孤独の女王のエリザベスカラー
二〇度の畑

本日3月15日撮影
出かける前に何とか更新。あと3週間、がんばろう。
●2月
18日(月)甥が無事退院~恒例電話取材
19日(火)在宅だったので煮ぼうと製作
20日(水)版元との打合せでお茶の水~編集者Oさんと天ぷらいもや~古書店めぐりでこれは後に独立記事に~帰って出張授業
21日(木)昼は仕事~晩はMト君宅へ
22日(金)昼は叔父を送っていく用事があり、ついでに初めてぽてとや麺など購入~突然入った原稿整理で、これは楽でのけぞる~晩、豊里・永来でラーメン~塾~帰ってからOG・M君宅にCLアーセナル:ミラン戦の録画DVDを取りに。しかしアクシデントで2往復
23日(土)昼は撮影~晩は強風のため予定の都内行きが中止~代わりに深谷で飲むことになり、同級生Mト君と駅前はかたに行ったら、そこにいた知り合いと合流、別にOG一家もいた。写真関係者O君も来てずいぶん飲む
24日(日)昼はMト君に誘われ、行田・蓮華という店でラーメン+餃子~退院してすぐ試合に出た甥は敗れたらしい~夜、結局見られなかったDVDを取りに再びOB・M君宅に。再生成功
【カウンター08】
ラーメン2/10 他外食1/7 外飲み1/8 アウェイ飲み1/10 TV海外サッカーは後で整理
今日もまた「“ニ”ジュード」らしいし、アーセナルの歴史的勝利などいろいろあって、途中まで書いた3月5日の『17号線を左に折れ』もあるが、「週間日記」と一致したので、2月20日の出来事を。
============
●2月20日
この日は朝から現在製作中の本の打合せで版元へ。タワーになった母校の前を通過して駿河台坂を下に向かう。版元の美人編集者Sさんとの話はなごやかなうちに終わり、その中で「平積みは2日くらいで変わっちゃうんですよ」などという出版不況の話も出る。「点数が多すぎて」というのはこの業界の決まり文句だが、決定的な対応策もなくそのまま同じような作業が続いているというのがこの仕事をしている誰もに共通する実感だろう。
終了後、別の出版社に行くプロダクション社長とは分かれ、さらに打合せのため編集者OさんとファミリーレストランスJに入るが、少し話して、「せっかくだから、いもやでも食べて行きましょう」とそそくさとドリンクバーを片づける。お午も近づきランチ客も増えるけど、5分も歩けばあんな天国があるのにこんな工業製品を食ってる場合じゃない。
一番よく行った、中華の伊峡といっしょのとんかつと天ぷらは閉店していてショックで、近くに天丼もあるがどうします、5分歩いて水道橋の方に行けば天ぷらもありますよ、というと最初の就職先が近くだったというOさんも行きましょうという。いつものように正確に場所を憶えないのでちょっとふらふらしたが、間もなく5、6人が並ぶ「天ぷらいもや」にたどり着き、この頃来日していたバート・バカラック、前の来日の時にOさんが行ったという話などしながら順番を待つ。いつものように客さばきはよく、あっという間に自分の番が来てエビやらシソやらがじゅうじゅういう、すばらしい油極楽鍋を見つめると、Oさんは「アナゴお願いします」なんて頼んで「お昼は定食しかやってないんです」と断られていた。さすが大阪の都会育ち。さすがに食ったことがないわけではないが、北関東の農村育ちではあなごを指名で食べたいと思ったことはないと気づく。
いや、満足。この満ち足りた時間は、以前にとんかつで書いたのでここでは繰り返さない。ただ、この店に限っては前回もそうだったが、ご飯がべたっとしている感じはあった。でも650円なら文句はいえない。Oさんとそれぞれのいもやの思い出話をした後は事務所に帰るOさんと別れ、「ちょっと、少しみて行きますよ」と、神田の古書街に向かった。
まだブックオフなんてなかった学生時代。都内や地方都市にある古本屋にはよく行ったが、その中でもこの世界最大というブキニストは何といっても数があるのでよく通った。いつもなら坂を下りて三省堂の方から靖国通りを神保町駅の方に進むが、今回は神保町からだから反対。でも行きつ戻りつがコースだから、反対からでもよくわかる。店構えから、あっ、この店だとわかっても、なぜかほとんど店名は憶えないのも不思議だけど、それで何も困らないのだから店名なんかどうでもいい。それだけ外見そのものが変わらないということだが、看板には「自然科学」って書いてあんのに実はなぜか文学書が充実したりというのは、ある意味、店の歴史に忠実ということではなかろうか。
いつそこに来たのか、いつ次の場所に行くのか、ひょっとしたらずっとこの場所を、目玉が飛び出すほど地価の高い都心の一角を動くことはないのではないかというずらり並んだ背表紙は、ただ「商品」と呼ぶのではもったいない。ううむ、こんな本があったのかほしいな、という本があっても、静かな空気の店内で立ってるやつらはちょっと資金もないので見送って、店の外、2月の青空に向けて背中を甲羅干にしてる、100円、200円のやつらをずらずらと調べていく。でも、すぐには買わないぞ。全部回ってから、あそこのあの本を買おうって戻るのがいい。といってもヘンデルとグレーテルのように小石を落としていくわけにはいかないから、「松田道雄 1970年」などと記憶にメモしただけで次の店に移っていく。
それにしても、この心の寛ぎ、愉しさの正体は何だろう。
この感じは、たまに林に行って、いわゆる森林浴で酸素を一杯吸い込んだ時に似ている。少なくとも靖国通りの空気が、内臓にいいわけはないのに。あるのは古い「字」と「紙」だけ、「じ・かみ・あび」といっていいかも知れない。
住んでいる市で本屋に行くとしたら、今はT屋書店がもっとも大きい。昔ほど書店に行かなくなったが、それでもさすがに時々は雑誌や新刊を買ったり、自分の仕事した本の様子をみに行ったリのために行くことはあるが、どうにもなぜか息苦しさを感じて5分くらいで出てしまうことが多い。でも、この古書の森なら朝から一日中だっていたい。
きっと、どうやったら売れるかというけしかけられた感じ、ピカピカの店内、若い元気のいい店員、工夫を凝らしたPOP、見つけやすく売行きを計算し尽くした書棚配置、そして何より新刊書自体の過剰な装丁や考え抜かれたタイトルが、私が感じている息苦しさの原因なのだろう。そしてもちろんそれらすべては多くの富を集め、携わる者が幸福になるための、資本主義では正当な努力であるという点がかなしい。
一方、靖国通りの歩道にはみ出した段ボール箱の中の100円、200円。やつらは「商品」には違いないが、一度か二度、誰かの手にあったこともあってか、本人のやる気如何でなく期待されていない。ほしいなら買って行けば、安いよ、とばかりに著者名も出版社も関係なく箱に入れられて、のんびりと誰かの手に抱かれるのを待っている。
もし私がたとえば、1988年発行の岩波文庫、別役実『当世・商売往来』だったとしよう。だったとしたら、T屋書店で売れろ売れろと気合を着けられて清潔なだけの店内になんか置かれたくはない。もっと前の先輩やら、最近売れた若いのやらいろんなやつといっしょに、背中を青空に向けている方がどんなに幸せだろう。
そう思いながら靖国通りを一往復。困ったことに天ぷらを食べた後は、持ち合わせが700円しかなかったが、それでも買う本は決まって3冊購入。しかし、その後駅に向かったところで「りそな」のATMがあったので資金を追加して、合計7冊を手に入れた。ここで紹介しよう。
●『この金色の不定形な液体』田村隆一編(1979)
酒の讃歌。編者のほか、吉田健一、辻邦夫、内田百、植草甚一らが名を連ねる
●『俗ニ生キ 俗ニ死スベシ 俗生歳時記』福田和也(2003)
エッセイ集。いろんなものを書く著者だか、こういったセンティメンタルなエッセイは一流。もう半分くらい読んだ
●『時間と自己』木村敏(1982)
昨年読んだ『時間はどこで生まれるか』に出てきたので。精神病から時間を考える。半分くらい読んだ
●『東西/南北考』赤坂憲雄(2000)
民俗学を現代でどう成り立たせるかという著者の試みには興味がある
●『当世・商売往来』別役実(1988)
前に新聞で読んでエッセイのうまさに興味を持っていたので。すでに読了
●『私という現象』三浦雅士(1981、文庫1996)
ずっと前から読みたかった
●『ネコのこころがわかる本』M・W・フォックス(原書1974、日本版文庫1991)
初めてみたが、モノクロの写真が20年くらい前のブルーバックスみたいでよかったので買ってしまった
7冊をバッグに入れて駅への道を歩き出し、名前は知らない旧いもやから駿河台坂へのショートカットの道で、そういえばと学生時代によく行ってた、当時は貸しレコード、今は中古店のジャニスを思い出し、何となくこれも外の箱の中のCDをみる。おお、これもこれもと自己所有のアルバムを200~300円で15枚は見つけたがそれはそれ。その時は必要だったし、それをきいてきた10年くらいは1800円分くらいは楽しんだ。CDを見ていると学生時代には考えられなかった携帯電話がうなり、まだ神田ですか、やっぱり事務所に寄って下さい、とOさんがいう。
……陽だまりの事務所。2月というのにYさんはすでに半そでだった。
塾OBでもあるI君が、先生最近何読んでんですか、というので、おう、今これを買って来たぜと、みんなで、「あっ、この木村敏って、うちの大学の先生ですごい人気でしたよ」とか「福田和也いいですよね」とかいろいろ話し、「電話の時はジャニスにいたんですよ」というと、「ああ、あそこはほかにないレコードがいっぱいあるんでよく行きましたよ」とオーバー36はみんな知っていて、20代半ばM君が、「こういう世代がいる間は、そういう店はあるんでしょうね」と笑う。それはいい気持ちの2月の午後。
帰って最初に開いたのは、ラーメン屋で福田和也。40歳になった時のナポリ行を語った冒頭「一月」は能村登四郎という俳人の次の句で終っていた。
傷なめて傷あまかりし寒旱
(かんひでり)
―能村登四郎―
(BGMはニール・ヤング『Silver&Gold』~カエターノ・ヴェローゾ『オルフェ』)
ずらり7冊。みんなうちで知り合った。

当該週:
読書で抱っこのティー

これはけっこう庭で目立った

これも本日3月15日

ここなら風も当たらない。枯草のふとんはあったかいかオルティーズ
二〇度の畑

本日3月15日撮影
出かける前に何とか更新。あと3週間、がんばろう。
●2月
18日(月)甥が無事退院~恒例電話取材
19日(火)在宅だったので煮ぼうと製作
20日(水)版元との打合せでお茶の水~編集者Oさんと天ぷらいもや~古書店めぐりでこれは後に独立記事に~帰って出張授業
21日(木)昼は仕事~晩はMト君宅へ
22日(金)昼は叔父を送っていく用事があり、ついでに初めてぽてとや麺など購入~突然入った原稿整理で、これは楽でのけぞる~晩、豊里・永来でラーメン~塾~帰ってからOG・M君宅にCLアーセナル:ミラン戦の録画DVDを取りに。しかしアクシデントで2往復
23日(土)昼は撮影~晩は強風のため予定の都内行きが中止~代わりに深谷で飲むことになり、同級生Mト君と駅前はかたに行ったら、そこにいた知り合いと合流、別にOG一家もいた。写真関係者O君も来てずいぶん飲む
24日(日)昼はMト君に誘われ、行田・蓮華という店でラーメン+餃子~退院してすぐ試合に出た甥は敗れたらしい~夜、結局見られなかったDVDを取りに再びOB・M君宅に。再生成功
【カウンター08】
ラーメン2/10 他外食1/7 外飲み1/8 アウェイ飲み1/10 TV海外サッカーは後で整理
今日もまた「“ニ”ジュード」らしいし、アーセナルの歴史的勝利などいろいろあって、途中まで書いた3月5日の『17号線を左に折れ』もあるが、「週間日記」と一致したので、2月20日の出来事を。
============
●2月20日
この日は朝から現在製作中の本の打合せで版元へ。タワーになった母校の前を通過して駿河台坂を下に向かう。版元の美人編集者Sさんとの話はなごやかなうちに終わり、その中で「平積みは2日くらいで変わっちゃうんですよ」などという出版不況の話も出る。「点数が多すぎて」というのはこの業界の決まり文句だが、決定的な対応策もなくそのまま同じような作業が続いているというのがこの仕事をしている誰もに共通する実感だろう。
終了後、別の出版社に行くプロダクション社長とは分かれ、さらに打合せのため編集者OさんとファミリーレストランスJに入るが、少し話して、「せっかくだから、いもやでも食べて行きましょう」とそそくさとドリンクバーを片づける。お午も近づきランチ客も増えるけど、5分も歩けばあんな天国があるのにこんな工業製品を食ってる場合じゃない。
一番よく行った、中華の伊峡といっしょのとんかつと天ぷらは閉店していてショックで、近くに天丼もあるがどうします、5分歩いて水道橋の方に行けば天ぷらもありますよ、というと最初の就職先が近くだったというOさんも行きましょうという。いつものように正確に場所を憶えないのでちょっとふらふらしたが、間もなく5、6人が並ぶ「天ぷらいもや」にたどり着き、この頃来日していたバート・バカラック、前の来日の時にOさんが行ったという話などしながら順番を待つ。いつものように客さばきはよく、あっという間に自分の番が来てエビやらシソやらがじゅうじゅういう、すばらしい油極楽鍋を見つめると、Oさんは「アナゴお願いします」なんて頼んで「お昼は定食しかやってないんです」と断られていた。さすが大阪の都会育ち。さすがに食ったことがないわけではないが、北関東の農村育ちではあなごを指名で食べたいと思ったことはないと気づく。
いや、満足。この満ち足りた時間は、以前にとんかつで書いたのでここでは繰り返さない。ただ、この店に限っては前回もそうだったが、ご飯がべたっとしている感じはあった。でも650円なら文句はいえない。Oさんとそれぞれのいもやの思い出話をした後は事務所に帰るOさんと別れ、「ちょっと、少しみて行きますよ」と、神田の古書街に向かった。
まだブックオフなんてなかった学生時代。都内や地方都市にある古本屋にはよく行ったが、その中でもこの世界最大というブキニストは何といっても数があるのでよく通った。いつもなら坂を下りて三省堂の方から靖国通りを神保町駅の方に進むが、今回は神保町からだから反対。でも行きつ戻りつがコースだから、反対からでもよくわかる。店構えから、あっ、この店だとわかっても、なぜかほとんど店名は憶えないのも不思議だけど、それで何も困らないのだから店名なんかどうでもいい。それだけ外見そのものが変わらないということだが、看板には「自然科学」って書いてあんのに実はなぜか文学書が充実したりというのは、ある意味、店の歴史に忠実ということではなかろうか。
いつそこに来たのか、いつ次の場所に行くのか、ひょっとしたらずっとこの場所を、目玉が飛び出すほど地価の高い都心の一角を動くことはないのではないかというずらり並んだ背表紙は、ただ「商品」と呼ぶのではもったいない。ううむ、こんな本があったのかほしいな、という本があっても、静かな空気の店内で立ってるやつらはちょっと資金もないので見送って、店の外、2月の青空に向けて背中を甲羅干にしてる、100円、200円のやつらをずらずらと調べていく。でも、すぐには買わないぞ。全部回ってから、あそこのあの本を買おうって戻るのがいい。といってもヘンデルとグレーテルのように小石を落としていくわけにはいかないから、「松田道雄 1970年」などと記憶にメモしただけで次の店に移っていく。
それにしても、この心の寛ぎ、愉しさの正体は何だろう。
この感じは、たまに林に行って、いわゆる森林浴で酸素を一杯吸い込んだ時に似ている。少なくとも靖国通りの空気が、内臓にいいわけはないのに。あるのは古い「字」と「紙」だけ、「じ・かみ・あび」といっていいかも知れない。
住んでいる市で本屋に行くとしたら、今はT屋書店がもっとも大きい。昔ほど書店に行かなくなったが、それでもさすがに時々は雑誌や新刊を買ったり、自分の仕事した本の様子をみに行ったリのために行くことはあるが、どうにもなぜか息苦しさを感じて5分くらいで出てしまうことが多い。でも、この古書の森なら朝から一日中だっていたい。
きっと、どうやったら売れるかというけしかけられた感じ、ピカピカの店内、若い元気のいい店員、工夫を凝らしたPOP、見つけやすく売行きを計算し尽くした書棚配置、そして何より新刊書自体の過剰な装丁や考え抜かれたタイトルが、私が感じている息苦しさの原因なのだろう。そしてもちろんそれらすべては多くの富を集め、携わる者が幸福になるための、資本主義では正当な努力であるという点がかなしい。
一方、靖国通りの歩道にはみ出した段ボール箱の中の100円、200円。やつらは「商品」には違いないが、一度か二度、誰かの手にあったこともあってか、本人のやる気如何でなく期待されていない。ほしいなら買って行けば、安いよ、とばかりに著者名も出版社も関係なく箱に入れられて、のんびりと誰かの手に抱かれるのを待っている。
もし私がたとえば、1988年発行の岩波文庫、別役実『当世・商売往来』だったとしよう。だったとしたら、T屋書店で売れろ売れろと気合を着けられて清潔なだけの店内になんか置かれたくはない。もっと前の先輩やら、最近売れた若いのやらいろんなやつといっしょに、背中を青空に向けている方がどんなに幸せだろう。
そう思いながら靖国通りを一往復。困ったことに天ぷらを食べた後は、持ち合わせが700円しかなかったが、それでも買う本は決まって3冊購入。しかし、その後駅に向かったところで「りそな」のATMがあったので資金を追加して、合計7冊を手に入れた。ここで紹介しよう。
●『この金色の不定形な液体』田村隆一編(1979)
酒の讃歌。編者のほか、吉田健一、辻邦夫、内田百、植草甚一らが名を連ねる
●『俗ニ生キ 俗ニ死スベシ 俗生歳時記』福田和也(2003)
エッセイ集。いろんなものを書く著者だか、こういったセンティメンタルなエッセイは一流。もう半分くらい読んだ
●『時間と自己』木村敏(1982)
昨年読んだ『時間はどこで生まれるか』に出てきたので。精神病から時間を考える。半分くらい読んだ
●『東西/南北考』赤坂憲雄(2000)
民俗学を現代でどう成り立たせるかという著者の試みには興味がある
●『当世・商売往来』別役実(1988)
前に新聞で読んでエッセイのうまさに興味を持っていたので。すでに読了
●『私という現象』三浦雅士(1981、文庫1996)
ずっと前から読みたかった
●『ネコのこころがわかる本』M・W・フォックス(原書1974、日本版文庫1991)
初めてみたが、モノクロの写真が20年くらい前のブルーバックスみたいでよかったので買ってしまった
7冊をバッグに入れて駅への道を歩き出し、名前は知らない旧いもやから駿河台坂へのショートカットの道で、そういえばと学生時代によく行ってた、当時は貸しレコード、今は中古店のジャニスを思い出し、何となくこれも外の箱の中のCDをみる。おお、これもこれもと自己所有のアルバムを200~300円で15枚は見つけたがそれはそれ。その時は必要だったし、それをきいてきた10年くらいは1800円分くらいは楽しんだ。CDを見ていると学生時代には考えられなかった携帯電話がうなり、まだ神田ですか、やっぱり事務所に寄って下さい、とOさんがいう。
……陽だまりの事務所。2月というのにYさんはすでに半そでだった。
塾OBでもあるI君が、先生最近何読んでんですか、というので、おう、今これを買って来たぜと、みんなで、「あっ、この木村敏って、うちの大学の先生ですごい人気でしたよ」とか「福田和也いいですよね」とかいろいろ話し、「電話の時はジャニスにいたんですよ」というと、「ああ、あそこはほかにないレコードがいっぱいあるんでよく行きましたよ」とオーバー36はみんな知っていて、20代半ばM君が、「こういう世代がいる間は、そういう店はあるんでしょうね」と笑う。それはいい気持ちの2月の午後。
帰って最初に開いたのは、ラーメン屋で福田和也。40歳になった時のナポリ行を語った冒頭「一月」は能村登四郎という俳人の次の句で終っていた。
傷なめて傷あまかりし寒旱
(かんひでり)
―能村登四郎―
(BGMはニール・ヤング『Silver&Gold』~カエターノ・ヴェローゾ『オルフェ』)
ずらり7冊。みんなうちで知り合った。

当該週:
読書で抱っこのティー

これはけっこう庭で目立った

これも本日3月15日

ここなら風も当たらない。枯草のふとんはあったかいかオルティーズ