小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

『夕陽のガンマン』 ~重機ATM強盗のルーツか?

2005-06-22 22:20:44 | 映画
006 1965、イタリア、監督:セルジオ・レオーネ WOWOWで収録

【introduction】
一世を風靡したイタリア製西部劇、マカロニウェスタンの傑作。最初、あまりに疲れた時にみて不覚にも寝てしまい、数週間後観了。
私もこの分野はあまりみていませんが、“かっこよさ”の新しいかたちを求めている人には、よい題材になりそうな古典です。とくに“必殺シリーズ”に興味のある人。

【review】
ハイブリッドの魅力、ということでしょうか。
西部劇にしても、ジョン・ウェインをはじめとするアメリカ製傑作の数々が、どうしても“正義”に傾きがちなのに対し、賞金稼ぎとか、単なるというのはよくないですが、単なる復讐のために行動する本作の登場人物は個人的な行動原則に導かれているようです。
そして、有名なモリコーネの口笛が効果的な音楽、黒澤明の影響が強いといわれる、ロングショット多様の映像。つまり、バラバラにしてもかっこいいそれぞれの要素が、結集してまったく別の世界を構成する、雑種芸術としての映画の、もっとも成功した一例といえるでしょう。
思えばこのクールさは、日本の”必殺シリーズ”などにも似たテイストともいえます。そして、この美学が現在の映画からまったく姿を消してしまったのは惜しいことです。
さて、そういうこととはまったく別ですが、日本犯罪史的に興味深いシーンが一つ。銀行から金庫ごとロープでくくって、そのまま馬車で持ち去るというアイディアには感服しました。ワイルドな重機ATM強盗のオリジネイターは、この作品をみていたのかもしれません。
この時期のイーストウッドのかっこよさは触れるまでもありませんが、本作は個人より作品としての魅力が勝ち。私のイーストウッドへの興味は歳がいってからの方があり、監督ベストは『ホワイトハンターブラックハート』や『ブロンコ・ビリー』など自己言及のおもしろさが出た作品です。
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脱出! やつらにとっての人間の個体とは?

2005-06-22 02:46:48 | ねこ
4月頃生まれたカロンタン3世世代ですが、土曜だったか、庭に出るとうち2頭、黒いのと灰色のが部屋を脱出していました。
もとより、親世代が自由に出入りできるよう、窓が一枚開けてあり、昇りやすいように棒も立てかけてあるのですが、2ヶ月半で世界を広げる気になったようです。
ねこ世界の拡大については、またの機会にしますが、今回は、やつらが人間個体をどう認識しているのか
という疑問について書きます。
部屋にいると、寄ってくる同一ねこが、外だとまるでよそよそしいのです。人間なら、「まじい、見つかっちまった」というところでしょうが、人間的な善悪のないねこ、ましてはじめて外に出て、しかられたこともないねこに、まじいも何もあったものではありません。
かつて、カロンタンが冬に家出した時も、なかよくしていた記憶がクリアされたかのように、近づくのに3日くらいかかったことも思い出します。
人間の子どもでも、普段と違う服装の父母がわからないということはありますが、やつらをみていると、部屋のソファにいる自分と、外で動いている自分とを別のものとして認識しているとしか思えないことがままあります。
しかし、同じ部屋に来る人間も、もちろん知らない人が来れば逃げて行くし、その人間が親しそうに長時間いると、安心したのか寄って来ます。
一方、周辺ねこでも付き合いの長い銀にゃんは、ゴミ出しに行く時、家から20mほど離れた近所の家から出てきて、明け方の散歩に合流ということも度々。これは単に、個体による認識力の差ということなのでしょうか。
もっとも、ねこは知っていてもとぼけるくらいは、それこそ“キャネット前”ですが。
謎は深まるばかりです。

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