お彼岸の法座の、講題は
『苦悩の中 安心して生きる』 でした。
ちょうど、ゴッホ展で「苦悩」
について思いを巡らせていたので
講題を見て、これまたビックリ
問いに対する、答えをいただきました。
以下、法話メモより。↓
苦悩しながら
自分の中を、のぞきこんでも
苦しいばかりだけれど
何かと出遇ったとき、
「確かなもの」に出遇ったとき
初めて
不確かな自分が、苦悩するままに
安心して生きることができる・・・
わたしを裁くのではなく
わたしを認め、
受け入れてくださる存在に出遇う。
これまでの、こんなはずじゃなかったという
苦しみの数々が
光に照らされて
これも無駄ではなかった、
これも良い学びでありました、
お育てでありましたと、
苦しみが、そのまますべて
転じられてゆく世界が開ける。
わたしを、わたしとして認識する。
× わが命
○ 命がわたしを生きている
わたしの両親の、そのまた両親の・・・
ずっと続いてきた、おおきな「いのち」=無量寿の中の
一部が「わたし」である。無量寿を生きている。
大いなる命の中の、わたし。
苦悩があるところに、願いが起きる。
願いが受けとめられたら、力になる。
人生に光を見つけた、明るさ。
私というのは、地球の歴史が
全部入っているようなもの。
宇宙が、わたしに凝縮されている。
↑以上、メモより。
例えば、自死・年間○万人
良くないとか何とか、耳にすることがあるけれど
人間が、自ら命を絶つことについて
決して賛成するのではないけれど
理解ができる、、?
気持ちはわかる、、?
と、わたしは思う。
きっと、様々な事で苦しまれたのだろうと
きっと、感受性が鋭い方だったのだろうと
きっと「人間の限界」を
「人生の限界」を感じられたのだろうと。
これは、他人事ではなく。
人間世界において、確かなものは
この身も含めて、何もないのだから、、、。
限界を感じた、その先で
わたし達は、確かじゃないままに
すでに光の中にあるのだということを
聞かせていただきたいと、わたしは思います。
自分にかけられた願いを
ずっと、ずっと「聞く」こと、
大切にできたらいいなぁ・・・
そんなことを思った、お彼岸法座でありました。
なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。
『苦悩の中 安心して生きる』 でした。
ちょうど、ゴッホ展で「苦悩」
について思いを巡らせていたので
講題を見て、これまたビックリ
問いに対する、答えをいただきました。
以下、法話メモより。↓
苦悩しながら
自分の中を、のぞきこんでも
苦しいばかりだけれど
何かと出遇ったとき、
「確かなもの」に出遇ったとき
初めて
不確かな自分が、苦悩するままに
安心して生きることができる・・・
わたしを裁くのではなく
わたしを認め、
受け入れてくださる存在に出遇う。
これまでの、こんなはずじゃなかったという
苦しみの数々が
光に照らされて
これも無駄ではなかった、
これも良い学びでありました、
お育てでありましたと、
苦しみが、そのまますべて
転じられてゆく世界が開ける。
わたしを、わたしとして認識する。
× わが命
○ 命がわたしを生きている
わたしの両親の、そのまた両親の・・・
ずっと続いてきた、おおきな「いのち」=無量寿の中の
一部が「わたし」である。無量寿を生きている。
大いなる命の中の、わたし。
苦悩があるところに、願いが起きる。
願いが受けとめられたら、力になる。
人生に光を見つけた、明るさ。
私というのは、地球の歴史が
全部入っているようなもの。
宇宙が、わたしに凝縮されている。
↑以上、メモより。
例えば、自死・年間○万人
良くないとか何とか、耳にすることがあるけれど
人間が、自ら命を絶つことについて
決して賛成するのではないけれど
理解ができる、、?
気持ちはわかる、、?
と、わたしは思う。
きっと、様々な事で苦しまれたのだろうと
きっと、感受性が鋭い方だったのだろうと
きっと「人間の限界」を
「人生の限界」を感じられたのだろうと。
これは、他人事ではなく。
人間世界において、確かなものは
この身も含めて、何もないのだから、、、。
限界を感じた、その先で
わたし達は、確かじゃないままに
すでに光の中にあるのだということを
聞かせていただきたいと、わたしは思います。
自分にかけられた願いを
ずっと、ずっと「聞く」こと、
大切にできたらいいなぁ・・・
そんなことを思った、お彼岸法座でありました。
なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。