木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

祥月命日

2012-11-11 23:22:23 | 家族
今朝は起きる前から頭が痛かった
9時半頃に一応起きて朝食摂っていつもの薬を飲んだ その後頭痛薬も飲んだ
リビングで先週から用意した炬燵で寝転んでいたがどうにも居心地が悪い
ウトウトして時を過ごした
それでも改善はなかったから昼過ぎにもう一度寝床へ

眠ったような眠れないような、でも中途半端な夢は見てた 見てたから眠ってたのだろう
相変わらずわけのわからん夢だ
亡くなった親父がいて
「今度こんな株を買ったんだ」と笑顔で話してた
「それってこの前新聞で推奨してたやつじゃん、いいかもしれん」って僕が言う
でも続きが思い出せない・・・

久しぶりに親父に会えたなぁ
と思っていたら実は今日は祥月命日だった
5年前の今日80歳で鬼籍に入った

外には仏頂面で家族に笑顔
よくあるパターンとは全く違う顔だった親父
近所のおばさん連中には怖い人と
仕事仲間からも言いたいことを言ううるさい大将と思われてた
でも嫁であるポタには優しかったし、息子である僕には一目も二目も置いてくれていた
僕が親父の代わりに組合に参加するようになった時
「あんたは偉いなぁ、あのうるさい親父さんの許でやってるんだから」と先輩
「えっ?全然親父は怖い人じゃないしむしろ優しいんですけど」
と言ったら周りにいる人がみんな
「え~~~???」って意外な反応にこっちがびっくりしたほど

倹約をする人じゃなくてあればあるだけ使ってしまってたからいろんなものを買って来てた
それを母親に咎められる毎日
新しい物を買ってくるとそっとどこかに隠してあったなぁ・・・
「また買ってきたの~~?」って言われるのが嫌でさ
でもそのおかげで僕にも緩かった
給料のほかにこのお客さんの仕事の上りはそのままくれたりもした
だから結婚して小遣い制の僕には有り難かった
ただし、仕事を譲られた時にはそれ相当な借金もついてきたわけだ
でもまぁそれも完済したし今の売り上げでも生活くらいはして行ける

親父が亡くなっても弟が亡くなった時のように涙は出ない
弱ってゆくのを目の当たりにしてたし、心の準備は整えて行ったから
でもたくさんのことをしてくれたことは分かってる
感謝してる
その分を子供たちにしてやらなくてはいかんがはたして出来ているんだろうか・・・

ともかく、合掌
ありがとう

午後7時に目覚めた時には頭痛から解放されていた。。
コメント (10)
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