☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

天皇を元首と明記しないゆえの混乱

2017-12-17 22:20:28 | 天皇・国家

平成25(2013)年4月28日、天皇、皇后両陛下ご臨席の下、サンフランシスコ講和条約
発効から61年を迎えたことに合わせた政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する
式典」が開かれた。

式典が終わり、両陛下のご退席が告げられた際、会場から自然発生的に 「 天皇陛下万歳 」の
声があがり、安倍晋三首相ら出席者一同が唱和する一幕があった。


「 天皇陛下万歳 」 の意味

式次第になかった万歳は、天皇と国民のつながりを示したものといえる。
だが、与党の一部から疑問の声が出た。

国会答弁などで政府は、日本は立憲君主国であり、天皇は元首であると表明している。
それでも、憲法に明文規定がないため 「 天皇観 」 をめぐり混乱があるのも事実だ。

「 天皇が元首かどうかは、要するに元首の定義いかんの問題で・・・・・
今日では、実質的な国家統治の大権を持たなくても、国家のヘッドの地位にある者を
元首とする見解も有力で、この定義ならば、天皇は現憲法下でも元首と言って差しつかえない 」
( 昭和48年6月28日 参議院内閣委員会、吉国一郎内閣法制局長官 )

政府見解は 憲法に 「 元首 」 との明記がなくとも、元首であることは明らかという立場だ。
世界の多くの国も 「 天皇 」 を日本国を代表する 「 元首 」 とみている。だが、国内では依然として
「 天皇は形式的・儀礼的な行事を行う象徴にすぎず元首ではない 」 という見解が一方にある。

公明党の山口那津男(なつお)代表は 主権回復式典後、万歳について、記者団に
「 日本国憲法に 国民主権がはっきり規定されている中で、独立が認められた日だ。
その意義を踏まえた行動だったかが問われる 」 と語った。山口氏自身は万歳に唱和したのだが、
疑念を示した形だ。自民党幹部の一人も 「 日本国万歳でよかった 」 と語った。

これに対し、皇室問題に詳しい新田均皇學館大学教授は、「 日本の国柄とは何かを
よく分かっていないから、万歳に対しておかしなことを言うのだろう 」 と語る。

新田氏は 「『 天皇陛下万歳 』 は個人崇拝ではない。日本国と国民の統合を
歴史的に象徴する天皇という存在を通して、日本の永遠の安泰を祈念するものだ 」
と説明する。

式典のご臨席をめぐっても、共産党などが沖縄問題を取り上げつつ 「 政治利用 」 だと批判した。
しかし、主権回復がなければ 沖縄返還交渉もなかった。国の主権回復を祝う式典に、
象徴という重い地位にある天皇陛下が出席されなければ、かえっておかしいことになる。

現憲法下で、天皇と国民を対立的に捉えようとする言説が存在してきた。
天皇は名称自体が君主を意味する。 ・・・・・
< 国民とともにある > 常識に立ち返った 「 天皇観 」 が望まれている。


『 国民の憲法 』 59~62頁  産経新聞社



天皇の権威として、ご皇室の祭祀がある

2017-12-17 20:30:22 | 天皇・国家

憲法学では、「 主権とは、国家の政治のあり方を最終的に決める力をいう 」 と言われている。
わが国の場合、例えば、国民は国会において、法案を議決するところまでしか出来ない。
法律を交付するのは、天皇の国事行為である。
つまり、国民単独でも、天皇単独でも、主権を行使できないのである。

わが国の国柄は、「 君民共治 」 「 君民一体 」 というべきものである。
つまり、天皇主権 と 国民主権 を両立させて、“ 権力 ”の側面を国民が、
“ 権威 ”の側面を天皇が担ってきたのである。
そして、天皇の権威として、ご皇室の祭祀があるのである。


欧州の法学の、「 君 」 と 「 民 」 が対立するという概念では、
わが国の統治は理解できないだろう。



日本をとり戻すために

2017-11-19 22:59:25 | 天皇・国家

数学者の岡 潔 氏といい、数学者の藤原 正彦 氏といい、二人の数学者は、
日本人特有の情緒や美感の大切さを説く。

< 祖国への誇りを持って初めて、先祖の築いた偉大なる文明を承継することができ、
奥深い自信を持つことができ、堂々と生きることができるのです。 >

数学者である藤原正彦氏の『 日本人の誇り 』 ( 文春新書 )より、
< 日本人が祖国への誇りを取り戻すための具体的な道筋 > を探ってゆきたい。


第八章 日本をとり戻すために

論理や合理だけでは 人間社会は動かない
・・・・・・
とりわけ我が国は、真に誇るべき文明を育んだ国でした。
それに絶大な誇りを持ってよいのです。

十九世紀に英国人スマイルズは、「 国家と国民は、自分達が輝かしい民族に
属するという感情により力強く支えられるものである 」
( 「 Character 」 by Samuel Smiles , 1871 )
と言いました。

祖国への誇りを持って初めて、先祖の築いた偉大なる文明を承継することができ、
奥深い自信を持つことができ、堂々と生きることができるのです。

アメリカの横暴やロシアの不誠実を諫(いさ)め、中国の野卑(やひ)を
戒(いまし)め、口角泡を飛ばし理屈ばかり言う米中に 「 論理とは ほとんど
常に自己正当化にすぎないものですよ 」 と諭(さと)すこともできます。

世界を動かすシステムに日本の視点から堂々と注文をつけることも
できるようになるのです。


「 誇り 」 を回復するために何が必要か

日本人が祖国への誇りを取り戻すための具体的な道筋は何でしょうか。
日本人は 「 敗戦国 」 をいまだに引きずり小さくなっています。
WGIP ( 罪意識 扶植計画 )で植えつけられた罪悪感を払拭することです。
そして作為的になされた 「 歴史の断絶 」 を回復することです。

すなわち、 「 誇り 」 を回復するための必然的第一歩は、戦勝国の復讐劇にすぎない
東京裁判の断固たる否定でなければなりません。そして日本の百年戦争がもたらした、
世界史に残る大殊勲をしっかり胸に刻むことです。


その上で 第二は、アメリカに押しつけられた、日本弱体化のための憲法を廃棄し、
新たに、日本人の、日本人による日本人のための憲法を作り上げることです。


現憲法の 「 前文 」 において 国家の生存が 他国に委(ゆだ)ねられているからです。
独立国でなくなっているからです。そして自衛隊は明らかに憲法違反であり、
「 自衛隊は軍隊ではない 」 という子供にも説明できぬ嘘を採用しなければ
ならなくなっているからです。

国家の支柱たる憲法に嘘があるからです。 「 嘘があってもいいではないか。
戦後の経済発展は軍備に金をかけず経済だけに注力したからではないか 」 と
いう人もいます。これも真っ赤な嘘です。戦前のドイツ、日本、戦後の韓国や台湾、
近年の中国など、毎年のGDP比10%、あるいはそれ以上の軍備拡大をしながら
目覚しい経済発展を遂げたからです。軍備拡大とは ある意味で景気刺激策とも
言えますから、むしろ当然なのです。

次いで 第三は、自らの国を自らで守ることを決意して実行することです。
他国に守ってもらう、というのは属国の定義と言ってよいものです。
屈辱的状況にあっては誇りも何もないからです。少くとも一定期間、自らの力で
自国を守るだけの強力な軍事力を持った上で、アメリカとの対等で強固な同盟を
結ばねばなりません。日米中正三角形論などという戯言(たわごと)に惑わされては
いけないのです。

この三つがなされ、日本の心髄とも言える美意識と独立自尊が取り戻されて初めて、
ペリー来航以来の百年戦争が真の終結を見るのです。


苦境を克服してこそ高みに達する

日本人の築いた文明は、実は日本人にとって もっとも適しているだけではありません。
個より公、金より徳、競争より和、主張するより察する、惻隠(そくいん)や
「 もののあはれ 」 などを美しいと感ずる我が文明は、 「 貧しくとも みな幸せそう 」
という、古今未曾有の社会を作った文明なのです。戦後になってさえ、
「 国民総中流 」 という どの国も達成できなかった夢のような社会を実現させた文明です。

今日に至るも、キリスト教、儒教、その他いかなる宗教の行き渡った国より、
この美感を原理としてやって来た日本で、治安は もっともよく、人々の心は
もっとも穏やかで、人情や惻隠に溢れ倫理道徳も高いのです。

今度の東北関東大地震でも、このような混乱時には どこでも起る略奪が極めて少なく、
秩序がきちっと保たれていること、冷静にじっと耐える被災者を
国民こぞって助けようとしていること、などは世界中から賞賛されています。

原発への放水の際に見せた消防隊や自衛隊の決死的行動は 海外の新聞で
「 ヒーロー 」 と一面トップを飾りました。 「 これから原発に行く 」 と
メールで妻に告げた消防隊長に、 「 日本の救世主になって下さい 」 と
一行の返答が届いたそうです。日本人は、まだ日本人だったのです。

日本人特有のこの美感は 普遍的価値として 今後必ずや論理、合理、理性を補完し、
混迷の世界を救うものになるでしょう。
日本人は誇りと自信をもって、これを取り戻すことです。

これさえあれば 我が国の直面するほとんどの困難が自然にほぐれて行きます。
さらに願わくば、この普遍的価値の可能性を繰り返し世界に発信し訴えて行くことです。

スマイルズは 前述の書で 次のように言いました。
「 歴史を振り返ると、国家が苦境に立たされた時代こそ、もっとも実り多い時代だった。
それを乗り越えて初めて、国家はさらなる高みに到達するからである 」 ( 藤原 訳 )

現代の日本は まさにその苦境に立たされています。
日本人の覚醒と奮起に期待したいものです。

『 日本人の誇り 』 245~249頁  藤原 正彦 著  文春新書




祖国愛の視座を欠いた言説は 空虚で、無意味である

2017-11-18 12:02:43 | 天皇・国家

数学者の藤原正彦氏の 的を射た論説を 『 祖国とは国語 』 より、紹介させて戴きます。

< 現在、我が国の直面する困難の大半は、祖国愛の欠如に帰因 ( 起因 )すると
言ってよいだろう。祖国愛と国益主義を峻別 し、すべての子供にゆるぎない祖国愛を
育(はぐ)くむことは、国家再生の急所と考える。 >


【 パトリオティズム 】 ( 祖国愛 )

 最近出席した二つの審議会で、愛国心が問題となった。
重要性を主張する委員たちと危険性を憂慮する委員たちの間に、
深い溝が見られた。一般の意見も二分されるのだろう。

祖国を愛すべきかで国論が割れる様は、おそらく世界に類例がなく、
外から見れば喜劇であり、内から見れば悲劇である。

 英語で愛国心にあたるものに、ナショナリズムとパトリオティズムがあるが、
二つはまったく異なる。ナショナリズムは通常、他国を押しのけてでも
自国の国益を追求する姿勢である。私はこれを国益主義と表現する。

パトリオティズムの方は、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもち、
またそれらをこよなく愛する精神である。私はこれを祖国愛と表現する。
家族愛、郷土愛の延長にあるものである。

 英米人が「 彼は ナショナリストだ 」 と言ったら批判である。
一方「 あなたはパトリオティストですか 」 と英米人に尋ねたら、
怪訝(けげん)な顔をされるか、怒鳴られるだろう。
「 あなたは正直者ですか 」 と尋ねるようなものだからである。

 我が国では明治の頃から、この二つを 愛国心という一つの言葉でくくってきた。
江戸時代まで、祖国を意識することはさほどなかったから、明治の人々も
そういうことに大雑把(おおざっぱ)だったのだろう。これが不幸の始まりだった。

愛国心の掛け声で列強との利権争奪に加わり、ついには破滅に至るまで狂奔したのだった。
戦後は一転し、愛国心こそ軍国主義の生みの親とあっさり捨てられた。
かくしてその一部分である祖国愛も運命を共にしたのである。
心棒をなくした国家は半世紀たつとどうなるか、が今日の日本である。
言語がいかに決定的かを示す好例でもある。


 祖国愛は どの国の国民にとっても絶対不可欠の精神である。
正直や誠実などと同じ倫理であり、これなくしてどんな主張も空虚である。

これは宗教と無関係である。

偉大なるキリスト者であり祖国愛の人でもある内村鑑三は「二つのJ」を愛すと言った。
キリスト(JESUS)と日本(JAPAN)である。戦争とも無関係である。
日露戦争を支持する圧倒的世論に抗し、断固反対したのも内村だった。
日露戦争に勝てば、その傲(おご)りがより大きな戦争へ祖国を導く、という理由だった。

 一方、国益主義は一般人にとって不必要なばかりか危険でもある。
良識ある人の嫌悪すべきものと言ってよい。

ただし外国と折衝する政治家や官僚はこれをもたねばならない。必要悪である。
他国のそういった人々がそれに凝り固まっているからである。
イラク問題で発言するイラク、米英、独仏中露などの首脳の腹にあるのは、
露骨な国益追求のみである。よくぞ臆面(おくめん)もなく あのような美辞麗句を、
と呆(あき)れるほどの厚顔無恥(こうがんむち)である。このような人々に対処し、
平和、安全、繁栄を確保するには、こちらにも国益を貫く強い意思が必要である。

 指導層が国益を追うのは当然だが、追い過ぎると、肝心の祖国を傷つける。
戦前のように祖国を壊しさえする。国益主義は暴走し、国益を守るに足る祖国そのものを
台無しにしやすいから、それを担ぐ指導層は、それが祖国の品格を傷つけぬよう節度を
持つ必要がある。国民がそれを冷静に監視すべきことは言うまでもない。


 祖国愛という視座を欠いた言説(げんせつ)や行為は、どんなものも無意味である。
これの薄弱な左翼や右翼は、日本より日中関係や日米関係を大事にする。
これの薄弱な政治家やエコノミストや財界人は、軽々しくグローバリズムに乗ったり、
市場原理などという歴史的誤りに浮かれたりして、祖国の経済ばかりか
文化、伝統、自然を損なって恥じない。
これの薄弱な教師や父母は、地球市民などという、世界のどこでも相手に
されない根無し草を作ろうとする。
これの薄弱な文部官僚は小学校の国語や算数を減らし英語やパソコンを導入する。

 情報化とともに世界の一様化が進んでいる。ボーダーレス社会と囃(はや)される。
各国、各民族、各地方に美しく開花した文化や伝統の花は、確固たる祖国愛や
郷土愛なしには 風前の灯(ともしび)である。

この地球をチューリップ一色にしてはいけない。
一面の菜の花も 野に咲く一輪のすみれもあって地球は美しい。
世界の人々の郷土愛、祖国愛こそが美しい地球を守る。

愛国心という言葉がまったく異質な二つのものを含んでいたことで、この一世紀、
我が国は いかに巨大な損失をこうむったことか。戦後はそのおかげで祖国愛まで失なった。

 現在、我が国の直面する困難の大半は、祖国愛の欠如に帰因 ( 起因 )すると
言ってよいだろう。祖国愛と国益主義を峻別し、すべての子供にゆるぎない祖国愛を
育(はぐ)くむことは、国家再生の急所と考える。

『 祖国とは 国語 』 新潮文庫 90~93頁  藤原 正彦 著 
          講談社 136~139頁


          

歴史・文化・伝統の基軸をしっかり護る

2017-11-17 17:26:27 | 天皇・国家

学生の頃、民青系全学連が『 祖国と学問のために 』 という機関紙を
出していた。ここで言っている、祖国は共産主義国家を意味していて、
具体的には、当時のソ連や中国であった。

そもそも、民青は共産党の青年組織であり、共産党はもともと、
コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本支部であった。

共産主義は、大衆路線による暴力革命から 組織の内側から資本主義、自由主義の
欠陥から切り崩してゆく組織路線に変わっている。外から見ると冷戦の時代は
終ったかに見えるが、共産主義の脅威はいささかも変わっていない。

今は 内側から、歴史・文化・伝統の基軸を破壊することで、
共産主義を目指しているのである。そのことは、反安倍と言いながら、
なぜか中国や北朝鮮やソ連のことは、一言も言わない、
むしろ擁護していることからも窺えるのではないか。



家族愛、郷土愛、祖国愛(パトリオティズム)のない人類愛は、砂上の楼閣にすぎない

2017-11-17 11:20:38 | 天皇・国家

「 家族愛、郷土愛、祖国愛は 人間の基本 」である。
「 この三つが固まって初めて、最も崇高な人類愛を持つことができる 」 のである。

< 三つの愛なしの人類愛は 砂上の楼閣にすぎません。
そのうえ、家族を心から愛し、郷土の空、雲、風、山、谷、光、花、鳥、田、畑を
涙ながらに愛し、祖国の文化や伝統を こよなく愛する者は、他国の人々の同じ想いをも
よく理解できます。

すなわち、三つの愛は、戦争の抑止力にもなるのです。
このような情緒の未発達な者は、いざという時に適当な理屈や論理を編み出して
侵略に加担しかねない人です。

三つの愛のないような人間は、世界どこへ行っても尊敬はおろか信頼さえされません。>

『 日本人の誇り 』 94頁 藤原 正彦 著  文春新書



聖典 『 生命の實相 』 には、<あらゆる真理の奥伝秘伝が示されている> 

2017-11-14 00:00:28 | 天皇・国家

我々は、中学生の頃、社会科の授業で、ロックから基本的人権として、
「 人が生まれながらにもつ、個人の生命・自由・財産は、どんな権力も
おかすことができない 」 ことを、

ルソーからは、国民主権(人民主権)として、 「 国の権力は もともと人民自身に
ある 」こと( 主著は『 社会契約論 』 )を、

モンテスキュからは、三権分立として、立法・行政・司法の三権を互いに抑制させる
ことによって、ひとつの権力が肥大化することを防ぐことを、学んだ記憶があるに違いない。

しかしながら、そもそもこれらは、白人のためのものであり、有色人種は含まれて
いなかったのである。そこに、有色民族の解放の戦い、大東亜戦争が人類進化の
歴史的必然としてあったのではないか。

< 植民地支配は、一九世紀のヨオロッパでは正義とみなされていた。
『 イエス伝 』の著者として日本でも名高いフランスの歴史家エルネスト・ルナンは、
一九世紀半ばすぎに書いている。

「 植民地獲得は、ひろい視野から考えて完全に第一級の政治的必要性をもつ。
( 中略 ) 劣等人種の国土を優秀な人種が征服し、そこに支配権を樹立することに、
何の不都合もないのである。 」

名誉心を殆んどもちあわせない、ただし手先の器用な労働者として
自然はシナ人という人種をつくり出し、農業労働者として黒人をつくったのであり、
彼らを支配することこそがヨオロッパ人の仕事であるとルナンはいう。
彼のいうシナ人の範疇(はんちゅう)には、日本人も含まれていると考えてよい。

幕末の日本人は、こういう思想を奉じる白人の諸国がアジアの各地に次々に
侵攻して来るのを見て戦慄した。ヨオロッパ列強によるアジアの植民地化の波から
いかに生きのびるかが、当時の日本に課せられた巨大な課題だった。>

『 日本人と天皇 』 99~100頁 村松剛 著 PHP研究所

数学者の 藤原 正彦 氏は、いう。

「 欧米を見れば分かるように自由や平等、権利を何百年絶叫しても
人間社会の諸問題は解決しない。」( 読売新聞 平成18年6月28日 )

谷口雅春先生が説かれた聖典『 生命の實相 』 に、すべての問題解決の鍵が
秘められているのである。



昭和天皇が語られた天皇論

2017-11-12 23:35:00 | 天皇・国家

日本の天皇は皇帝(エンペラー)と呼ばれているために、明治憲法下の天皇が
独裁者だったと信じこんでいる人びとが欧米には いまでも少くない。
圧倒的多数がそう思いこんでいるといって、過言ではないだろう。

西洋でいうエンペラー、カイゼル、ツァールは、いずれもローマ帝国の
皇帝(カエサル)または(同じことだが)総司令官(インペラトール)の意味だから、
独裁者という理念を歴史的に内包している。

しかし日本の天皇は、奈良朝のおわりごろまではべつとして、カエサルや
インペラトールだったことはなく、明治憲法は立憲君主制の憲法だった。

憲法については 敗戦直後に 昭和天皇が、藤田尚德侍従長におっしゃられた
おことばがある。ひろく知られているはずだが、あえて引用しておく。


「 申すまでもないが、我国には厳として憲法があって、天皇はこの憲法の
条規によって行動しなければならない。またこの憲法によって、国務上に
ちゃんと権限を委ねられ、責任をおわされた国務大臣がある。 」

「 だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議をつくして、
ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出して裁可を請われた場合には、
私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。

もしそうせずに、私がその時の心持次第で、ある時は裁可し、
ある時は却下したとすれば、その後 責任者はいかにベストを尽しても、
天皇の心持によって何とかなるか分からないことになり、
責任者として国政につき責任をとることが出来なくなる。

これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。専制政治国ならばいざ知らず、
立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない。 」


天皇が語られた明快な天皇論、といえる。天皇は裕仁親王時代のイギリス訪問によって、
立憲君主制の実情を見聞してもおられた。

立憲体制の一機関と化すことを、昭和天皇はご自身にきびしく課して来られたのである。


世の中を かくあらまほし おだやかに 朝日にほへる おほうみのはら

摂政御就任の直後、大正十一年の歌会はじめにさいしての御製だった。


『 日本人と天皇 』 27~28頁 村松剛 著 PHP研究所



わが国の国柄

2017-11-11 18:08:10 | 天皇・国家

権力は常に移り変わってゆく。そうした中で、変わらざる権威としての安定軸が
あることは重要だ。 「 権威と権力とは 分けておいた方が、国の安定は保たれる。 」

「 権威と権力との分離は、奈良朝以前からすでに はじまっていた。
その権力の部分に後世 藤原氏が坐り、次には平家や鎌倉幕府が坐る。

祭祀王の伝統を保つ工夫が古い時代に準備され、外国に軍事力によって
支配されたことが ― マッカーサーの七年間以外には ― なかったという
幸せも手伝って、皇統は今日にいたったといえそうに思う。

権力が皇室から離れても、政治的大混乱期に際会すると、
人々はこの古い権威を背景に国内の統一を回復しようとした。

豊臣秀吉の場合が、そうだった。明治維新のときには秀吉の仕事とは
比較にならないほどの大改革を必要としたので、権威を前面に押立ねば
ならなかったのである。 」

『 日本人と天皇 』 ( 66~67頁 村松剛 著 PHP研究所 )

「 先の大戦終了時にも内閣は収拾がつかなくなり、昭和天皇の御判断を仰いだし、
戦後復興で国民がやる気を出したのも天皇陛下の全国御巡幸が一つの大きな契機になった。」

( 『 国民の憲法 』産経新聞社 )

わが国の国柄を連綿と流れている精神は、天皇陛下の祭祀と無私の祈りにあるのではないか。



憲法の家

2017-11-08 20:56:25 | 天皇・国家

憲法とは、国家・国民が独立を守り、未来へと進んでいく時間的な縦軸と、
国際社会との協調や自然環境との共生を目指す空間的な横軸を持つ
「 運命共同体 」 のような家であるべきである。
 国家権力を規制するのが憲法である というのは、一面的な見方である。


「 国民の憲法 」 要 綱

   前 文

日本国は先人から受け継いだ悠久の歴史をもち、天皇を国のもといとする立憲国家である。
日本国民は建国以来、天皇を国民統合のよりどころとし、専断を排して衆議を重んじ、

尊厳ある近代国家を形成した。山紫水明の美しい国土と自然に恵まれ、海洋国家として
独自の日本文明を築いた。よもの海をはらからと願い、和をもって貴しとする精神と、
国難に赴く雄々しさをはぐくんできた。


日本国民は多様な価値観を認め、進取の気性と異文化との協和によって
固有の伝統文化を生み出してきた。先の大戦による荒廃から復興し、

幾多の自然災害をしなやかな精神で超克した。国際社会の中に枢要な地位を占め、
国際規範を尊重し、協調して重要な役割を果たす覚悟を有する。


日本国は自由主義、民主主義に立脚して、基本的人権を尊重し、
議会制民主主義のうえに国民の福祉を増進し、活力ある公正な社会を実現する。

国家の目標として独立自存の道義国家を目指す。人種平等を重んじ、
民族の共存共栄をはかり、国際社会の安全と繁栄に積極的に貢献する。


われら日本国民は、恒久平和を希求しつつ、国の主権、独立、名誉を守ることを決意する。
これら崇高な理想と誇りをもって、ここに憲法を制定する。


  第一章 天 皇
 
第一条 ( 国柄 ) 

日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である。

第二条 ( 国の元首 )

天皇は、日本国の元首であり、国を代表する。


現憲法下でも 政府見解では 日本は立憲君主国で 天皇は元首であるが、
憲法に明文の規定がないため、わが国の国柄を明記するべきである。


『 国民の憲法 』 産経新聞社より適宜抜粋。



< 日本の誇り > 元田永孚(もとだながざね)― 表に出ない明治第一の功臣(こうしん)

2017-03-22 00:35:46 | 天皇・国家
明治天皇に侍講(じこう)として仕えた元田永孚は文政元(一八一八)年生まれの
熊本藩士で、明治四年から二十四年まで明治天皇に帝王学をご進講した。

元田はすぐれた人格と学問見識を有し、明治天皇の師傅(しふ)として、
あるいは政治の最高顧問として最も信頼された明治の隠れた偉人であった。
西郷隆盛を別にして元田ほど深いご信任を得た人物はほとんどいない。

元田がご進講したことは、日本国体の尊厳、君徳(くんとく)の根本、忠孝仁義の倫理、
国家民族の治乱(ちらん)盛衰(せいすい)の理(ことわり)と歴史などであった。

国家を治める根本は祭祀(さいし)、道徳、教化にあり、何よりも大切なものは
人君・国家指導者の姿勢、心得であるとし、君主の基本姿勢として、
神々、先祖及び国民に対して敬畏(けいい)、謹慎、謙譲、慈愛の心をもち、
常に内省して徳性、心術(しんじゅつ)を磨(みが)くことを繰返しご進講した。

明治天皇はその教えを生涯 身を以(もっ)て実践された。天皇と元田の関係は
真に君臣(くんしん)水魚(すいぎょ)の交(まじ)わりであった。

明治天皇は政府から重要問題の奏聞(そうもん)があるごとに先ず元田の考えを聞かれた。
元老(げんろう)筆頭の伊藤博文(いとうひろぶみ)は至尊(しそん)(天皇)の背後に
必ず至高顧問があると推察したところ、それは元田であった。

元田の働きは ほとんど表にでないが、重大なものとしては 教育勅語(きょういくちょくご)の
発布において、明治天皇の御心(みこころ)を体し、井上毅(いのうえこわし)と協力し合った
ことである。


副島種臣(そえじま たねおみ)は 元田を明治第一の君臣とし、
「 君徳(くんとく)の大を成すに与(あずか)って最も力ある先生なればなり 」 と
たたえた。

岡 田 幹 彦 著 
『 日本の誇り103人 ― 元気のでる歴史人物講座 ― 』 ( 190 ~ 191頁 ) 光明思想社



『 教育勅語の真実 』 はしがき

2017-03-11 23:48:15 | 天皇・国家
はじめに

世界が感嘆した日本人の国民性

平成23年3月11日、東日本の太平洋沿岸を未曾有の地震と津波が襲いました。
二万人を越える死者・行方不明者を出し、東京電力福島第一原子力発電所で
起こったあの深刻な事故が、日本国民の心を何日も衝撃と不安に揺り動かし続けました。

しかし、そうした中、この大災害に対処した日本人の冷静沈着な行動に対し、
世界中の人々が感嘆と称賛の声を寄せたことは、今なお記憶に新しいところです。


東京においても電車が全面ストップして帰宅難民があふれる中、やむをえず、
徒歩で家路を急ぐ人々に対して、沿道の企業や商店、学校などがロビーを開放して
休息所やトイレを進んで提供した事例が、テレビなどで数多く報道されました。

中には社員総出で帰宅する人々に、自社を開放していることを知らせ
「 皆さん頑張りましょう 」 と呼びかけた会社もあったといいます。

震災の翌朝、私が訪れた新宿駅では、帰宅が困難になった方々が階段に座って電車が
動き出すのを待っていました。しかし、誰が呼びかけた結果なのかよくわかりませんが、
座る場所もないくらい混雑している中でも、中央の通路だけは 「 通る人がいるから 」 と
空けてあったのです。



計画停電が実施された時には、電車の本数が削減されたこともあり、どの駅も乗客が
入れきれないような大混雑となりました。しかし、この時も一切混乱はありませんでした。
人々は文句をいうこともなく、ただひたすら駅員の指示に従い、整然と行列をつくって、
電車の来るのを静かに待ちました。

それを見たあるドイツ人が、「 日本国民はアーミーか 」 と叫んだそうです。
軍隊でしか考えられないような規律正しさを、日本国民は示したのです。

さらに、震災直後から続々と手を挙げたボランテイア希望者の数や義援金の総額など、
いずれも私の想像を越えるものでした。

こうした状況を、アメリカのニュース専門チャンネルCNNテレビは
「 住民たちは冷静で、自助努力と 他者との調和を保ちながら 礼儀を守っている 」 と報じ、
またハリケーン被害に遭ったニューオリンズのケースと比較しながら、
商店などの略奪行為について、「 そんな動きはショックを受けるほど皆無だ 」 と
仙台からリポートしています。

あるいは、中国の新華社通信の記者は、「 信号機が停電し、交差点に警察官も立っていない
のに、ドライバーはお互い譲り合い、混乱はまったくない 」 と驚きをもって伝えていました。

それだけではありません。中国国内では、避難所で十分な食料もない当初は、
被災者が順番を守り、列をつくって少ない食物を平等に分配し、しかも全員が
感謝の意を表しているニュース映像に、「 われわれ中国人は、モラル、道徳心の面では
まだまだ日本に遠く及ばない。被災した日本人に学ばなければならない 」 との声が
期せずして挙がったといいます。


日本人のDNAとなっている 「 教育勅語 」

私は大東亜戦争終結後、日本人は拠(よ)るべき心の支えを失い、「 このままでは、
日本は絶望的ではないか 」 という暗い気持ちになることも しばしばありました。

しかし、今回の大震災は、その廃(すた)れたと思っていた道徳心や倫理観が、
まだまだ日本人の心の中にDNAとして立派に生きていることを私に実感させてくれました。


それは、日本の美しい自然や風土の中で培われた先天的資質、という面も
あったかもしれません。しかし、やはり大部分は教育の結果だろうと思うのです。

昨年、「 トイレの神様 」 という歌が大ヒットしました。トイレ掃除が苦手な少女が
おばあちゃんからトイレには女神様がいるから、毎日一所懸命に掃除をすると
美人になれるよ、と教えられたという歌です。

聴いていて私などホロリとさせられた次第ですが、これと同じように震災に立ち
向かった人々の中には、道徳心や倫理観を大切にした戦前の教育を受けたおじいちゃんや
おばあちゃんから、息子、孫へと継承された 「 日本人の心 」 があったのだろうと思うのです。

それを培ったのは、戦前の 「 修身 」 教育であり、 「 修身 」 の骨格をつくった
「 教育勅語 」 だったと思います。こうした心の教育があって初めて、相手の思いやりや
礼儀正しさ、秩序を守る心などが育(はぐく)まれたのではなかったのでしょうか。


それと もうひとつ、今回の震災後の対応で感動的だったのが、わが身の危険も顧みず、
福島第一原発では現場に赴(おもむ)き、地震・津波の被災地では懸命に死者、行方不明者の
捜索・救援にあたった自衛隊員、消防隊員、警察官などの行動です。

例えば、自衛隊が福島原発での放水作戦に出動が決まった時のこと。
「 これはいわば覚悟の作戦だ。強制はしない。行ける者は一晩じっくり考えて
自分の気持ちを固めてほしい 」 と述べた上官の言葉に対して、
全員が躊躇(ちゅうちょ)なく 「 自分が行きます 」 と口をそろえて答えたといいます。

また、勤務先から直接、福島第一原発へ行くように出動命令が下った、ある消防レスキュー隊の
隊長が、家族に対して「 必ず帰ってくるから、それまで安心して待ってくれ 」 という
メールをしたところ、奥さんから 「 家族のことは心配なさらず、日本の救世主になって
ください 」 というメールが返ってきたという感動的な報道もありました。

まさに、自己犠牲をいとわず公のための任務を遂行するという、われわれのまぶたを
熱くするようなできごとがあったのです。

もちろん自衛隊員は、 「 事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、
もって国民の負託にこたえる 」 と宣誓して自衛官になっており、これは他の公務員とは
比較にならない重い義務だともいえるわけですが、その奥にあるのは、「教育勅語」にある
「 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレハ、義勇(ぎゆう)公(こう)に奉(ほう)シ 」 と
いう精神だったのだと思います。


こうした意識は、なにも自衛隊員や警察官などの公務員に限りません。
有名な話が、宮城県南三陸町職員で防災放送を担当していた遠藤未希さんです。
彼女は最後まで 「 皆さん、津波が来ます。逃げてください 」 という放送を続け、
最後に津波にのみこまれて亡くなりました。

たとえ自分の身は危険にさらされても、津波が来る瞬間までマイクを握り続けた姿は、
大東亜戦争の末期、樺太(からふと)の電話局で交換手をしていた乙女たちが、
ソ連軍が侵入してきたにもかかわらず最後まで職場を守り、 「 これが最後です。皆さん、
さようさら、さようなら 」 といって自決していった姿に重なります。

また、海水の侵入を防ぐために水門を閉めにいって津波に流された消防士も、
お年寄りを助けにいってそのまま波にさらわれ殉職した警察官もいました。

以下は岩手県の陸前高田市の市長さんから聞いた話です。
同市では六十八人の職員が亡くなられていますが、その大半が 「 危険だから行くな。
みんな避難しろ 」 という声を振り切って、市民を守るために職場を飛び出していった職員だった
とのことです。市長さんは 「 だから、亡くなった六十八人は、私にとって掛け替えのない
職員だったんです 」 と声をつまらせておられました。

自分の身を顧みず、勇気を奮い起こして 「 義勇公ニ奉シ 」 たこの人たちの姿は、
まさに 「 教育勅語 」 が説いた日本人の生き方そのものでした。

「 教育勅語 」 の精神が 今も精神のDNAとして日本人の心の中に残っていたとしか
考えられません。また、これらの話に感動した人たちも、そのことを思い起こしたのでは
なかったでしょうか。

このことは、アメリカ・ジョージタウン大学教授で日本文学の研究者でもある
ケビン・ドークさんが、
「 日本国民が自制や自己犠牲の精神で 震災に対応した様子は、
広い意味での日本の文化を痛感させた。日本の文化や伝統も米軍の占領政策などにより、
かなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は変わらないのだと
思わされた」( 『 産経新聞 』 三月二十五日 )
と論評していることとも重なり、とても的確な指摘だと感じました。

では、こうした日本人の良質な精神、行動を生み出した 「 教育勅語 」 とは、
どのようなものだったのか。改めてその成立過程から見ていくことにしましょう。


「 教育勅語は普遍的良心 」
http://thankfullife.blog.so-net.ne.jp/kyoikutyokugo

『 教育勅語 』 縦書き PDF ・ 書写用紙(A4)PDF
http://www.meijijingu.or.jp/kyouikuchokugo/pc/index.html#04

【 参考 】 漢字の検索 ( 筆順 )
http://kakijun.jp/main/kensakuyomi.html



『 教育勅語の真実 』 伊藤哲夫 著 

2017-03-11 21:52:12 | 天皇・国家

『 教育勅語の真実 』 伊藤哲夫 著 
致知出版社 平成23年10月18日第一刷発行 

本の正式なタイトルは、

『 世界から称賛される日本人の美質を育んだ
教育勅語 の真実 』

カバー前そで より

<「 教育勅語 」 がなければ、
明治の時代を支えた
国家理念は生まれなかった
かもしれない。
その作成に心血を注いだ、
井上毅(いのうえ こわし)と元田永孚(もとだ ながざね)という二人
の偉人がいてくれたことに、
われわれは感謝したい。>

帯封 より

< いまも日本人に流れる
「 教育勅語 」 の精神に学ぶ >

< 思いやり
礼儀正しさ
秩序を守る ・・・ >

< 震災によって
浮き彫りになった
日本人の美徳
の源泉は
ここにあった。 >





『 教育勅語の真実 』 目 次

2017-03-11 12:38:32 | 天皇・国家

はじめに 1
                        
第 1 章 なぜ 「 教育勅語 」 が求められたのか 
     
    ○近代化の道を歩み始めた明治の日本          18
    ○驚愕の文明国だった欧米諸国             20
    ○混迷する明治日本の精神文化・道徳          23
    ○西洋化する教育現場と明治天皇のご憂念        26
    ○道徳の授業は孔子を主としたものに          30
    ○『教育議』で伊藤が訴えようとしたこと        33
    ○岩手県知事が語る教育界の状況            37
    ○徳育教育の重要性を建議した地方官会議        40
    ○教育上の基礎となるべき「箴言」を編纂せよ      43

第 2 章 井上毅という人物

    ○生い立ちとその思想                  50
    ○重鎮・横井小楠の開国論を批判             53
    ○「日本」を一途に思う                 57
    ○思想形成の転機となった欧州留学            61
    ○儒教に洋学を取り込む                 66
    ○明治政府のグランド・デザイナーとして         70
    ○かくまで徹底した国史の研究ぶり            73
    ○漢学・洋学から国学へ ― 「うしはく」と「しらす」   77
    ○天皇治世の要・「しらす」の思想             79
    ○外つ国の千種の糸をかせぎあげて大和錦に織りなさばやな  83
                       
第 3 章 こうして「 教育勅語 」 案は 起草された ― その誕生物語 ―

    ○否定された文部省案                   88
    ○井上が提起した七項目の作成条件             91
    ○上からの「押しつけ」となることを避けた井上の真意    99
    ○元田永孚の教えを請う                  104
    ○天皇の信頼篤き忠臣・元田永孚              109
    ○自らの勅語案を秘かに没にした元田            111
    ○互いに切磋琢磨してさらに高みを目指す          114
    ○天皇と国を思う一点で結びついた二人の絆         119
    ○最終段階での幾つかの逸話                125
    ○ついに渙発された教育勅語                129
    ○勅語は決して儒教道徳そのものではない          133
    ○儒教の根底となったのは「しらす」の国体観        136

第 4 章 「 教育勅語 」 が果たした役割

    ○解釈する前に、勅語を勅語として語らしめよ         142
    ○日本人の精神的支柱となった 「 教育勅語 」         146
    ○「中外ニ施シテ悖ラス」をめぐる逸話            149
    ○絶賛された日本の 「 教育勅語 」             150

第 5 章 現代日本人にとっての「 教育勅語 」

    ○日本弱体化の切り札にされた「 教育勅語 」         156
    ○今甦る 「 教育勅語 」 の精神               159
    ○彼は国家のために、その汗血を絞り尽くしたり        163

おわりに  175
    




日本国の ‘ いのち ’

2017-02-10 19:56:07 | 天皇・国家

日本国の ‘ いのち ’ は、どんな創造的アイディアをもって
出発したかというと 第一に 天照大御神「 天孫降臨の神勅 」 にある
「 豊葦原の瑞穂の国は(世々)わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき
地(くに)なり 」 というアイディアをもって出発し、

第二に 神武天皇の 「 ( 前略 ) 六合(りくごう)を兼(か)ねて都(みやこ)を開き
八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為さん 」 という
建国奠都(てんと)の詔勅(みことのり)に 日本国誕生のいのちが内包する
個性ある創造的アイディアが言(ことば)をもって表現されているのである。

日本国は、その国の王たる者が武力 又は 暴力をもって 権力を掌握したものでないこと、
その国の王者たるものは 神定の霊統を引くものの子々孫々が
嫡々(てきてき)相承(そうしょう)すべきこと ー
これによって日本国家の中心形態のアイディアが定ったのである。

これが 子々孫々 永久に伝えられるべき国家のあり方の第一最大の伝統なのである。
この伝統が生きて嫡々相承している間、日本国のいのちは生きているのである。


『 聖なる理想 ・ 国家 ・ 国民 』 ( 151頁 ) 谷 口 雅 春 先 生



天照大御神 の 「 天孫降臨の神勅 」(「 天壌無窮の神勅 」)
     ↓
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原(たかあまはら)より五伴緒命
(いつとものおのみこと)を引きつれて、天降(あまくだ)って来られて
     ↓ 
神武天皇 の 「 建国奠都(てんと)の詔勅(みことのり) 」
      ( 即位建都(そくいけんと)の大詔(おおみことのり))
     ↓   
   日本国の誕生