想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

ほんとうの。

2013-03-30 19:43:36 | 日記

これで、しまいだ。

〔話し合い〕

娘が埼玉から帰ってきた。
うざい長髪をさっぱりとまとめ、
青いジャージ姿、素足にスニーカーひっかけて。

だらしない!!

でも、余程楽しかったらしく、なによりだ。

おかーさんも同乗してきて、
父と話す前に、私とk君に話し合いをさせようと、
近所の蕎麦屋に場所を用意してくれたが、
蕎麦を食すだけだった。
私はクルミ蕎麦を食し、ご満悦だったが、
彼は食べ終わると店を出ていってしまい、
話し合いにならず。
いくじなしめ。
おかーさんと、少し話した。
おかーさんが望むように、家族に戻れない私たち。
でも、この先、私は娘のために全力で頑張るし、
ずっと、おかーさんは、大切なばあばだから、というと、
涙を落した。

ごめんね。大好きなおかーさん。泣かせてごめんね。

その後、父の部屋に場所を移動して、
娘には外れてもらって、
父と、おかーさん、k君、私の4名。
何を話すのだろうと、気まずい空気の中で緊張したが、
父の第一声。「そちらのお父さんには、もう少し、もっと生きててもらいたかった」
その言葉に、全員で泣き出してしまった。
「もっと生きて、この子たちを、孫を、見守って欲しかった」
父がそんなことを考えていたなんて。
そのことで、少なからずや親を苦しめていたk君を、
自分は少し恨んでしまった、と。
でも、仕方ないこと。
大切なのは、今後のこと、娘と孫の未来のこと。
貴女方が頑張ってくれたのも判っている。感謝している。
k君には、正直、本気で頑張って欲しい。
もう親に心配をかけたらいけないよ。
自分はこんな体になってしまい、
支えてあげようにも、娘に負担をかけるばかりになってしまった。
この子も、無理のできない身体で、
自分の子供と親を背負うことになってしまった。
k君が少しでも自分の子供のことで、責任感を持ってくれたら、
娘も少しは心が救われるだろう。
頑張って欲しい。
k君は、泣きながらも態度がでかく、
今までの自分のやってきたことは間違っていないと主張していたんで、
想いは一方通行だったように見えたが、
私が問題にしていたことは、「絶縁」。
あくまでも、「私とk君の、絶縁」「そして、その他の関係の継続」
もう、k君は私の顔も見ないし、
なれなれしく触ってこないし、これでよかった。
人と縁を切るのは、こんなにも苦しいものなのかと想った。
もう、手が触れ合うこともない。
映画も見に行かない。
お食事もしない。
私は、心からそれを望み、望みはかなった。

縁が切れた。ブツンと。その手ごたえはあった。

k君は、東日本の復興支援に行くのだそうだ。
なんにせよ、
娘の自慢のお父さんであって欲しいと願う。


〔夕飯〕

おかーさんたちが帰って、
猛烈に疲れて、父の介護部屋で横になったが、
息が苦しいだけで眠れず、
夜になった。

気分を変えて、夕飯つくり。
今夜は、
肉うどん。
小松菜のお浸し。
メカブとトマトのサラダ。

明日はカメラ。
娘の入学式まで、あと四日。



コメント
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