小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

『ザ・ガードマン』とヴァイオリン~2回目の命日だった祖父の「物語」

2006-09-21 14:49:25 | 身のまわり
18日は1905年、ポーツマス条約の年生まれの祖父の2回目の命日。祖母の七回忌といっしょの三回忌は10日でしたが、18日は外で飲んで車を置いて帰ったので、自転車で深夜の墓に行って線香を立てました。夜の墓場は楽しい。
そんな祖父の記憶から2つの話と、そこから考えたことなど

祖父に関するごく初期の記憶に、ひざの上できいた『ザ・ガードマン』のことがある。
おそらく3、4歳の頃ではなかったか。きっと何かの拍子で当時の人気ドラマだった『ザ・ガードマン』をみただろう私は、確か夜9時半からやっていたこの番組をいつもみたがった。しかし幼児にとって9時半は遅い。いつも寝てしまい、翌朝に『ザ・ガードマン』をみなかったと、だだをこねることがしばしばだった。
そんな時、祖父がやって来て、じゃあ、おじいさんがどういう話か読んでやるからな、といって私をひざの上に乗せ、前夜の新聞の番組欄にあるあらすじを読んでくれたのだ。まだほとんどの漢字は読めなかったはずの私は、ひざの上からみた新聞の、今とあまり変わらぬ5行くらいの文字のかたまりと、その先頭にある「ザ・ガードマン」のカタカナ、記憶の中ではもっともはっきりした祖父の声、そしてそのどう考えても3分ほどだったろう朗読をきく時間が放送の1時間と同じくらい長い時間で、きくうちに不満が溶けていき、おだやかな気持ちに変わっていったことだけを憶えている。
宇津井健や神山繁が出ていたことを知ったのはきっと、もっとずっと後からで、例えば『キーハンター』や『太陽にほえろ』と違って『ザ・ガードマン』のストーリーでおぼえているものはひとつもない。ダーンダッダ、ダダーンダ、ダーンダッダッダーンといテーマ曲くらいだ。

もうひとつは祖父のヴァイオリン。おもには私が高校の頃の話だ。
あまりぱりっとしない農夫だった祖父には、意外にも若い頃ヴァイオリンを弾いていたという説があった。近所の人や祖父の甥らの話によれば、ヴァイオリンで祖母をなびかせただの何だの、息子である父の話では、いやあれはヴァイオリンじゃなくビオラだったとか、ヴァリエーションはいくつもあったが、どうやら何らかの弦楽器を弾いていたというのは一致してしたから、まだ十代だった私も、なかなかおじいちゃんもやるもんだと、でもその頃の様子からは想像できんなと思っていた。
そして私が高校に行っていたから1980年頃。娘である叔母たちが何かの機会に祖父にヴァイオリンをプレゼントし、いよいよ祖父の演奏が明るみに出ることになった。
明治生まれが昭和の最初頃に弾いていたはずだから、少し後によくみることになる久世光彦の向田邦子ドラマに出てくるサラサーテのような音楽を思い描いていた私であったが、祖父の演奏はまったく思いもよらないものだった。弓を使うことはほとんどなく、ギターやマンドリンのように抱えて親指でピチカート。曲目は「もしもしかめよかめさんよ……」などとやっている。これにはびっくりすると同時に少し安心もした。
いくら何でも「もしもしかめよ」では、明治生まれの祖母といえどなびくとは思えない。当時75歳くらいだったはずの祖父が懸命に「もしもしかめよ」を弾き語るのはそれはそれで趣きがあったが、人々が語っていた伝説はどうなる。いや、今は75歳でわけわかんなくなったから「もしもしかめよ」なだけで、昔はサラサーテだったかも知れぬ、とも思ってもみたが昭和の祖父のプレイはきけず。当時、最初のエレキギターを買ったばかりでジミー・ペイジのボーイング奏法に魅せられていた高校生の愚かな孫は、祖父が寝たすきにケースからほとんど使われていない弓を取り出して、ペイジとは違うトーカイ、ストラトキャスターの低音弦をギコギコと擦ったものだ。
それから少し経って、祖父は誰かのところにヴァイオリンを持って行ってそれきり返って来ず、祖父は当時「ガゼット」と呼んでいた機械で『祝い舟』なんかの歌手活動に転向。「もしもしかめよ」は忘れ去られた。

今、この二つの出来事を思い出して考えてみる。果たしてどれだけのことが“ほんとう”なのだろうと。
何度も繰り返されたような気がするひざの上の『ザ・ガードマン』は、何回くらいきいたのか。当時は六十代半ばだったとはいえ、後の話ぶりからすると、あまり血なまぐさい『ザ・ガードマン』を語るにはふさわしくない、「んー、こういうわけでありますから」調の祖父に語られたストーリーに何を感じていたのか。果たして昔を知る人々は祖父のヴァイオリンをきいたことがあったのか。

大事なのはおそらく、「ほんとう」でなく「物語」なのだと思う。
私にとっては、ひざの上できいた『ザ・ガードマン』という幼少期の穏かな記憶の物語。人々にとっては、祖父が意外にもヴァイオリンを弾いたという意外性の物語。
「物語」が何かというのは、私にとって一生のテーマのひとつだ。そしてその答えのひとつとして、人の生を活性化する「意味の連なり」という言葉を考えている。だからしばしば「物語」は「ほんとう」から離れ、独自の意味を騙り始めてしまう。

そして「もしもしかめよ」から20年が過ぎて、もう前の畑をいじることもままならなくなった祖父がつぶやいた、「今はこうやって畑に座ってみてるだけでいいんだよ」。この言葉も確かに「ほんとう」だったと思っているが、それをこうやって語ったとたんに「物語」になるほかはないのだろう。
祖父の99年と同じくらいに、きびしくて滑稽で尊い「物語」。

(写真は2年前まで祖父がいた畑。父が植えたサツマイモが繁って、何があるかは変わっても「場所」自体は変わらない。BGMは祖父の5年後生まれのジャンゴ・ラインハルト。名コンビ、ステファン・グラッペリのような華麗なヴァイオリンを弾けたら祖父もかっこよかったのだが、グラッペリにネギはつくれまい)
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