なにごとでも、これから始める時に、私たちは まず 「 心(こころ) 」 の中に、
はっきりと一(ひと)つのことを きめることです。
立派なピアニストになろう、と まず強く決心したら、そのためには どうしたらよいかが、
次に きまってきます。
私でも、医者になろう、と きめたから、医科大学へ行ったのです。
立派な経営者になろう、と きめたら、それには どうしたらよいかが、次に きまります。
まず、
「 私は神の子である 」
この根本的な人間観を、はっきりと確立してください。
「 人間神の子 」 の人間の本来の姿を、はっきりと確認して、 「 私は神の子である 」
「 私には無限の可能性があるのだ 」 と、心の底の底から きめることです。
そうすれば、私は、どのような生活をすればよいのか、という生活法が、次に きまってくるのです。
この 「 私は神の子である 」 と 心できめる、その自覚・認識の程度にしたがって、
その人の生活が変わってきます。
神の子には ちがいないのだが、このくらいのことはよいだろうと、
たまには神の子らしくない生活をしてみたりすることは、まだほんとうに、
神の子としての自覚ができていない証拠で、自分をほんとうに神の子と認めていない、
つまり ほんとうの神の子、ときめていないから、起こってくるのです。
人間は、ほんとうに心の底からきめたら、そのきめたことが、必ず行動として
現われてくるものです。現われてこない時には、まだほんとうに きめていないのです。
「 心で決める 」 ということは、なにもお金のかかることでもなく、
また、他人からしてもらわなければならないことは、なに一つなく、自分だけで、
できることなのです。
このように考えてきますと、自分の運命を支配するのは、自分の心であるということになり、
自分の心は、自分できめるより他(ほか)に道はないのですから、自分の運命は、
自分自身の責任であり、自分が支配しなければならない、ということがよくわかるのです。
『 心とカラダと運命 』 ( 72 ~ 74頁 ) 徳久克己 日本教文社
はっきりと一(ひと)つのことを きめることです。
立派なピアニストになろう、と まず強く決心したら、そのためには どうしたらよいかが、
次に きまってきます。
私でも、医者になろう、と きめたから、医科大学へ行ったのです。
立派な経営者になろう、と きめたら、それには どうしたらよいかが、次に きまります。
まず、
「 私は神の子である 」
この根本的な人間観を、はっきりと確立してください。
「 人間神の子 」 の人間の本来の姿を、はっきりと確認して、 「 私は神の子である 」
「 私には無限の可能性があるのだ 」 と、心の底の底から きめることです。
そうすれば、私は、どのような生活をすればよいのか、という生活法が、次に きまってくるのです。
この 「 私は神の子である 」 と 心できめる、その自覚・認識の程度にしたがって、
その人の生活が変わってきます。
神の子には ちがいないのだが、このくらいのことはよいだろうと、
たまには神の子らしくない生活をしてみたりすることは、まだほんとうに、
神の子としての自覚ができていない証拠で、自分をほんとうに神の子と認めていない、
つまり ほんとうの神の子、ときめていないから、起こってくるのです。
人間は、ほんとうに心の底からきめたら、そのきめたことが、必ず行動として
現われてくるものです。現われてこない時には、まだほんとうに きめていないのです。
「 心で決める 」 ということは、なにもお金のかかることでもなく、
また、他人からしてもらわなければならないことは、なに一つなく、自分だけで、
できることなのです。
このように考えてきますと、自分の運命を支配するのは、自分の心であるということになり、
自分の心は、自分できめるより他(ほか)に道はないのですから、自分の運命は、
自分自身の責任であり、自分が支配しなければならない、ということがよくわかるのです。
『 心とカラダと運命 』 ( 72 ~ 74頁 ) 徳久克己 日本教文社