木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

正念場

2012-02-21 22:26:18 | 仕事
15歳でうちに来てくれた職人さんはもう今年の誕生日に72歳になる
今も現役
僕が仕事始めてすぐ
うちは一軒のお客さんの仕事だけで全体の半分以上になった事がある
それが何年か続いた

昔から作っていた繰り出しの頭に付くギボシ  (画像お借りしました)
このてっぺんに金色に光る物
4分5厘 5分 5分5厘 6分 6分5厘 7分 8分 9分 1寸 1寸1分・・・・(直径をいう)

このうち5分から7分くらいまで
最盛期には1サイズ 6000個を3カ月から4カ月に一度ずつ
×2軒に納めてた
型を作って掴みっていう仕事をしてたけど
それでは他の仕事ができないくらいだったので
機械を導入した
これがツマミを作るのに最適な機械だったんで
うちに来た同業者から逆に注文を受ける形になってしまった
ケヤキの丸い鍋のツマミが万単位で出るようになった
職人さんはそのお客A木工所の専属のようにその仕事をこなし続けた
そうすると今度は肝心のギボシをやることができない
もう一台導入して今度は僕がその仕事を続けた

今は昔の仕事風景だ
彼はAさんのお気に入りで
いつの間にかオヤジの言うことよりAさんの言うことを聞く(笑)
親父が時々ぼやいていた

その仕事場は名古屋の真ん中あたりにあってそろそろ廃材処理とか音とか
周りにマンションがいくつかできたことにより
居心地が悪くなった
いっそセレナーデ あいや いっそのことうちもマンションにすっか
ってことでその場を離れて今の天白に工場を移すことに決めたとき
親父が職人さんの意思を聞いた
うちの近くのマンションを買って楽な通勤をしていたけれど
今度車で20分ほど遠くへ行くことになる
もし通いたくなかったら もっと近いA木工所へ転職するか?
本人はAさんのところへ行きたいと言った

僕らにとっては悲しい決断だったけど
本人の意思を尊重して、親父はAさんに持ちかけた
でも彼がいたら大きな戦力になるのは間違いないはずだったけど
A社長は「俺が引き受けるわけにはいかん」といって自重させた

で、ずっと彼はここにいる
いつも僕が来る30分以上前に来て 僕の出した廃材を焼却処理をし
僕が着くころには黙々と仕事に精を出してる

一度離れる決断を聞いた時には悲しい思いをしたけれど
結局行かんかったんだ
僕には少し拍子抜けの感があったのだが
こうなったら向こうへ行くより こっちにいて良かったと思えるようになってもらいたかった
実際そこまでのことはできなかったけれど
どんどん縮小して行ったA木工所にいるよりは 絶対にここにいた方がよかったんだと 密かに思ってはいる
昨年暮れ そこは廃業した

でも彼の衰えもまた顕著なことではある
食道がんを患い それと闘いながら今に至る
僕にはずっと頼もしい兄ちゃんだったけど寄る年波には逆らえない

金曜日夕方
「明日も休みね。来週又・・」って言ったら
「水曜日くらいから息苦しいんで月曜日大学病院へ行ってくる」 と

それで昨夜彼の娘から電話があって
「日曜日に緊急入院しました、心不全と肺に水が溜まってる・・」

一応看護予定表では3月2日まで入院と書いてあるけどどうなるかわからんそうで
今の状況は酸素吸入と点滴で落ち着いてて
何もしてなけりゃ話もできる様子だとか

もしも復帰できないならこの仕事の先も考えなくてはならない
僕の友達は「よくおじいさんを使ってるね」と言うけど
長年のやり方で僕らは2人で一人前の所がある
どっちかが抜けたら大変なのだ
一人では今のところでは回していけないかもね
諦めるわけではないけど

さて、ヒマだったことが少し幸いをしてる
どうなってゆくかまた報告します




コメント (6)
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