お通夜に行ってきました。とても悲しいお通夜でした。
ご主人は人眼も憚らず大泣きし、先に行かれてしまいました。と繰り返す。
三人の息子たちの目にも涙が溢れます。
母は読経の中でも なんで死んでしまったの? と私語のない中で繰り返していました。もう頭の中がパニックで故人との関係まで把握できなくなる場面もありました。僕のことを息子だということまで何処かに飛んで行ってしまいました。何度聞いても風呂で急死したことが理解できずに死因を聞き直します。熱い湯に浸かっていて普通の入浴姿でこと切れていたということでした。苦しんだ形跡がない、棺の中の顔も実に穏やかな綺麗なままの叔母でした。どんなことでも悲しみにつながること。改めて感じました。
苦しまずに逝く。世の理想は一方で周りの心構えを許しません。周りの不幸に拍車を掛けます。 でもやっぱり叔母さんは幸せだったんだね。
仏壇屋の末っ子。みんなに可愛がられて育ち、裕福な結婚生活、男の子三人の母になりその子たちには奥さんがいて子供もいる。こんな恵まれた人生が有るのだろうか?その上苦しみを知らずに旅立てるとはこの幸せ者が。と僕は思うことにする。享年78歳。虹に彩られた旅路です。
ただ、今引越しの準備の最中だった。古い家を壊して夫婦の新しい家にする直前だった。もう計画中止です。私はホームに入ります。と残念無念の涙で語っていました。ご主人を悲しませたことだけは心残りだったことでしょう。
あんなに泣いた母はきっと朝になったら綺麗さっぱり忘れているでしょう。お通夜に行ったことも忘れているはず。だから母と母の弟との写真を撮っておいた。もしまた妹の急逝を改めて知った時に私は葬式に行ってないと言うに違いないから。
本当に優しい叔母だった。あんな可愛い人いなかった。子供よりも誰よりも可愛かった。と言う母に僕よりもか?(笑)と聞く。あっあんた息子だったか?ごめんごめんと笑う母。
忘れろ忘れろ悲しい事は全部忘れろ。
忘却は時には優しい曲者です。