ウィリアム・マクレイヴン 氏についてのブログを見て、
確かに「少なくともコレはやった」と思えることは
とてもいいな、と思っていた。
ルーティン学校。
校長先生がいて、時々覗くと、
先生も日課に取り組んでいるのがわかって、
バーチャルな関係でもなんだかやってみるか、
というようなものが湧いてくる。
Twitterで、10才の少女が毎日漫画を描くと
語られ365日後に、成果を見せ合おうと
アジられていると、それがもしかしたら、
彼流の物語であったとしても、不思議に
あら、私も頑張ろうかな、という気になる。
例えば、コレがだれか違う人で、
本当にどこかの学校の校長先生だったりしても、
こんな風な「私もやってみよ〜」って
思うかと考えると、そうでもないので、
「すごい頑張ってる人だよなぁ」とか、
「素敵だなぁ。面白いなぁ」
という人であることが大事っていうことになる。
きっと「先生」っていう役割は
ここにあるのだろうなぁ。
そういえば、内田樹氏も「師」について、
似たようなことをおっしゃってた気がする。
学費を払い込んだ時点で、
すでに師と仰いでしまっているので、
月に1回のメールでやりとり
というのでも励みになるのだなぁ。
どうでもいいことだが、
子どものころ、ベッドメイクをしなくちゃいけなくて、
(その頃、ゴムの入ったシーツとかなくて、
ただただ、大きい四角いシーツをピチッと畳み込むって
いうのが下手くそだったこともあり)
それが嫌なあまり、今もお布団で寝ているのですが。