さっき
気持ちのいい日曜、にゃんにゃんにゃんの日。
これからエリック・クラプトン+ジェフ・ベックをみにさいたまスーパーアリーナに行くことになりました。ともに、みるのは初めてです。
そこで、このタイミングで書くのがベストといえる、二十数年前に思った、私にとっての、ある象徴としてのエリック・クラプトンについて書くことにします。ジェフ・ベックさん、すみません。でもきっと、後半のレビューで触れます。
なお、人生十二年周期説は、もちろん干支が関係ありますが、やはり十数年前に読んだ西部邁が『生まじめな戯れ』で主張していた「人生十五年周期説」が参考です。
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クラプトンはもちろん好きです。かっこいいです、すごいです。最初に知ったのはいつかも思い出せません。ビートルズ、while my guitar で、えっ、クラプトンが弾いてんのと思った記憶はありますから、多分、ギター雑誌かなんかで「三大ギタリスト」の話を読んで知ったのではないでしょうか。
おそらく、たとえば『愛しのレイラ』のリフをきいて、かっこいいということを否定するやつはいたとしてもたぶんものすごく少ないのではないでしょうか。『ワンダフル・トゥナイト』をきけば、レイドバックなんて概念を知らなくても、いやあ、大人の音楽っておしゃれだな、と思うだろうし、ずっと後、『ティアーズ・イン・ヘヴン』をきいて、というか、息子さんの悲しい事件を知って、人生っていろいろだな、クラプトン渋いな、と思わない人はむしろ少ないと思います。
もちろん私も、クラプトンファンの一員です。
アルバム単位でいえば一番好きなのは『461 オーシャン・ブールヴァード』かなと思いますが;予断ながら、多くのファンと同じようにずっとカタカナで Blue Bird と思ってました、どの時期がいいかときかれたらやっぱりクリームの頃かな。なんといってもあのギターですからサポートやっても一流で、昨年二枚しか買わなかった新譜の一枚、ブラインド・フェイスの盟友、スティーヴ・ウィンウッド nine lives の dirty city のオブリガートなんかは、いやあ、かっこいい人っていうのはいつまでもかっこいいんだなと舌を巻いたし、たとえば大好きなケイト・ブッシュはブルースロックのクラプトンのイメージからは遠いですが、93年作の red shoes、and so is love では、もはやラテンロックのサンタナと同等の"そのままいればマッチする性"を感じさせて圧巻でした。
そして、何より支持層の厚さ。ロック好きでクラプトンが嫌いな人はいないといっていいですから、当然クラプトンの話をすることは多く、とくに彼らの中で評判のいい『ベルボトムブルース』、『いとしのエリー』は姉の名と「エリック」からとったといわれるほどで「エリック・クプトソ」の変名もあるサザン桑田もフェバレットにあげるこの曲、じゃあ、一番好きなのは『ベルボトムブルース』だろとファンにいうと、「どうしてわかるんですか」と応えられたことは多分二度以上はあったと思います。
そんな中、むむ、ひょっとしたらおれはそれほどクラプトンが好きではないと気づき始めたのは二三歳、大学を卒業した頃でした。
私と付き合いの長い方はおそらく同意していただけると思いますが、私は何に対しても「好き嫌いのコントラスト」があまりない方で、それはいいかどうかはともかく、生き方に大きく関係しています。
じゃあ、なんでそんなにいつもラーメンばっか食ってんだ、秋にはさんましか食わねえじゃねえかといわれれば、すみません、というしかありませんが、ちょっとここで触れるといつまでたっても進まないのでまたの機会にしますが、反論はできます。ただ、食べ物でも何でも、とくに嫌いなものもないし、好きなものも、世間のひとほど頓着しないというのが、基本的なスタンスだと思っています。「おたく」「マニア」はある意味、憧れなのです。
そんな私にとってクラプトンファンたちの話が二四歳の頃、なぜか「違う」と思われたのです。こちらはずっと、はっきり好きといえる、たとえばレッド・ツェッペリン、ジミー・ペイジなどと違って、クラプトンの話をしている時の私は、それほど嬉しそうではないのではないかと何となく気づいた、そしてそれは当時の偉大なロックアイコンのうち、ローリングストーンズなどにも感じ始めていました・・・
13:16
あっと、もう出かけなければなりません。
うれしい。
続きは今日帰ってきてから書きます。
・・・『ベルボトムブルース』をききながら