あなたが自分で何とか治そうと思っていた時には、内部に宿っている神の生命が、
「 俺が何とか治してやろうかと思うとったけれども、
あんまり彼奴(あいつ)は自分で何とかしようと思うとるから、
まあまあ彼奴のやるのを見とってやれ 」 というわけで、
その、自分に宿っている “ 大いなる力 ” が働かずに傍観しておったのです。
だから快(よ)くならなかったんですね。その傍観を止めて貰(もら)う。そして神様に働いて貰う。
それには吾々は神様の方へふり向いて、
「 神様どうぞ頼みます。いままで 我の力でなんとかやってみたけれども、駄目でした。
もう我の力には見切りをつけました 」 というのが、一向専心ですね。
雑業雑修の心を振り捨てるんです。そして仏様の方へクラリッと向くんです。
これが、一躍 「 実相 」 の方へ跳び込むということなんです。
雲は捨てておいたら消える
雲を跳び越えて雲の彼方(かなた)にある太陽の輝く世界に跳び込むんです。
雲を吹き払う術を考えなくてはならないと思って、いろいろと雲を追い払う実験をしておっても、
それでは駄目ですね。雲というものは捨てておいたら 結局 霽(は)れてしまうものです。
現象界の一切のゴタゴタや人と人との不調和でも、肉体の病気でも、或(ある)いは事業の失敗でも、・・・
そんなものはみな雲なんです。常に移り変る現象の姿なんです。
雲はいつも一定の形なんてありゃしない。始終変っているんです。
変るということは、此の前にも言ったように “ どんな悪いものでも永続性がない ” ということである、
うれしいですね。― 悪いものが出ておっても、頑としてそれが永続していると思ったら、
これは堪(たま)らないけれども ー “ どんな現象の姿も永続性がないんだ ” ということがわかったら、
もうこんなうれしいことはない。
雲はきっと霽(はれ)れる、霽れない雲なんて見たことないでしょう。
皆さんがどんなに現在 不幸であっても、病気であっても ー 悪いものは一つも非実在(ない)のだ。
ナイものはないんだ。それは唯、一時(じ)そう見えているだけのことである。
「 現象 」 を超えて 「 実相 」 の中に跳び込むんです。
つづく・・・