鹿半島の
奥地へと向かった

FBで、危険だから
来ない方が安全だという

その地区へと
向かった

津波で中の全ては
流されたが

鉄筋だったので
外形だけは辛うじて残った
公民館がボランティア支援センターと
なっていた

常時、30名前後が滞在し
外部からやってくるボランティアの
指揮をとっていた

そこの支持に従い
活動場所に向かった

その場所は
津波による被害は
無いところだったが

山の方だったので
地震により地盤が
緩んでいた所へ

台風15号が大量の雨を
ユックリと降らしたので

地盤沈下と土砂崩れで
家屋が床上浸水となった

使い物にならなくなった
畳や家財道具、身の回り品を
運び出し、泥出しをする
清掃する作業をした

東京からやってきたという
ボランティアと合同の作業だった

お昼には防災無線が
住民に配給物資のお知らせを
していた

また、地域のおばさん達が
集会場でボランティアのために

混ぜご飯と
カップヌードルのジャンボサイズを
振舞ってくれたが

さすがにこれは
申し訳ないが完食は
できなかった

2件目になると
ボランティア同士の
連携作業がスムーズになり

和気藹々と
作業が進んだ

家主さんがパンチパーマで
その髪型を「天然?」と
尋ねたフランス人の彼

月1万円なら3年貯金すれば
フランスへ行かれるのにと
周囲に笑いを誘っていた

見違えるように
綺麗になると
家主さん達にも
喜んでもらえて

達成感で
充たされました

この日は
気分ではないのと

被災した人の
気持ちを考えると
写真は到底撮れなかった

2時間かけて
ホテルに戻り

シャワーで汗を流し

お昼の食事に
食べなかった
お握りを2個食べて

ボス(世話方)と参加者数名とで
焼肉屋さんで懇親を深めた

生のビール1杯が
ごっつい美味かった!

勿論、よく眠れました

9月23日 出発の日

2011-09-26 | ひとりごと
朝、目が覚めると
一日の計画を
頭の中で立てた

先ずは、3日間留守に
するので

掃除、洗濯を
しようとしたが

掃除は
部屋ができる状態に
なかったので
断念し

天気が良かったので
洗濯だけにして
外に干した

だが、午後は
出かけていないので

洗濯の取り込みは
家の主に頼んだ

洗濯機を回している間
神社まで

今日まで健康に
いられたので

お礼参りに
ウォーキングした

時間が充分すぎるほど
あったため

荷物を入れたり出したりと
出かける寸前まで
落ち着かなかった

am11:00になると
余裕を持って出発した

一路、内灘経由で
県庁に向かった

到着したら
係りの人が

1時間前にもかかわらず
集合場所に待機していた

先ず、荷物の多さを
見てもらったが

皆、その位だというので
自分だけでないと分かり
安心した

点呼の後
バスに乗り込んだ



一番後部座席を
確保した

いざ、宮城県石巻市に
向けて出発です

休憩、食事時間込みで
9時間の長旅の始まりです

途中、サービスエリアで
夕食をとった

月見山菜ソバを
食べたが美味しかった



pm10:00古川のホテルに
到着した

宮城県石巻市へ!

2011-09-26 | ひとりごと
2泊3日で被災地ボランティアに
行ってきた



何もないところに
ガソリンスタンドだけが
営業していた

復興の第一歩を
踏み出していた



そこに有ったもの
全てが・・・信じられない
光景だった

思ったことは
行ってよかったと・・・

目で見る
耳で聞くだけでは
現状は把握できない

それを身をもって
感じる事ができた

いろんな体験が
できたことに
感謝です!