私のブログでは「エクアドルのバナナ売りさん」として
何度か登場したことがあるAさんが、急逝されたと会社に連絡が来た。
自宅で突然亡くなった場合、事件性の有無は調べるものの
実際に何が原因で亡くなったのかハッキリと明言するのは難しいと聞く。
たいがいの場合、心筋梗塞と診断されるそうな。
Aさんは今年還暦を迎える年齢であった。
これといって日に焼いていないのに年中色黒で、明るく穏やかな性格の人であった
Aさんとは部署が違うが彼を兄と慕うSさん、それに私の3人は大変仲が良かった。
何かというと寄り合い、お互いに冗談を飛ばしあいながら笑いあっていたものである。
そんなAさんが2年前の早春に奥様を亡くされてから、みるみる元気がなくなり
私とSさんは心配したもんだった。
奥様も心筋梗塞の突然死で、Aさんが自宅に帰ったら亡くなっていたというから
よりショックが大きかったのかもしれん。
奥様存命中は結構悪口も言っていたのに、奥様が亡くなってからの彼の憔悴ぶりを見るに
「そんなに愛してたんだ~」っと周りの衆は驚いてしまった。
それが半年経っても、一年経っても元気になるどころか
ますます憔悴し、生きる屍のようになって行く彼を見て、益々、周りの衆は驚いた。
とはいえ、気持ちは解るが何時までも萎れている訳にはいかない。
残されたと言えば寂しい気持ちにもなるが
別の世界へ旅立った人を何時までも思い過ぎ、悲しみが過ぎても体を壊す。
なんと言っても我々は「生きて」いるんだし、「生きて」行かねばならないのだから。
まったく趣味を持たないAさんに
「男の料理教室はどうじゃ? 若いピチピチギャルがおるぞ~」とか
「盆栽教室ってのは、無心になれてエエそうじゃよ~」とか
私とSさんで彼の趣味を見つけようと、あ~だ、こ~だ言っておったが
結局、Aさんの休日は、奥様の墓参りで落ち着いてしまっていた。
「毎週墓参りへ行って何をしてるんだ?」と聞くと
「一週間の出来事を墓前で報告するのが、一番落ち着くんだ~」とか言っておった。
そんな時の訃報である。社員一同俄かには信じられんかった。
っと同時に「やっぱりな~」という複雑な気持ちが渦巻いた。
正直、妻の立場から言わせてもらえば…そんなに思ってくれるのは嬉しいのだが…
その半面、夫の事が心配で…夫を置いてあの世へは旅立てないかも?…とも思ってしまう。
2年経っても悲しみから脱却出来ない不甲斐ない夫を放っておけず
つい、一緒に連れて行ってしまったのかもしれん。
そんな風に想像してしまうほどに、急な出来事であった。
Aさんが亡くなったとの知らせを受けたのは先週の月曜日で
それからバタバタと手配や手続きに明け暮れ、気が滅入った所で木曜日にオフ会があった。
前の記事でも載せたが上野の博物館へ出かけたのである。
翌日の金曜日が通夜だと連絡が来ていたので
会社を休むのもどうかと思ったが、前からの予定だったので思い切って出かけてみた。
お天気も良く、上野の木々に五月の陽光が柔らかくあたり木漏れ日を作っている様を見て
滅入っていた気分がス~っと楽になるのを感じることが出来た。
また、気のおけないメンバーのハツラツとした笑顔を見て、沢山の元気を貰うことができた
お陰で翌日の通夜でAさんにちゃんと別れを言えた。
で、「ああ、そういうことか」っと思った。
辛いことや悲しいこと、苦しいこと、世の中には色々とあって
それを避けては、人は生きていけない。どうしたって何処かで出会う。
そんな状況の時に、会社などの組織に属さない部分に友人を持つということは
とっても大事なことなんだな~っと感じた。
私のように故郷を後にし遠い場所で働いていると、気付けば周りは会社関係ばかりである
きっとAさんも同じだったのだろう。
社内でいくらアホな話をし笑っていたとしても、その場限り。
休みに一緒に何処かへ出かけるメンバーに、会社仲間は出てこない。
夫や子供、親や兄弟、親戚関係では得られないモノがあり
それは何の上下関係もない、友人から得られる心の糧となるモノなのかもしれん。
通夜へ出かけようと会社の更衣室で着替えをしていると後ろから甲高い声が聞こえた
「すみませ~~ん。手伝って下さい~~」
甲高いが悲痛な声に驚いて振り返ると、購買部の30代主婦のキャピ子ちゃんが居た。
太ってしまい…喪服の背中のファスナーが閉まらないので手伝って欲しいと言う。。。。。
「訃報は月曜だったんだぞ!ナゼに金曜までに喪服を買わん!」っと普通なら思うのだが
前日の友人効果は絶大であった。
肉を喪服に詰め込みながら、笑顔でファスナーを閉めてあげることが出来た(アハハハハ)
また、皆で何処かへ遊びに行きたいな(笑)
その時は、私が皆に元気を分けてあげられるように、めげずに働こう~っと。
ポチっとで、作者のヤル気でるかもです(笑)
何度か登場したことがあるAさんが、急逝されたと会社に連絡が来た。
自宅で突然亡くなった場合、事件性の有無は調べるものの
実際に何が原因で亡くなったのかハッキリと明言するのは難しいと聞く。
たいがいの場合、心筋梗塞と診断されるそうな。
Aさんは今年還暦を迎える年齢であった。
これといって日に焼いていないのに年中色黒で、明るく穏やかな性格の人であった
Aさんとは部署が違うが彼を兄と慕うSさん、それに私の3人は大変仲が良かった。
何かというと寄り合い、お互いに冗談を飛ばしあいながら笑いあっていたものである。
そんなAさんが2年前の早春に奥様を亡くされてから、みるみる元気がなくなり
私とSさんは心配したもんだった。
奥様も心筋梗塞の突然死で、Aさんが自宅に帰ったら亡くなっていたというから
よりショックが大きかったのかもしれん。
奥様存命中は結構悪口も言っていたのに、奥様が亡くなってからの彼の憔悴ぶりを見るに
「そんなに愛してたんだ~」っと周りの衆は驚いてしまった。
それが半年経っても、一年経っても元気になるどころか
ますます憔悴し、生きる屍のようになって行く彼を見て、益々、周りの衆は驚いた。
とはいえ、気持ちは解るが何時までも萎れている訳にはいかない。
残されたと言えば寂しい気持ちにもなるが
別の世界へ旅立った人を何時までも思い過ぎ、悲しみが過ぎても体を壊す。
なんと言っても我々は「生きて」いるんだし、「生きて」行かねばならないのだから。
まったく趣味を持たないAさんに
「男の料理教室はどうじゃ? 若いピチピチギャルがおるぞ~」とか
「盆栽教室ってのは、無心になれてエエそうじゃよ~」とか
私とSさんで彼の趣味を見つけようと、あ~だ、こ~だ言っておったが
結局、Aさんの休日は、奥様の墓参りで落ち着いてしまっていた。
「毎週墓参りへ行って何をしてるんだ?」と聞くと
「一週間の出来事を墓前で報告するのが、一番落ち着くんだ~」とか言っておった。
そんな時の訃報である。社員一同俄かには信じられんかった。
っと同時に「やっぱりな~」という複雑な気持ちが渦巻いた。
正直、妻の立場から言わせてもらえば…そんなに思ってくれるのは嬉しいのだが…
その半面、夫の事が心配で…夫を置いてあの世へは旅立てないかも?…とも思ってしまう。
2年経っても悲しみから脱却出来ない不甲斐ない夫を放っておけず
つい、一緒に連れて行ってしまったのかもしれん。
そんな風に想像してしまうほどに、急な出来事であった。
Aさんが亡くなったとの知らせを受けたのは先週の月曜日で
それからバタバタと手配や手続きに明け暮れ、気が滅入った所で木曜日にオフ会があった。
前の記事でも載せたが上野の博物館へ出かけたのである。
翌日の金曜日が通夜だと連絡が来ていたので
会社を休むのもどうかと思ったが、前からの予定だったので思い切って出かけてみた。
お天気も良く、上野の木々に五月の陽光が柔らかくあたり木漏れ日を作っている様を見て
滅入っていた気分がス~っと楽になるのを感じることが出来た。
また、気のおけないメンバーのハツラツとした笑顔を見て、沢山の元気を貰うことができた
お陰で翌日の通夜でAさんにちゃんと別れを言えた。
で、「ああ、そういうことか」っと思った。
辛いことや悲しいこと、苦しいこと、世の中には色々とあって
それを避けては、人は生きていけない。どうしたって何処かで出会う。
そんな状況の時に、会社などの組織に属さない部分に友人を持つということは
とっても大事なことなんだな~っと感じた。
私のように故郷を後にし遠い場所で働いていると、気付けば周りは会社関係ばかりである
きっとAさんも同じだったのだろう。
社内でいくらアホな話をし笑っていたとしても、その場限り。
休みに一緒に何処かへ出かけるメンバーに、会社仲間は出てこない。
夫や子供、親や兄弟、親戚関係では得られないモノがあり
それは何の上下関係もない、友人から得られる心の糧となるモノなのかもしれん。
通夜へ出かけようと会社の更衣室で着替えをしていると後ろから甲高い声が聞こえた
「すみませ~~ん。手伝って下さい~~」
甲高いが悲痛な声に驚いて振り返ると、購買部の30代主婦のキャピ子ちゃんが居た。
太ってしまい…喪服の背中のファスナーが閉まらないので手伝って欲しいと言う。。。。。
「訃報は月曜だったんだぞ!ナゼに金曜までに喪服を買わん!」っと普通なら思うのだが
前日の友人効果は絶大であった。
肉を喪服に詰め込みながら、笑顔でファスナーを閉めてあげることが出来た(アハハハハ)
また、皆で何処かへ遊びに行きたいな(笑)
その時は、私が皆に元気を分けてあげられるように、めげずに働こう~っと。
ポチっとで、作者のヤル気でるかもです(笑)