清原が覚せい剤で捕まった
僕は昔から彼のファンではなかった
一番の理由は彼は野球選手でありながら熱烈な巨人ファンだったからである
だんじりで有名な岸和田の出身なのに
ここは人気球団阪神タイガースのお膝元、多くの野球少年はそのチームを応援するし憧れるものだと思っていた
それなのに巨人?
でもあの時代はそういうバカ・あ、いや純粋な少年も少なからずいたのでしょう
王長嶋、野球少年の大大憧れ選手が二人も揃っていたから
1985年のドラフト会議 そのドラフトの目玉になる
自分は巨人一辺倒 もし外れなら阪神
ただ巨人は自分を一位で指名してくれる その約束はしていた
ところが巨人の一位指名は同僚の桑田だった
桑田は早稲田進学一本と公表してたし、プロ入りはないと思われていた
本人もそう公言していたのに、よりによって自分を裏切った大好きな球団はいつも隣にいる桑田を指名した
結局合計6球団から指名を受けたのはいい しかしその中に読売はなかった ・・傷心の彼は西武に入団した
一年目から大活躍 チームを優勝に導いた
二年目も優勝 日本シリーズで憧れに憧れた巨人と対戦
そこで勝利を収めて悔しかった2年前のドラフト会議の雪辱を果たした
その後の活躍も特筆ものだがそのあと
FAの権利を獲得してかれはまた巨人を選んだ
またというか初めてというか 巨人の選手になった やっとなれた
あれだけ酷い仕打ちを受けたのにもかかわらずそれでも巨人を目指したこと
まさしく巨人バカ・・だがその少年のままの純粋さは多くの人の心を打ったのだろう
僕は打たれなかったけど(笑)
しかし、2年前にこんな動画が上げられていた
覚醒剤で逮捕の清原がまだ綺麗な清原だった頃のホームラン 1993 清原 和博 長時間滞空弾 第25号 ホームラン 西武 ライオンズ
言っておくが今から2年半前にupされていた なんというタイトルなんだろう
いろんな奇行が報道され疑われていたから?
実際にこんなのもある
清原和博、ダウンタウンの番組で薬物はきっぱり否定していたのに・・・
純粋だった野球少年のナレの果て というには寂しい
清原は好きではなかったけど・・
巨人に振られ、それでも巨人に憧れ
ボロボロになるまで選手であって、人気者ではあったが私生活では悲しい離婚もしたようだ
噂通り覚せい剤がそばにあった
なんとなく切ない
ウィキペディアにあったこの一節
2年目の日本シリーズで優勝直前のこのエピソードは誰のどんなエピソードよりも心の中に残っている
こんな僕でさえである
1987年は打率.259と下がり、2年目のジンクスに陥る形となったが29本塁打を放つなど長打力は健在で打点は前年を上回った。また三振数も100を割った。日本シリーズでは、王貞治監督率いる巨人と対戦。西武3勝と王手をかけていた第6戦では、清原の先制2ラン本塁打などで3対1とリードし、9回ツーアウトになった時、一塁の守備についていた時に涙を流し、試合が一時中断となった。清原は自著の中で「9回、ファーストから、三塁ベンチの巨人の選手、王さんの姿が見え、ドラフトのことを思い出し涙が止まらなくなった」と述べており、二塁手の辻発彦になだめられた。この試合に先発し9回のマウンドに立っていた工藤公康は、試合後のインタビューで「(あと1アウトで胴上げ投手だったので)どんなガッツポーズをしようか考えていたのに、アイツ(清原)が泣きやがってそれどころじゃなくなった」と答えつつも、「あの涙は本当に美しかった」と語っていた。
工藤公康 (1987日本シリーズ) ほぼ全投球②
この10:00以降にその様子があります
これを見るとなんとなく泣けてきちゃいます
残念です
僕は昔から彼のファンではなかった
一番の理由は彼は野球選手でありながら熱烈な巨人ファンだったからである
だんじりで有名な岸和田の出身なのに
ここは人気球団阪神タイガースのお膝元、多くの野球少年はそのチームを応援するし憧れるものだと思っていた
それなのに巨人?
でもあの時代はそういうバカ・あ、いや純粋な少年も少なからずいたのでしょう
王長嶋、野球少年の大大憧れ選手が二人も揃っていたから
1985年のドラフト会議 そのドラフトの目玉になる
自分は巨人一辺倒 もし外れなら阪神
ただ巨人は自分を一位で指名してくれる その約束はしていた
ところが巨人の一位指名は同僚の桑田だった
桑田は早稲田進学一本と公表してたし、プロ入りはないと思われていた
本人もそう公言していたのに、よりによって自分を裏切った大好きな球団はいつも隣にいる桑田を指名した
結局合計6球団から指名を受けたのはいい しかしその中に読売はなかった ・・傷心の彼は西武に入団した
一年目から大活躍 チームを優勝に導いた
二年目も優勝 日本シリーズで憧れに憧れた巨人と対戦
そこで勝利を収めて悔しかった2年前のドラフト会議の雪辱を果たした
その後の活躍も特筆ものだがそのあと
FAの権利を獲得してかれはまた巨人を選んだ
またというか初めてというか 巨人の選手になった やっとなれた
あれだけ酷い仕打ちを受けたのにもかかわらずそれでも巨人を目指したこと
まさしく巨人バカ・・だがその少年のままの純粋さは多くの人の心を打ったのだろう
僕は打たれなかったけど(笑)
しかし、2年前にこんな動画が上げられていた
覚醒剤で逮捕の清原がまだ綺麗な清原だった頃のホームラン 1993 清原 和博 長時間滞空弾 第25号 ホームラン 西武 ライオンズ
言っておくが今から2年半前にupされていた なんというタイトルなんだろう
いろんな奇行が報道され疑われていたから?
実際にこんなのもある
清原和博、ダウンタウンの番組で薬物はきっぱり否定していたのに・・・
純粋だった野球少年のナレの果て というには寂しい
清原は好きではなかったけど・・
巨人に振られ、それでも巨人に憧れ
ボロボロになるまで選手であって、人気者ではあったが私生活では悲しい離婚もしたようだ
噂通り覚せい剤がそばにあった
なんとなく切ない
ウィキペディアにあったこの一節
2年目の日本シリーズで優勝直前のこのエピソードは誰のどんなエピソードよりも心の中に残っている
こんな僕でさえである
1987年は打率.259と下がり、2年目のジンクスに陥る形となったが29本塁打を放つなど長打力は健在で打点は前年を上回った。また三振数も100を割った。日本シリーズでは、王貞治監督率いる巨人と対戦。西武3勝と王手をかけていた第6戦では、清原の先制2ラン本塁打などで3対1とリードし、9回ツーアウトになった時、一塁の守備についていた時に涙を流し、試合が一時中断となった。清原は自著の中で「9回、ファーストから、三塁ベンチの巨人の選手、王さんの姿が見え、ドラフトのことを思い出し涙が止まらなくなった」と述べており、二塁手の辻発彦になだめられた。この試合に先発し9回のマウンドに立っていた工藤公康は、試合後のインタビューで「(あと1アウトで胴上げ投手だったので)どんなガッツポーズをしようか考えていたのに、アイツ(清原)が泣きやがってそれどころじゃなくなった」と答えつつも、「あの涙は本当に美しかった」と語っていた。
工藤公康 (1987日本シリーズ) ほぼ全投球②
この10:00以降にその様子があります
これを見るとなんとなく泣けてきちゃいます
残念です