昔々,『プログラム書法』と『ソフトウェア作法』という本があったそうな。
異国の著者 Brian W.Kernighan と P.J.Plauger の著作を 木村 泉 氏が翻訳したものであったそうな。
「作法」は「作り方の法則」が本来の意図であろうが,木村氏はそれを「お作法(さほう)」つまり,「従わなければならない規則,あるいは人間の社会生活にかかわる多くの慣習やしきたりのうち,ふつうとくに起居動作,言語,身なりなどに関する正しいとされる方式を作法と呼ぶ」の観点でとらえたのがユニークといえたのだろうともいわれる。当時,外国語のコンピュータ用語を「日本語(漢字)」で表そう(アルゴリズムを算法,プログラムを算譜とか)というムーブメントのようなものもあったので,なんとなく心ひかれた人もいたそうな。
このブログで取り上げたたくさんの事例も,その観点に合致するものも多いかもしれない。言語環境,コンピュータ環境,コンピュータアーキテクチャから見れば,今となっては時代遅れ,見当違いの事例も多いかもしれないが,考慮すべき事例も数多く残っているかもしれない。それらを現代的な観点から振り返ることも意味のあることかもしれないなあ。なんちゃって。