木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

やさしさとして想い出として

2010-09-01 22:20:17 | タイムマシン







きみが好きだった歌を思い出したのは9月になったからでしょうか
今年はいつになく暑い夏で今でも真夏と変わりません
元気ですか? いやそっちの世界ですから元気には違いないでしょう
いつも上手にギターを操って大きな声で歌ってたきみの声が蘇ってきました
女好きで女にもてて・・
僕はきみのことが好きだった女の子に相談を持ちかけられたものだった
でもあいつはやめといた方がいい とアドバイスしちゃったっけな

名古屋へ出てくる前からのギターデュオで呼ばれて
三重の女子大へ演奏に行った時 
折角女の子たちが手拍子してくれてるのに
演奏を止めて
「この曲は静かに聞いてもらえない?」
ばかじゃなかろか そのまま演奏せえよ 付き添いで行ってた僕は思ったけどなんか微笑ましかった
きみはやさしかったし人気者だった

故郷に帰ったきみは工場に勤めてそこで見つけた子持ちの彼女を娶った
歌が好きで飲むのが好きだったきみはそこで店を持って、もう一つ店を持った
遊びに行った僕たちを朝までいや次の日まで歓待してくれたっけ
順調で幸せそうだった

でも40代、男盛りのきみは一夜のうちにその命を奪われた
知らぬ間に病魔に蝕まれていた体に気づかず
僕たちは涙を流すことさえ忘れて茫然とさせられた

ギターの音が聞こえる
きみの声が聞こえる
楽しそうな声のままだ・・・



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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
思い出 (クウ母)
2010-09-02 17:25:21
青春の優しい思い出ですね。

>「この曲は静かに聞いてもらえない?」
こういう人だから、人気者だったのでしょうね。
かっつんの大切なお友達だったのですね。
9月の風とともに駆けぬけて行ってしまった・・・?
かっつんの心の中に、この方の声や歌や姿がいつまでも生き続けて行くのでしょうね。
よい話を聞かせていただきました。
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ふきのとう (oldオードリー)
2010-09-02 20:29:02
大好きなフォークデュオで、懐かしい・・・。
白い冬、夕暮れの街とか、
ほかの曲、わすれてしまってるなぁ・・・。
後から、ゆっくり聞いてみるわ。
いま、夫がテレビ見てるから、聞けないのよ

40代で逝ってしまうなんて、早すぎますよ。
こうやって、偲んでもらえる、彼は、きっと
魅力的な人だったのでしょうね・・・。
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クウママ (かっつん)
2010-09-02 22:19:21
彼はね僕らのチームの主役だったはずなんだけど 僕は厳しくてさ・・
彼のことは大好きだったけど
ボーカルとしての彼にはもっと望むところがあったわけ
昔こんな記事を書いたことがある
http://blog.goo.ne.jp/popg888/e/8fc709360291e4b85801d921206eaf5e
P君が彼だ
まあ書いてもいいと思うけど
小筆昌和って言う名前でニックネームは「ペン」
だからスナックの名前も「ペン」だった

「ポップ(僕のこと)悪いけどさ 10万円貸してくれん?」って言われたことがあった
僕は友達なくすかもしれんと思いながら
10万円も失くすかもと思いながら彼に貸したよ
翌月催促無しで約束通り返してくれた

僕の誕生日に 「ポップバースディ特集」って題名のカセットをくれた
DJやりながら曲を織り交ぜて僕を称えるいや半分くさしてたか 愛の籠ったプレゼントをくれた
そして僕の結婚式の披露宴の司会もやってくれた
4個下の忘れられん友達だよ
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オードリー (かっつん)
2010-09-02 22:33:47
そうそう僕にとっては忘れられん奴だった
写真 ペンなんだけど 隣の腕は僕の腕(笑)

僕の出身中学の隣の印刷会社に勤めてたんだけど
「ひぇ~ ポップってあの怖い中学の出身なの?」
会社から覗きこめる校庭で後輩たちが悪さしてたみたいだ(笑)
先輩に舘ひろしがいる(笑)

白い冬 死ぬほどやったからあんまり好きじゃないんだ
僕は「春雷」「思い出通り雨」「メイソング」なんかが好きだな
そして昔書いた「「おまえと生きる」かな・・
http://blog.goo.ne.jp/popg888/e/e43402180b3a7ec39957c26b80b651cf
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彼女 (小春日和)
2010-09-03 16:18:34
彼女は小学校からの親友で、中学校では良く二人で放課後遅くまでいろんな話をしていました。

綺麗な3人姉妹の次女だった彼女。
同じ町の高校の彼とのデート、周りの目を誤魔化すために、私も良くそのデートの付添役をやったものです。
もちろん私は離れていましたよ。

スタイルも良く、色白で益々綺麗になっていった彼女は看護婦になって医師と結婚。
私は彼女がほしいと言ったので綺麗に装飾された手鏡を結婚祝いに送りました。

そして彼女は2人の女の子に恵まれて、本当に幸せそうでした。
2人目の女の子を産むまでは・・・・・

後で聞いた話では、2人目の女の子を産むのは病気で反対されていたそうなんです。
どうしても産むと言った彼女は苦しんで七転八倒の末出産後2日目で亡くなりました。

その時私にも長男がいました。
ただ、ただ悲しくて・・・・・

子供たちの消息は分からないけど、彼女のお孫さん、いるのだろうか?
生きていれば、どんな素敵なおばさんになっていたんだろうかと思わずにはいられませんね。






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小春さん (かっつん)
2010-09-03 21:43:19
悲しい思い出ですね
人生とはなんと悲しいことか
二人目の子供さんを産んですぐということは
彼女はまだ30に手が届くか届かない時だったのでしょう
本人も勿論その何倍かに当たる家族の人々の悲しみがあったわけですね
多分本人は危ないと言われていても命の危険をどれほど覚悟していたのか
おそらく10%のそれもなかったんじゃないかと思われてならないです

ペンもきっと命のことなんかこれぽっちも危惧してなかったに違いない
人間の儚さなんて感じたくないですね
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やり切れない思い (小春日和)
2010-09-04 09:48:40
彼女の死を知った時、やりきれなかったですね~~~
どうして20代で死ななきゃならなかったのかと・・・・
どんなにか幸せな人生が待っていたかもしれないのにと・・・・

あれから数十年、儚いものですね~人間の命って。
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小春さん 2 (かっつん)
2010-09-04 10:15:12
20代だったんですか・・
その数がいくつでも家族のつらさは変わらないとは言うもののそれからの人生を思うとよりいっそうの悲しみを感じずにはおれません
小春さん自身も世の中の厳しさを肌で感じてここまで来られた部分もあるでしょう
でもやはり命あっての物種
これからもお互い頑張りましょうね
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