誰にもつらい思い出の日というものがあるとは思うが
8月12日っていうのは僕にとって忘れられないまさにその日じゃないかと思ってる
ここにはその出来事は何度も書いたんで 知ってくれてる人はいるとは思う
今日はそのことは書かないつもりだったけどやっぱり書いておこう
その一つは12歳だった弟が白血病の宣告を受けた1972年の日
もう一つは7カ月の早産で次男が生を受けた昭和59年の日
僕にとって多分一生の中で一番つらい時期のスタートの日に当たる
両方ともその3週間後と4週間後に苦しみから解放されて 悲しみの日に変わった
この間いろんなことを考えた
18歳の僕も30歳の僕もプラスとマイナスの振り子に翻弄されながらの日々
人の生死に関わる思いはどれほどこの胸の深くまで入り込んでたのか
今振り返っても身震いするほどのことだった
昨日 がん宣告の話を聞いた
一番のかけがえのない人のそれは想像するに余りある
でも 決定的に違う状況がある
それは医学の進歩だ
72年の時、弟の主治医が言った
「残念ながら今の医療では・・・ もう10年先だったら」 と
家族にとってはどうでもいい仮定だったけど
その「時」の恩恵は必ず僕たちに施されてるはずだ
ここでの知り合いの人たちにもそれは身に覚えのあること
その10年先からも、もうすぐまた3回目の「10年先」が来る
きっとそれに打ち勝てるはず
信じて頑張ってほしい と思います
あすはお墓参りに行ってきます
久しぶりに4人参加の予定
モビリオでの最後のお参りかな?(笑)
8月12日っていうのは僕にとって忘れられないまさにその日じゃないかと思ってる
ここにはその出来事は何度も書いたんで 知ってくれてる人はいるとは思う
今日はそのことは書かないつもりだったけどやっぱり書いておこう
その一つは12歳だった弟が白血病の宣告を受けた1972年の日
もう一つは7カ月の早産で次男が生を受けた昭和59年の日
僕にとって多分一生の中で一番つらい時期のスタートの日に当たる
両方ともその3週間後と4週間後に苦しみから解放されて 悲しみの日に変わった
この間いろんなことを考えた
18歳の僕も30歳の僕もプラスとマイナスの振り子に翻弄されながらの日々
人の生死に関わる思いはどれほどこの胸の深くまで入り込んでたのか
今振り返っても身震いするほどのことだった
昨日 がん宣告の話を聞いた
一番のかけがえのない人のそれは想像するに余りある
でも 決定的に違う状況がある
それは医学の進歩だ
72年の時、弟の主治医が言った
「残念ながら今の医療では・・・ もう10年先だったら」 と
家族にとってはどうでもいい仮定だったけど
その「時」の恩恵は必ず僕たちに施されてるはずだ
ここでの知り合いの人たちにもそれは身に覚えのあること
その10年先からも、もうすぐまた3回目の「10年先」が来る
きっとそれに打ち勝てるはず
信じて頑張ってほしい と思います
あすはお墓参りに行ってきます
久しぶりに4人参加の予定
モビリオでの最後のお参りかな?(笑)