小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

キュラソ星人、アゲイン~“いつまでも暗い夜さ”

2006-07-26 13:14:16 | 身のまわり
先週の出来事、というより、ある人物らしき人をみた時に考えたことから。しばらくぶりの「身のまわり」です。

はじめてその“キュラソ星人”に会ったのは、確か秋から冬にかけてのスーパーマーケット、ベルクである。
深夜、ただ一つ開いたレジ前に並んでいると、目の前にキュラソ星人に似た男。穴だらけの顔に紺の作業服がいかしたその男の顔を、何となしにながめた。
するとおばちゃん従業員が別のレジで、「お待ちのお客様どうぞ」。それまでの順番、すなわち時間がなかったものにされてしまうこういう時、私はほかのひとを追い越さないようにしている。
それで前のキュラソ星人にいった。「あ、あっちが開きましたよ」。するとキュラソ星人はいう。「うるせえな。行きたきゃ、おめえが行きゃあいいだろう」。
さすがは宇宙人。思わぬ反応にうっかり照れ笑いしてしまい、「そうですか。じゃあ」と新たに開いたレジに豆腐とか何とかそういうものを持って行った。

これは“キュラソ星人との出会い”として、私の中で大きな事件になった。
私は教育思想の上で“インテグレイト派”である。これまで“誰もが行ける公立学校”で“わけのわからぬ輩”と接触することは、それがどんなにわけがわからなくても、世のヴァラエティを知る上で役に立たないことはないと思ってきた。そういう機会を失って限定される階層とのみ触れ合おうとする“ディグレイト”な私立校は、とくに中学校くらいまでの時点ではマイナス面が多いと。

だがこの夜のキュラソ星人との出会いは、そんな能天気なユートピア思想に打撃を与えた。
キュラソ星人とはいえ人。仕事でか何かとんでもないことがあったのかもしれぬとか、実はやつは正真正銘のキュラソ星人で、『ウルトラセブン』ではそういう機能は明らかにならなかったが、私が「こいつキュラソ星人に似てるなあ」と考えていたことがわかっていたのではないかなどと考えてもみた。しかし、私が地球人の心を読めるキュラソ星人だとしても、レジ前で先をすすめられれば、笑顔で「そうですか、じゃあお先に」と応えるだろう。それが地球人というものだ。

帰りの車の中で、キュラソ星人の穴だらけの顔を思い浮かべながら考えた。
何かいって「うるせえな」と返されるような人物に触れることは、時間の、人生のむだ使いではないか。キュラソ星人には、会わなければ会わない方が好ましいのではないか。
この話は就学前の子どもを持つ同年代の親たちの何人かに、自分の思想上のエポックとして話した。

と先週、そのキュラソ星人らしき人物を、現場のスーパーから1キロも離れていない山田うどんで見かけた。私は人の顔を見分ける能力の低さを自認しているので確信はないが、その山田うどんでも、季節が変わって梅雨の明けない7月後半でも、キュラソ星人は紺のニッカーボッカー風作業着である。間違いない、キュラソ星人だ。ほかに客のいないカウンターの反対側で、見ていると「うるせえな」といわれそうなのでちらちらと確認するにとどめた。
私のねじくれた“期待”は高まる。
確かかき揚げセットかなんか頼んだキュラソ星人は、何ヶ月前には別の店で強盗を説き伏せてニュースになったほど強力な、山田うどんのおばちゃん従業員とどう対戦するのだろうか。

しかし、おばちゃんにキュラソ星人は礼儀正しい。
かき揚げセットが運ばれてくると「あっ、どうも」。『ウルトラセブン』でのガソリンのように素早く平らげると「あっ、ごちそうさまです」。ベルクで見せたザラザラした感じは、まったく見せなかった。

それから、二度のキュラソ星人遭遇について考える。
単なる私の見間違えか、それとも山田うどんのは別の、いいキュラソ星人なのではないか。
そしてそれより、私は自分がこのキュラソ星人について物語を紡ごうとする、ミッシェル・フーコーのいう「ディスクール」のはたらきでキュラソ星人との二度の接触を語ろうとしているのではないか、ということに気づいた。
私は、ベルクで自分の思想を揺るがしたあらくれキュラソ星人が、山田うどんで態度が変わるという物語を、ただ語りたいだけなのかも知れないと。

うむ、恐るべしキュラソ星人。『ウルトラセブン』で何度も驚かされたように、やつは突然現れる。

※キュラソ星人(写真)=ウルトラセブンに登場した宇宙人。ガソリンが好物。「インテグレイト」は「積分」、「ディグレイト」は「微分」。「インテグレーション」は社会学で、障害者を一般社会に置こうとする統合を意味しますが、私はひとまず「誰でもいっしょで分けない」というくらいの意味で使っています。

(BGMはパソコンにあったデヴェンドラ・ハンバート "cripple crow"から、ねこどもが棚から落した、細野晴臣・忌野清志郎・坂本冬美のHIS『日本の人』。M3『夜空の誓い』、「いつまでも暗い夜さ」というフレーズが頭に残る)
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2 コメント

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考察~キュラソ星人 (同級生M)
2006-07-27 17:14:04
こんにちは。このネタが来たらコメントせねばなりません(笑)。



キュラソ星人と近づいて生きるか、離れて生きるか?かなり根源的な、そして議論になると楽しいテーマですね。



「ウルトラセブン」に登場した彼は、確か宇宙囚人。護送中に脱獄して、逃げてきた地球で乱暴狼藉を働き、結局最期はセブンと戦うことなくかってに自爆して滅ぶという、わけのわからぬ物語でセブンを深いものにしてました。

最後、ダンが炎に包まれたキュラソ星人にこんなことを言います。ちと、記憶があいまいですが・・・・「宇宙のどこへ行ってもオマエの居場所などないのだ・・・」と。つまりとても孤独な宇宙人だったのですね。まあ、脱獄囚ですからね。



と、なると深夜のスーパーで暴言を放ったのは「孤独なキュラソ星人」であり、おそらく馴染みのうどん屋での暖かい人物は「人と繋がっていて解除されたキュラソ星人」じゃないかと、思うのです。



セブンのキュラソ星人もペガッサのように、

アンヌと繋がりでもあったら悪さはしなかっただろうに・・・・・と、しかしそれじゃ、物語として面白くないですな。
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コミュニケーション・ウィズ・キュラソ (カロンタンのエサやり人)
2006-07-28 14:01:57
写真を使わせてもらった http://pulog1.exblog.jp/2689018/ によれば、いまやキュラソ星人はかわいいと人気もあるそうです。

そのかわいさを世に広め、触れ合いを通じ、暴れキュラソ星人をいいキュラソ星人にすることが、コミュニケーションと思いますがあまり自信はなく、それがつまり現代の問題ということになりそうですね。

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