Mちゃん&Cくんと
これまで、いろんな話をした
若院&わたしは
お念仏の教えの素晴らしさを
つたない英語と、熱い思いで伝えた。
おもしろいなと思ったのが
ブッダと言えば、日本ではお釈迦様なんだけれど
ブッダ→どのブッダ?と尋ねられたこと。
確かに、いろんな仏様がおられるからなぁ、、、
他にも、たくさんの質問を受けた。
・念仏とは何か
・お念仏をするとき、何か頭に思い描くのか
・お念仏は、1回言えばいいのか
たくさん言う方がいいのか
・慈悲とは何か、縁とは何か
・なぜ六道輪廻を出ることができるのか・・・etc.
→阿弥陀様は、生きとし生けるもの
すべての命を救いとって下さる仏様で
老少善悪を問わず、誰ひとりもらすことなく
お浄土へ生まれさせて下さるから
わたし達は、ただ阿弥陀様のお名前を
呼ばせていただくのだということ
→お念仏をするとき、特別何かを思い描くことは
ないけれど、阿弥陀様のことを想うときがある
(色も形もなく、実のところ考えは及ばないんだけれど、、)
→お念仏を、いただいたその瞬間に
お浄土ゆきが定まるんだけれど
1回言うのも、たくさん言うのも
どちらもいいのだと思う、、、
→慈悲とは阿弥陀様の、あたたかいお心のことで
ご縁とは、すべてのものによって
初めて自分が、ここに存在すること
→阿弥陀様の大きな願いによって、わたし達は
お浄土へ生まれさせていただくこと
ほんとうに正直なところ、
英語であろうと、日本語であろうと
わたしに、阿弥陀様のことが
わかるはずがないのですが
わたしがわからずとも
阿弥陀様が、わかっておられるから
いいのです。ただ、おまかせあるのみ、、、
それを大前提に、若院と私の
お味わい、よろこびを伝えさせていただきました。
Mちゃんは、
時々さびしいと思うことがあるけれど
ご縁の話を聞くと、心があたたかくなるねと
感動していました・・・
若院は、、、あの人は、ほんとに大物だと思います
ここに机があって、スプーンがあって、猫がいて
わたしがいて、すべては、小さなひとつの命なんだけれど
それを包み込む大きな命があって、それが阿弥陀様ですとか
あなたがここにいるから、わたしがここにいることができて
わたしがここにいるから、あなたがここにいることができるとか
力強く話し始める。
いつもは、ボォッとして
宇宙と交信でもしてるんかな、大丈夫かな
という感じなんですけど
こういう時になると、何かが乗り移ったかのように
ものすごい熱量、積極性を発揮する。
横で見ていて、おったまげる。笑笑。
初めに言葉があって、思いが続くんじゃなくて
思いがあるから→言葉が生まれることを
若院の身をもって、わたしに教えてくれる。
たとえ、英語がつたなくても。器用じゃなくても。
飾らなさが、時に
誤解をまねくことがあるかもしれないけど
わたしは、ずっと理解者でありたい
・・・おとうさんおかあさんの愛情には
及ばないけれど。。
勝ち負けじゃないけれど、やっぱり
親の思いには、勝てない。
なんてカッコイイこと書いても
若院と大喧嘩することも、たびたび。
どれだけ仲の良い人とでも
いろんな時、いろんな事があるし
それでいいんだと思います。
人間だから、その瞬間は無理でも
わたしのできる限りで、すべてを肯定できたら、、
肯定の人生を、生きたいし
生かされたい。おおきな人になりたい。
憧れの、、理想の、、阿弥陀様のように。
わたしからは、絶対に届かないんだけれど、、、
、、、でも今すでに、
阿弥陀様の腕の中。このぬくもりは、、、。
これまで、いろんな話をした
若院&わたしは
お念仏の教えの素晴らしさを
つたない英語と、熱い思いで伝えた。
おもしろいなと思ったのが
ブッダと言えば、日本ではお釈迦様なんだけれど
ブッダ→どのブッダ?と尋ねられたこと。
確かに、いろんな仏様がおられるからなぁ、、、
他にも、たくさんの質問を受けた。
・念仏とは何か
・お念仏をするとき、何か頭に思い描くのか
・お念仏は、1回言えばいいのか
たくさん言う方がいいのか
・慈悲とは何か、縁とは何か
・なぜ六道輪廻を出ることができるのか・・・etc.
→阿弥陀様は、生きとし生けるもの
すべての命を救いとって下さる仏様で
老少善悪を問わず、誰ひとりもらすことなく
お浄土へ生まれさせて下さるから
わたし達は、ただ阿弥陀様のお名前を
呼ばせていただくのだということ
→お念仏をするとき、特別何かを思い描くことは
ないけれど、阿弥陀様のことを想うときがある
(色も形もなく、実のところ考えは及ばないんだけれど、、)
→お念仏を、いただいたその瞬間に
お浄土ゆきが定まるんだけれど
1回言うのも、たくさん言うのも
どちらもいいのだと思う、、、
→慈悲とは阿弥陀様の、あたたかいお心のことで
ご縁とは、すべてのものによって
初めて自分が、ここに存在すること
→阿弥陀様の大きな願いによって、わたし達は
お浄土へ生まれさせていただくこと
ほんとうに正直なところ、
英語であろうと、日本語であろうと
わたしに、阿弥陀様のことが
わかるはずがないのですが
わたしがわからずとも
阿弥陀様が、わかっておられるから
いいのです。ただ、おまかせあるのみ、、、
それを大前提に、若院と私の
お味わい、よろこびを伝えさせていただきました。
Mちゃんは、
時々さびしいと思うことがあるけれど
ご縁の話を聞くと、心があたたかくなるねと
感動していました・・・
若院は、、、あの人は、ほんとに大物だと思います
ここに机があって、スプーンがあって、猫がいて
わたしがいて、すべては、小さなひとつの命なんだけれど
それを包み込む大きな命があって、それが阿弥陀様ですとか
あなたがここにいるから、わたしがここにいることができて
わたしがここにいるから、あなたがここにいることができるとか
力強く話し始める。
いつもは、ボォッとして
宇宙と交信でもしてるんかな、大丈夫かな
という感じなんですけど
こういう時になると、何かが乗り移ったかのように
ものすごい熱量、積極性を発揮する。
横で見ていて、おったまげる。笑笑。
初めに言葉があって、思いが続くんじゃなくて
思いがあるから→言葉が生まれることを
若院の身をもって、わたしに教えてくれる。
たとえ、英語がつたなくても。器用じゃなくても。
飾らなさが、時に
誤解をまねくことがあるかもしれないけど
わたしは、ずっと理解者でありたい
・・・おとうさんおかあさんの愛情には
及ばないけれど。。
勝ち負けじゃないけれど、やっぱり
親の思いには、勝てない。
なんてカッコイイこと書いても
若院と大喧嘩することも、たびたび。
どれだけ仲の良い人とでも
いろんな時、いろんな事があるし
それでいいんだと思います。
人間だから、その瞬間は無理でも
わたしのできる限りで、すべてを肯定できたら、、
肯定の人生を、生きたいし
生かされたい。おおきな人になりたい。
憧れの、、理想の、、阿弥陀様のように。
わたしからは、絶対に届かないんだけれど、、、
、、、でも今すでに、
阿弥陀様の腕の中。このぬくもりは、、、。