この間、研修会で
「カウンセリングって、話すだけですけど、
問題解決するんですか?
」
という質問をもらった。
話すとすっきりする、というのがひとつにはあるような気がする。
大きな声を出すとすっきりするように、
あれこれ思っていることを声で出してみる。
これだけでも、ちょっとすっきりするのではないだろうか
そして、何をもって問題解決とするかによって違うんだけど、
物事の見え方が変わる
ということは起こる。
ひとりで考え込むのではなくだれかと話す、ということは
予想以上に問題の見え方が変わるきっかけになる(ような気がする
)
それで、私にとってはカウンセラーの仕事って、ちょっと
家政婦さんに似てるな~とも。
前にエコマムかなんかに書いたような気もするんだけれど、
冷蔵庫掃除とか、一人でするのって勇気がいる
何年も使ってないジャム
とか、何が冷凍されているのか
わからない
冷凍庫の奥のものとか。整理すればすっきりしそう
なんだけれど、なんとなくおっくうでそのままになっている
ものとか。その整理を手伝う家政婦さん。
で、家政婦さんが自分の好みで
勝手に片付けられちゃううと、依頼主は困る
「ここにビンありますよ~
」
とか
「開けてみますか?
」
とか言ってもらいながら、
「う~ん、今は置いとこうかな
」
とか
「ちょっと解凍してみようかな…。一緒にみてもらおうかな
」
みたいに、依頼主の好みとかやる気度合に応じて片付けて
くれると、ほっとしたりする。
そういった感じとカウンセラーの役割は
ちょっと似ている気がする。
なので、カウンセラーって
私の中では、割烹着着てる感じになっている…。
偏ってるかも…。
それから、カウンセリングってなんでも
解決できるんだよね?!
という期待のようなもの
を感じることもある。
う~ん、何でもっていうことはないよね。
問題がなくなるっていうよりも、
問題につきあうのに慣れるっていう感じが近いかな…
「カウンセリングって、話すだけですけど、
問題解決するんですか?

という質問をもらった。
話すとすっきりする、というのがひとつにはあるような気がする。
大きな声を出すとすっきりするように、
あれこれ思っていることを声で出してみる。
これだけでも、ちょっとすっきりするのではないだろうか

そして、何をもって問題解決とするかによって違うんだけど、
物事の見え方が変わる

ひとりで考え込むのではなくだれかと話す、ということは
予想以上に問題の見え方が変わるきっかけになる(ような気がする

それで、私にとってはカウンセラーの仕事って、ちょっと
家政婦さんに似てるな~とも。
前にエコマムかなんかに書いたような気もするんだけれど、
冷蔵庫掃除とか、一人でするのって勇気がいる

何年も使ってないジャム

わからない

なんだけれど、なんとなくおっくうでそのままになっている
ものとか。その整理を手伝う家政婦さん。
で、家政婦さんが自分の好みで
勝手に片付けられちゃううと、依頼主は困る

「ここにビンありますよ~

とか
「開けてみますか?

とか言ってもらいながら、
「う~ん、今は置いとこうかな

とか
「ちょっと解凍してみようかな…。一緒にみてもらおうかな

みたいに、依頼主の好みとかやる気度合に応じて片付けて
くれると、ほっとしたりする。
そういった感じとカウンセラーの役割は
ちょっと似ている気がする。
なので、カウンセラーって
私の中では、割烹着着てる感じになっている…。
偏ってるかも…。
それから、カウンセリングってなんでも
解決できるんだよね?!

を感じることもある。
う~ん、何でもっていうことはないよね。
問題がなくなるっていうよりも、
問題につきあうのに慣れるっていう感じが近いかな…
