
「光瀬 龍」が1965年に「SFマガジン」で連載した作品を
1977年に「萩尾望都」が「週間少年チャンピオン」に連載した漫画である
同じく「光瀬龍氏」の本を漫画化したものに
アンドロメダ・ストーリーズ(作画:竹宮恵子)
墓碑銘2007年 (作画:水樹和佳子)などがある
アンドロメダ・ストーリーズについては、このブログでもレビューしているので
コチラをどうぞ~
さて、この「百億の昼と千億の夜」。タイトル的には惹かれやすいが…
百億と千億では千億の方が多いから…夜の方が長いのだろうか?(笑)
多分…作者は永遠とも言える空間と時間を、タイトルで現そうとしたと思うが…
この話の根本に東洋仏教的な考えが多く網羅されているので一応書くが
仏教の中での永遠とも言える空間を表す言葉に「三千大千世界」という言葉がある
須弥山を中心に周囲四大洲と上は遥か梵世、下は可なり下の風輪まで
この世界を1と数え、それが1,000個集まって小・中・大世界と3乗したものを
「三千大千世界」という。(1世界が10億集まった空間)
この周囲・上下の空間を一人の仏が教化出来るという(笑)
つまり、宇宙まるごと一個を、一人の仏が救えるんだよっと言っている
つぎに、この「百億の昼と千億の夜」に一環して登場する人物が3人いる
阿修羅王・シッタータ(釈迦)・オリオナエ(プラトン)である
馴染み深い名前の3人であるが…
釈迦とプラトンはどちらも人間の本質を探究していて
それを教材に学生達に教えようとしていたプラトンと
それを宗教の経典とし、考え方を人々に広めた釈迦と
この二人の行動と、もう一人の主人公である阿修羅王とでは行いに隔たりがある
阿修羅王は…元は天上世界に住み、「正義」を司っていた
愛娘をいずれ天上世界を治めている「帝釈天」へ妻として贈ろうと考えていた矢先
女好きの「帝釈天」に娘を強姦されてしまう
怒った阿修羅王は、あらん限りの軍勢を集めエンドレスとも言える戦いを
帝釈天に挑み続けるのである
が、親の心子知らず。強姦されて嘆いていた娘は、帝釈天とねんごろとなり
立場を失った阿修羅王は天上世界から追い出され「鬼神」となってしまう
その後、現れた仏の慈悲により救われ、仏教加護に尽力を尽くすのである
っというのが通説として残っている
一応仏典では阿修羅王は「男」であるが、光瀬龍氏の書いた本も
萩尾望都氏の描いた漫画も、阿修羅王は「女」として描かれている
さて、前フリが長々と続いたが、簡単なストーリを書いておこう
多少のネタバレがある(多少過ぎて感じないかもしれん…笑)
覇権を誇りつつも突然消えたアトランティスに興味があり、
著作も手がけたプラトンは、新たなアトランティスの古文書を探し旅へと出かけた
エルカシアという町で、今尚動いているアトランティスの高度な技術に触れ
興味をつのらせたプラトンは、エルカシアの宗主と会う機会を得る
光るパネルの向こうから声だけ発する宗主に、アトランティス滅亡の謎を問うが
自身の目で見つけることになるであろうと言われ、気を失う
目が覚めるとプラトンは、なんとアトランティスの司政官となっており
神である巨人「ポセイドン」より、アトランティス移動を強要され苦悩していた
「ポセイドン神」は、惑星開発委員会なるものがあり、そこからの要請だと言う
これだけ栄えている王国を捨てよという神の意思が解らず
困惑する民衆の暴動により、アトランティスの移動は失敗。
一夜にして王国は消える。
ここから、プラトンの時空を超えた長い・長い旅が始まる
また釈迦は、釈迦国皇太子の座を捨て出家し梵天王と出会う
そこで阿修羅王と帝釈天の4億年もの長きに渡る戦いを聞き
「死」から逃れる術を持たない人の世の苦しみを
遥かに超えたところに存在しているハズの神々が、
何故に長きに渡り戦いをしているのか?と疑問を感じ、阿修羅王と会うことにする
三葉虫が這いずり回っていたアノ頃より、我々の住むこの時間と空間の世界が
着々と滅亡へと進むのを、ヒシヒシと肌で感じる
これが…地球だけ、人間だけの話ではなかったとしたら?
一人の仏が救えると言われている広大な三千大千世界。
もし、その一人の仏が救うのを諦め、匙を投げ
この世界を終わらせようとしていたら…
帝釈天は早々に諦め、あらがうのを辞めた
阿修羅は帝釈天の諦めに怒りを感じ、戦いを挑んでいる
イエスは巧く取り入り、次世界の三千大千世界へと逃亡しようと試みる
プラトンと釈迦は、阿修羅王と共に見えない敵に戦いを挑んで行くが…
蟻が地球を動かしている動力に、戦いを挑むようで
相手が膨大過ぎて姿すら見えない。
ただし、唯一の希望がある。プラトン・釈迦・阿修羅王に長き命を与え
進む滅亡に楔を打つ使命を与えた存在が…。
ってな壮大かつ、想像すら出来ない世界を描いた作品である(笑)
先にも述べたが「百億の昼と千億の夜」の世界感は
仏教でいう「三千大千世界」にあたると思う
つまり時間も空間も上(天上界)下(地表の遥か下)まで一つの世界であり
一人の人間が把握出来ない広さではあるが
たった一人の「仏(何者か)」が救うことが出来る広さでもある
救うという行為を諦めたとしたら、たった一人の「仏(何者か)」の意志で
滅亡させることも出来るであろうっと、作者は考えたのだと思う
それを考えると…そら恐ろしい世界を描いたとも言える
ただし、そうとばかりは言えないという事も一応記述しておく
仏教世界で解かれている「三千大千世界」ではあるが
経典の中に、その広大な世界は「外」にあるとばかりは言えないっと書かれている
人の「内」に、世界があり、人の気持ちでどうとでもなる世界だとも言う
どんな生命もその心の内に「三千大千世界」を持ち
それを滅亡させるも、救済するも、その人の心持ち一つで決まるのである
人の心の中に、広大な宇宙が広がり
それを生かすも殺すも救うも破滅させるのも、たった一人の人の心が決める
っと説いているのだ
「仏を外に求めるな、自身の心の内にこそ仏は居る」である
また、そう考えると…我等の住んでいるこの三千大千世界も
誰か人の心の中にあるのかもしれん。
どこか違う世界のしがない中年サラリーマンの心の中に住んでいたとしたら…
叫んでも聞こえんかもしれんが、大声で「ガンバレ~」っとエールを贈りたい
(アハハハハハハハ)
また、「死」はあらがえないものではあるが…生命は永遠に続くとも言われておる
「死」は長き生命に耐えられない器の死とも言える
たとえ、誰かとこの世で死を堺に別れたとしても、忘れないで欲しい
生命は永遠で「縁」は生命と共に続く
この世で出会った人と、また違った形で会う可能性がある
別れは辛く悲しいが、永久の別れではないことを心に刻み、
悲しみに負けないで欲しい
そう信じるということが大事だと思う。なにせ誰も生きて見てない世界だから
解らんがの~(笑)
ただ、この漫画でも釈迦とプラトンが最後に、未来を信じて阿修羅に全てを託す
何かや、誰かを信じることは、人の心にとって大切な栄養素かもしれん
人の心のよりどころである「永遠の生命論」を見事に打ち砕いた本書の内容も
最後の最後に「希望」というよりどころを作り、完結している
それが無ければ、空虚さだけが残る話であった
というか…ココにしか逃げ込めない所へ落ち着いたと言えようか(笑)
今、病気の人も、病気の家族を抱えている人も…
生命が永遠であることと、人の心の信念には三千大千世界をも動かす力がある事を
信じて欲しい。
帝釈天のように諦め享受するより、私は何か出来ると信じて戦う阿修羅が好きだ
な、色々と考えることの出来る大変、面白い漫画だろう(笑)
始めて読んだのは、10代後半。阿修羅の美しさに魅了された
20代半ばで一度読みかえし、仏教理念と照らし自説を得る
30代でも読んでいる。生命の危うさを感じ眩暈がした(笑)
今回、トミーさんよりお借りし、また読む機会を得た
40代も終わりに読むと、初めて落ち着いて受け入れながら読めた(ハハハハ)
ありがたいことに、簡単に手に入る漫画なので
一度読んでみることを、おすすめする(頭が痛くなったらゴメン…笑)
好きな漫画なんで…可なりシツコク長く書いてしもうた
長いのでパスしてくれてもOKじゃ~って…こういう事は先に書かねば意味ないか
(アハハハハハハハ)



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