本当は昨日の日記に書くつもりだったことがもう一つあった
長くなっちゃったんで書けなかったのだ
そのラジオでの話の中に印象的だったことがあった
小学5年生の時にご両親を亡くされた女性 今は高校生と中学生のお子さんのお母さんだけど
彼女はおばあちゃんに育てられて そのおばあちゃんからいろんなことを教わってきた
それこそお母さんやお父さんから教わることに劣らないくらい
そう自分で感じてる そう満足とはいえないまでも納得しながらの人生を歩んできてるのに
周りの人からいつも かわいそうな子 というレッテルを貼られてそういう目で見られながら育ってきた
自分は不自由を感じてないのに 周りの目からのあたたかさというより 居心地の悪さを感じながらこれまでの人生を歩んできた
でも自分は普通なんだ 普通の人間として扱われたかったし ここへ来てそういう見方をしてくれる人に出会ってすごくうれしかった
という
そう言われてみて なるほどなぁ と思ったわけだ
可哀そうだと思う心は完全に上から目線だ
思われるほうはたまったもんじゃない
自分でも振り返ってみるとそういう感情を持つこともあったしその感情の裏側には上から目線っていうものの存在に改めて気付いたりする
例えば障害者の言葉 普通の人として扱ってほしい っていうのはずっと上から見下ろされてるってことなんだろう
今更ながらそんなことにハッとする
ただだからと言って突き放すことじゃない
応援できるところはやはり応援しなくちゃいかん
してあげるのじゃなく する ってことだな
僕ら健常者と言ってもあえて探せばどこかが障害者なのかもしれない
人間1から10まで健康体 なんていうのこそ奇跡なのかもしれんよ
見えない障害が無数にあって そのフォローをうまくやれること
そんな人になれたらいいよね
長くなっちゃったんで書けなかったのだ
そのラジオでの話の中に印象的だったことがあった
小学5年生の時にご両親を亡くされた女性 今は高校生と中学生のお子さんのお母さんだけど
彼女はおばあちゃんに育てられて そのおばあちゃんからいろんなことを教わってきた
それこそお母さんやお父さんから教わることに劣らないくらい
そう自分で感じてる そう満足とはいえないまでも納得しながらの人生を歩んできてるのに
周りの人からいつも かわいそうな子 というレッテルを貼られてそういう目で見られながら育ってきた
自分は不自由を感じてないのに 周りの目からのあたたかさというより 居心地の悪さを感じながらこれまでの人生を歩んできた
でも自分は普通なんだ 普通の人間として扱われたかったし ここへ来てそういう見方をしてくれる人に出会ってすごくうれしかった
という
そう言われてみて なるほどなぁ と思ったわけだ
可哀そうだと思う心は完全に上から目線だ
思われるほうはたまったもんじゃない
自分でも振り返ってみるとそういう感情を持つこともあったしその感情の裏側には上から目線っていうものの存在に改めて気付いたりする
例えば障害者の言葉 普通の人として扱ってほしい っていうのはずっと上から見下ろされてるってことなんだろう
今更ながらそんなことにハッとする
ただだからと言って突き放すことじゃない
応援できるところはやはり応援しなくちゃいかん
してあげるのじゃなく する ってことだな
僕ら健常者と言ってもあえて探せばどこかが障害者なのかもしれない
人間1から10まで健康体 なんていうのこそ奇跡なのかもしれんよ
見えない障害が無数にあって そのフォローをうまくやれること
そんな人になれたらいいよね