木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

阿久根市 ブログ市長の言葉

2009-12-07 22:05:45 | Weblog
高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。
結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。



前にこのブログでもお話したことがある阿久根市のブログ市長の11月8日の言葉である
 きっつい。。
あまりにもきつすぎる言葉だと思う
それを今朝TBSでみのもんたに激しく弾劾されていた
後で報道陣の皆さんに集まってもらって説明する と言ってた市長はその後TBSの単独インタビューに応じてた
ということは他のマスコミはあまり興味を持たなかったのか
朝ゆっくりワイドショーを見てる余裕はなかったんでほかの局の対応は全く知らない

このインタビューで 
ブログに書いたことに対して謝罪も訂正もしない と言っていた市長
実はTBSの報道は「生き残らせている」で終わってんだよね
僕はこの言葉は子供たちや若い障害者のことを言ってるんじゃなくて
いわゆる終末医療(って言葉があるんかな?)
もう自力で生きてゆけないようなご老体のことだと思ってた

それなら僕も自分の最後を含めていらない医療だと思う 完全に個人的にだけどね
母親も言う
「絶対に命を長引かせるだけの治療はいらないから」
最近僕も娘に同じことを告げてる
「もう助からないとわかってるものなら人工呼吸器などはいらない」と

父が最後の病院に入ったとき
担当の女医さんが
「医療方針の確認ですが、今このことを言うのはある意味失礼なことかもしれませんが
 お父様が危篤になられたとき どんな処置をお望みですか?」
僕の答えはもう決まっていたけど一応
『先生がもし僕と同じ立場なら どうされますか?』 と聞いてみた
「もし元気な未来がないと思ったら、延命措置は望まないと思います」
『はい、そうしてください』 と
それは結構印象的な出来事だったんで
最初の一行を自分勝手に解釈し
そういう医療も発達して助からない命を長引かせることの不条理を説いているのかと思ってた
でもそうではないらしかった
機能障害をもった「のを」 のを もひどいよね
それで今日は仕事の合間に 彼のブログを少し読み直してみた
専門的な言葉もあったんでよく理解できないところもあったんだけど
あの一行以外はそんなにひどいことが書いてあるとは思えなかった
僕は彼のことを評価してたから・・ 前からそうだったからかもしれない


11月2日のブログにこんな言葉があった

政治家と役人は「市民の為に働きます」と約束している。それを現実にすればよい。 
「市民の為には自分が必要」と始めながら、いつの間にか自分のために市民を利用するようになってしまう。
これを正すだけで社会は変わる。市民のための自分ならば市民の下に降りる努力をしなければならない。
厳しくなる一方の市民生活をよそに、公務員が高給と高い退職金で作った豪邸に住む状態は公務に関わる者の考え方の誤りを象徴している
「自分の周りから良くしよう」では争いは終らない。
公務に関わる人間には自分に縁のない人々の幸せを祈る心がけが絶対に必要なのだ。
不運や不幸は大切なことに気づく最高の機会だ。

こんなこと言える人が最初の言葉・・
障害を抱えた人を愚弄するような言葉は謝罪訂正すべきだと思う
 障害で苦しんでる人のためにも
 彼自身のためにも・・・・・

僕は彼の政治を応援したいんだよね
コメント (9)
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