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緑の指(仮)余波。

2015-10-02 17:10:25 | 日記

緑の指(仮)余波。



凜が 保育園に通い始めた。

初めての集団生活に怯えていたけれど、

一日で、とても仲の良い友人を作って帰ってきた。

男の子で、夏川君という。「夏ちゃん」と凜は呼んだ。

保育園に着くと、先に来ていた夏ちゃんが飛んでくる。

「おはよう、凜ちゃん。待ってた!」

子猫みたいな子供だ、と、私は笑った。

「母さん、行ってきます」

凜が彼と手をつないで行ってしまうと、私はもうすることもなく、

ゆらゆらと、街を探検しはじめる。

事情があって、私はまだ、普通のお母さんのようには働けない。

一応、内職という名目で、パソコンでお金を稼いでいた。

丸一日も時間はいらないから、ほぼ、こうして街を歩いている。

凜の元気な声が遠ざかると、また、ピアノの音が聞こえてきて、

私の頭のなかいっぱいに広がった。

煩わしくて、時折、癇癪を起したくなるのだが、理由は判っていた。

今日は、街の小さなピアノ教室の前で、レッスンする音を聴いた。

「弾くなら、トルコ行進曲がいいかな」とひとりごちる。

それから、日陰のベンチに座って、しばらくピアノの曲を聴いていたのだが、

人ならぬものが、ひっそりと寄ってきて。 …はああ。

人の霊魂なら、それなりの気配がある。人の名残というか、人らしいもの。

どうやらこれは、妖の類だ。

焦点を合わせないようにした。

妖は、実に様々な形をしていて、未だに慣れることはない。

驚いて悲鳴を上げるほど、奇抜な形をしていたりするから、あまり見たくないのだ。

しかし、悪意は感じられないから、きっと、悪戯はしないタイプの子だろう。

そっと相手の足元を見ると、透き通った、人の足に似たものがあった。

消えかけている。

『そばに いっても いい?』

それは云った。『わたしが みえるのでしょう? わたしは もうすぐ きえるの』

「そう。どうぞ、隣へ」

『せっかくの妖力が あまってしまっているの だから さいごにわたしにきづいてくれた

あなたに これをあげようとおもう』

消えそうな足が近づいてきて、淡く光る光の玉を渡された。

『あなたが いま いちばん ほしいもの。 あなたに あげる』

「何故、私なんかに?」

『ただ きえてしまうのは おしいでしょう?』

しばらく、黙っていた。その間に、妖は消えた。

音も立てず、声も上げず、誰にも知られず、風さえ揺らさず。

渡されたものは、長い長い半紙だった。白い半紙。巻物のように巻いてある。

「これが、今、私が一番欲しているもの?」

変な子…。

ピアノの音は、いつまでもなり続けた。



凜が帰ってくると、一気に部屋の空気が明るくなる。

今日も、夏ちゃんと沢山遊んだこと、新しい友人ができたことを話してくれた。

私は、今日会った妖の話をして、もらった半紙を見せた。

妖のことは、凜には隠さないでいることにしている。

「これが 母さんの欲しいものだって云ったの?」

「うん、そうなの。でも、意味がよく判らなくて。捨てることもできないし、

どうしたらいいのか、困ってるのよ」

「母さん、今日は一日、何していたの?」

「ん? … まず、少し仕事して、それから、この妖に会ってから、ずっとピアノを聴いていた、かな」

「ピアノが弾きたいの?」

「うん。そもそも、私の遺志ではなくて、この前浄霊した女の子の思念が、残ってしまっているみたいなの」

「母さんのなかに?」

「母さん、ダメね。まだまだ、修行が足りないわ。こんなことに振り回されちゃってるの」

その時、凜が厳しい表情になって、力強く云った。

「こんなこと、なんかじゃないよ」

そして、半紙をしばし、眺め、まるで宝物を見つけたような子供の顔になった。

「これ、ピアノだよ! 母さん!」

え…? 半紙が、ピアノ?

「保育園でもやってるよ。ピアノをみんなが弾きたがるの。

でもピアノはひとつしかないから、順番待ってる子は、紙のピアノで練習するの」

鍵盤を描くんだよ。

凜は、首尾よく物差しとペンを持ってきて「やろう!」と笑顔だ。

私たちは、時間も忘れて半紙にピアノの鍵盤を描きこんだ。

凜は、白い鍵盤の上に、小さな花のシールを貼った。

それをローテーブルに張り付けて見ると、本当にピアノを作ったような気分になった。

… 弾きたい。トルコ行進曲を。

「…凜。母さん、一か月だけ、ピアノ習っていいかな。そうしたら、きっと本当に終われる気がする」

凜が、いつものように元気にうなづいて、私は、一か月の間に、

トルコ行進曲を弾けるように努力することになった。

先生のもとで一時間、帰ってから紙の鍵盤で、何時間も、

私は、目標のトルコ行進曲を練習し続けた。

妖がくれた、不思議な半紙は、指が触れて、声に出す調べを、

本物の音色に代えてくれた。

ありがとう。こんな素敵な贈り物を、私なんかに。

鍵盤を叩きながら、涙ぐむときもあった。

この一か月の間に、

不動産屋の猫平さんが数回、お茶をしにやってきた。

今度、商店街の人たちで飲み会があるから、是非、来てくださいと誘ってくれた。

凜は、夏ちゃんと保育園に通うことになった。

通遠路の途中だからと、夏ちゃんのお母さんが凜を迎えにきてくれた。

私に、初めて友人といえるべきひとができたのだ。

私は、自分でもどうかと思うくらい、必死にトルコ行進曲に没頭した。

私のなかに残った、彼女の残骸。

私は何処かで、彼女を引きとめておきたいと願ったのだろうか。

あの家族が、愛しくて。

もう本当に、終わりにしなくてはならないというのに。

例え、100年かかっても、あの母子を再会させなくてはならないのに。

本当の意味で、二人が抱擁できるように。

私が、紙の鍵盤を叩きながらメロディーを歌うと、凜も歌う。

紙が、甘味なる音を奏でる。

トルコ行進曲は、激しい音楽だ。

華があり、熱があり、全ての情念を焼く気尽くす。

最期の、最期の未練よ、焼き尽きるがいい。

私が、焼いてやる。私が、焼いてやる。私が、焼いてやる。

不安、焦燥、絶望 …、全てを燃やせ。

「燃え尽きろ…!」

私は、渾身の力で弾き続けた。




一か月後。

最後の仕上げは、先生のお宅のピアノをお借りした。

凛と、夏ちゃんと、先生、それと、猫平さんが同席した。

私の指は、もはや、楽譜も鍵盤も見ずに、自然に踊る。

何か熱いものが、傍にあった。

これは、あのお嬢さん?

それとも、半紙をくれた妖?

ノーミスで、全ての音符を叩いた。

西の空はオレンジで、カーテンもが、オレンジ色に染まって揺れていた。

凜が、いつものように、手を合わせているのだろう。

教えたわけではないのに。

全身を振るわせて、私の演奏に同調している。



演奏の途中で、

思いがけない、声を聞いた。

「お前に、子を産める力があるものか」

いつもの、取りつくしまもない冷たい言葉。

「産んだとしても、お前が、その子を護れるのか?」



私は、産んで見せる。

そして、護ってみせる。

そして、この業を、粉砕してやるわ…!



いつ、演奏が終わったか気づかなかった。

目を開けたら、応接室のソファーに寝かされて、凛が傍にいた。

「終わったよ、母さん」

凜が、微笑む。その横に、夏ちゃんの心配顔。

「おばさん、演奏が終わった途端、倒れて…びっくりしたよ。大丈夫?」

いつものことなの。

答えたのは、凛だった。「母さんは大丈夫。強いから」

凜は、いつも冷静だ。それが何より、心強かった。

「大丈夫ですか、紫さん…」

猫平さんも、心配そうにのぞきこんでくる。

私の心は、平穏に満ちていた。

「大丈夫です」

安堵の涙が、溢れてくる。

ひとつの魂を、(いや、正確には二つ)見送るのは、容易じゃない。

でも、私は狂うことはなく、凛がここにいる。

護れた…。

今回も、どうにか、護れた。

いつか、テレビで観た。大好きになった、スーザン・ボイルが、

歳を聞かれて「47歳よ」と答えて、会場が沸いた。

彼女は続けた。「それは、私のほんの一面だわ」

あの時の感動が、思い起こされる。

夢が破れる歌を歌って、彼女は、夢を拓いた。

あの時感じた感動が、私を満たしていた。


愛は、永遠だと、夢見ていた …。


この時は、まだ気づけづにいた。

「 けれども 夢は叶わず また 思いがけない 嵐 …

私の人生は 夢  だからこんなはずじゃなかった … 

人生は終わった 夢 破れて 」


でも それが  私たちにとって 素晴らしい人生となるのだ。




その日。

家に帰ってから、凛の伸びてきた前髪を切った。

右の、生え際にある痣が、色を増していた。

「母さん、魔法の契印の印は、強くなっていますか?」

凜が、無邪気に聞いてくる。

「そうね。次第に、強くなってるわね」

私の本心にはきづかず、凜は喜ぶ。

「いつ、魔法は発動しますか!?」

「そうね。もっと、身長が伸びて、体重が増えて…、

魔力に体力が持つくらい丈夫な体に育ったら。だから、お肉も、お魚も、野菜も、

沢山食べなきゃダメ」

凜はすぐに、眠りに落ちた。

私は、恐々と、凛の人差し指を、床に押し当てた。

すると、そこから緑が吹き出し、

あっという間に、天井まで達したのだ。

私は、慌ててその力を封じた。

天井から、ピンクの花が落ちてきた。

スイートピー。

雪のように、ひらひら、舞い落ちる。

その花を受け止めながら、私は静かに落涙した。

スイートピーの花言葉は、

「 門出  別離  優しい思い出 」

私は、凛の小さな手を握りながら、しばらく泣いた。

凜は、『緑の指』を、受け継いだのだ。

母様。

私は、この子の人生が、ありきたりに幸せなものであるように、

心から、願う。

力など、必要なく、人間として、ありきたりの人生を望む。

護ってみせる。

燃え尽きるような、人生ではなく、

長く、普通の人生であるように。

長く、長く、

普通の人生で、あるように…。



緑の指(仮)余波。続く
























































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