北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

シンガポール旅行 そのⅣ

2016-07-27 16:35:00 | 旅行
7月17日(日) シンガポール3日目
7時起床。天気は晴れ。
全員前日食べ過ぎたようで、朝食は日本から持参したフリーズドライの「赤飯」を少しづつ食べる。

もっとも昼食は12:00に同ホテルのハイティーの予定だったからでもある。(予約制)
それまでゆっくりホテル回りを散歩した。中庭にはプールもあった。フロントには日本の帝国ホテルから研修で来ていたKAさんがいて、案内してくれた。その他にも日本人女性スタッフがいた。



Gホテル「レスプレッソ」のハイティーは有名で、雑誌にも掲載されている。
ビュッフェ形式で、イングリッシュスタイルのアフタヌーンティーメニューだと言う。
一人S$47と高かったが、好食家(私の造語)には良いだろう。



食べる方が忙しく、料理のシャッターチャンスを逃した。
料理と人物は写っているのだが。

先ず、1ドリンクを選ぶ。私は煎茶。後は料理を取り放題。
クロワッサンのサンド、サンドイッチ、サーモン、フルーツ類、ケーキ類、最後に2ドリンク制でカフェラテ。

珍しいのは、フルーツのチョコレートフォンデュ。イチゴやパイナップルをタワーになって流れているチョコレートを付けて食べるのである。食べ終わるのに2時間かかった。
どうも皆食べ過ぎたようである。

朝、TA君がフロントに色々熱心に質問した為か、マレー系の人が我々のテーブルに来て「Legacy」なる小冊子をプレゼントしてくれた。小冊子の中には彼も写真付きで載っており、なんと52年も勤めており、72歳だと言うからビックリだった。

大型タクシーでシンガポール動物園に直行。一人S$37。世界一美しい動物園と言われ、28万㎡に約3000頭いる。



いきなりワニと思いきや、「コモドオオトカゲ」子どもではありません。



ホワイトタイガーはベンガルトラの白変種。とてもりりしい。



3:30よりゾウのショーが始まるので、急いで行ったのだが雨が降りだし、東屋のような場所はもうすでに一杯。屋根の無い観覧席に仕方なく座るが、皆バラバラ。



段々雨が激しく、傘を差しての写真はつらい。ベンチも濡れてきてハンカチもビショビショだ。
ショーは川のこちら側にいるオジサンの案内の上手いこと。エンターテイナーで盛り上げる。
もっとも隣席の女性が笑っても私は英語が分からない。ただゾウの演技で感心はした。



3頭が演技したが、子供たちのエサやりの時には4頭になっていた。S$5。美人の女の子が人参などを上げている。



チーターもカッコよく好きな動物だ。
トラムと言う乗り物で8の字形に園内を回ったが、ある運転手兼案内の上手いこと。右を見ろだの左を見ろだの、こちらも忙しい。

時々、動物名を立て続けに英語や中国語、気が付くと日本語でも話してくれて楽しい。降りる時には笑顔で「サンキュー」。



夕食は7時からオーチャードに近いニュートンフードセンターでサテーと言う焼き鳥や、ロブスター、チャーハン、空芯菜炒めなど。大きなロブスターだけで6000円したらしい。



ここが呼び込みに捕まった店。狭い店が所せましと並んでおり、客も多いから凄い回転率で効率が良い。店の前の屋外テーブル席で食べた。
流石に私は凝りたのでビールは飲まなかった。
私以外は元気に、さらにチェンドラ(かき氷)などを喜んで食べていた。



Gホテルまでは歩いて行けた。
左側がエントランスだが、右側には日本料理店の「達屋」があり、外のメニューは全部日本語だった。

帰国して義弟宅で「シンガポール」のテレビ録画を見ていたら、ここの「達屋」に高田純次が訪ねて、高級な寿司を食べていた。一貫の「マグロ炙り」が800円以上していた。

疲れもあり8:30から風呂に入り9:00には寝た。

シンガポール旅行 そのⅢ 

2016-07-27 10:51:00 | 旅行
7月16日(土) シンガポール2日目
夜中に2回ほどトイレに起きたが、時差ボケも無く自宅から持ち込んだ目覚まし時計で7時に起床。

朝食はGホテル隣にある姉妹店の「ヨークホテル」で、モーニングは一人1680円。



写真のように、ミックスジュース、トースト、スイカ、パパイヤ、ヨーグルト入りコーンフレイク、コーヒーのセットだった。

一度ホテルに戻り、下着の洗濯をする。そこでもう566部屋の用意が出来たので、移動した。
ホテルのペットボトルを、飛行機でもらったボトルに移し替えた。

再びオーチャードまで歩き、繁華街を見学。



半地下街のテナントには日本の、SONY、キャノン、ニコン、カシオ、フジフィルムを取り扱っている店を見つけ、嬉しくくてパチリ。日本の企業に頑張ってもらいたい。



ここは高島屋である。前日タクシーで通りかかった時、タクシーの運転手は『ここは「安島屋」でなく「高島屋」』とシャレた。
地下食品売り場を覗いたら、和歌山県の「桃」を市の担当者が販売していた。
残念だが、写真は被写体に家族が映り、ここには載せられない。

オーチャード駅からMRTに乗り、シティ・ホール下車。
マーライオンに向かう。天気が良い。



左に見えるのが、2日後に泊まるマリーナ・ベイ・・サンズである。
マーライオン公園は見渡す限り綺麗なロケーションで、人気スポットだから混んでいた。



シンガポールのシンボル、マーライオンは上半身がライオンで、下半身は魚の像。
マーライオンの吐き出した水を飲む。まずいなぁ。



高層ビル群の中に甥の勤めるビルがあり、2000人が勤務すると言う。
橋を渡った所にチリクラブの「パームビーチ」がある。



昼食は予定していた「ノーサインボード」のチリクラブが、材料切れと言う訳で代わりに探したのが有名な「パームビーチ」でチリクラブを堪能する。

先ずはタイガービールにチリクラブ、黒チリクラブ、チャーハン、餅のようなパン、その他。
あらかじめKAさんが周到に用意した薄手のビニール袋をはめて、まるでライオンのように、貪り食らった。手でもヌルヌルするから、始末に困る。何枚も使用する羽目になった。

フィンガーボウルで手を洗うのだが、汚れはなかなか落ちない。
確かに美味いが、とにかく私には辛い。



背面にはカニや珍しい魚が泳いでいた。



マリーナ・ベイ・サンズの屋上にはプールがあり、後日そこで泳いだのだ。



アラブストリートの見学。ここはサルタン・モスク。衣類、雑貨、絨毯などの店がいっぱい並ぶ。



夕暮れとなり、リトル・インデァ街を歩き、夕食は「バナナ・リーフ・アポロ」でインドカレー。



お皿の代わりに、大きなバナナの葉を敷く。ここにナンや料理を載せて食べる。基本は指で食べるのだが、私達はナイフにフォークをもらった。
左側は「ナン」で右側は「サフラン」。このサフランは私には合った。

止めれば良いのに又、タイガービールを注文。この時、家内が「大丈夫?」と言う忠告を聞かなかったのが、後で苦しむ事になった。反省。



たっぷりとスパイスが効いて辛い「フィッシュヘッドカレー」
白飯を頼んだら、お櫃を持ってきてドカンドカンと葉に置いて行く。しかし無料だった。

再び、タクシーでホテルに帰った。

気にしていた義母TEさんの入浴中にトイレに行きたくなってしまった。さあて困った。

ユニットバスにはカーテンがあるのだが、トイレはカーテンが無く丸見えである。恥ずかしながら声をかけて許可を取り、用を済ませた。
しかし疲れもあって、すぐにぐっすり眠られた。


シンガポール旅行 そのⅡ

2016-07-26 18:52:00 | 旅行
7月15日(金) シンガポール1日目
朝7時30分頃、チャンギ国際空港を出てすぐにタクシー乗り場に行く。

義弟と奥さんは英語が出来るので安心である。あらかじめスケジュールを組んで私もコピーをもらっていた。

今回の旅行は機内1泊、4泊5日の旅で、宿泊は3日間ともGoodwood Park Hotel(グッドウッド・パーク・ホテル)で、4泊目はマリーナ・ベイ・サンズに泊まった。

Goodwood Park Hotelを選んだのは、義母が約40年前に夫婦で泊まった思い出のホテルで、さらに割安だったからだと言う。それでも雑誌には高級ホテルと表示があった。(亡くなった義父は戦時中シンガポールに来ていた思い出の地だった)

以下、登場人物は頻繁に出るので、義母はTEさん、義弟はTA君、その妻はKAさん、その息子はYO君とする。

5人乗れる大型タクシーを呼んでもらい、先ずはGホテル行きである。Gホテルで大型の荷物を預けて再びタクシーで、カトン地区へ向かった。

やはりシンガポールは暑い。30℃位で湿気もある。だが、ホテルもタクシーも冷房で涼しい。むしろタクシーは寒い位だった。初日は私はYシャツだったので都合が良かった。



雑誌「るるぶ」を片手に、TA君があらかじめ調べてあった「金珠」と言うお菓子の店で珍しい菓子「オンデオンデ」を買って食べたり「パイナップルタルト」を購入した。

ここで日本人初老ご夫婦に会った。三重県から2人だけのツアーだ。他の方がキャンセルでも金額が変わらなかったらしい。現地ツアーガイドに案内されていた。

写真はその隣の店で、NHKでも放送された「ルマ・ビビ」刺繍店も見学する。
ビーズの刺繍の靴は、高いもので15万円はすると言う。手作りでとてもきれいだ。

下の写真は加東古董と言う骨董屋で、陽気なばあさんと話をしたり、卓上のパイナップルタルトに又目が行き、再びそれを買って食べた。やや甘いココナッツ入りクッキーだ。





カトン地区にあるプラナカン文化の有名な建物が並ぶ。



シンガポールでの初めての昼食は、カトン地区のニョニャ料理の「チリパディ」で、先ずはタイガービールに、クエ・パイティ(タルトの中にエビなど)、フィッシュヘッドカレー、ロールキャベツ(白身魚のすり身入り)でココナッツソース、エビ入りチャーハン、アヤム・ブアクルア(ブラックココナッツとチキンを煮込んだカレー)、ケペティン・バクアン(豚ひき肉・エビの肉団子入りスープ)など。
ビールは日本より苦みがある。チキンカレーの辛いこと。

この店はシンガポール№1になって、表彰状が壁に飾ってあった。

水をもらったが全然美味くない。カビ臭いのである。やはり美味いのは日本の水である。全員が水をほとんど残して、飛行機でもらったペットボトルの霧島の水を飲んだ。



シンガポール国立博物館まで2台のタクシーで行く。何と看板に日本語表示もしてある。



大人S$10のところ、全員60歳以上で$5だった。入館時にいきなり日本人学校の生徒らが20人位出てきた。

シンガポールは赤道直下の北緯1度、東経103度。国土面積は東京23区とほぼ同じ位で回りを海に囲まれている。水はマレーシアからほとんどを、管で引いている。最近は湾を堰止めたり、海の水を淡水化しているのに日本が技術提供しているようである。

国際ランキングは教育、経済など高位置で華人が74%位と多い。最近の発表でアジアでの大学ランキングは東大を抜いて、シンガポール大学が一位になった。

言語は英語・マレー語・中国語・タミル語など平等に使用するようだ。

日本陸軍はシンガポールにも攻めて、1942年2月から1945年8月まで統治した。当時の国名は「昭南島」(しょうなんとう)と言う。
年代別に展示してあり、建国者の肖像画も多く、大変分かり易かった。



再びタクシーを拾おうとしたが、通行量が多く帰宅時でなかなか捕まえられず、あちこち歩き回ったが、ただいたずらに時間が過ぎ、結局近くの地下鉄MRTに乗った。

地下までのエスカレーターのスピードの速いこと。年寄には少し危険である。
東京と同じように左側に立っている。
駅は、完全にホームドアが天井まであるので、一見電車が着いたのか解らないが、当然ドアが開く。

途中乗り換えが解らず、声をかけると皆親切に教えてくれた。TEさんには離れた場所からも、積極的に席を譲ってくれたのは凄い。

日本のような切符はなく、スイカみたいな紙製カードを購入して、それにチャージする方法だ。使い切れば返金は無い。旅行中何回か使用して記念に持ち帰った。

午後7時30分過ぎ、ホテル近くでTA君の息子と連絡を取って合流。私は持っていないが、スマホの便利さを知る。その後YO君も全日行動を共にした。彼は4年前から現地の会計事務所に勤めて資格も取った。もちろん英語はペラペラである。大変心強かった。

オーチャード道路の繁華街の地下一階のフードコートを案内してくれて、様々な料理の中からビーフンやホッケンミー、鳥の天婦羅や、ジュース類を飲んだ。
ホッケンミーの炒め料理は旨く、気に入った。

ホテルまでは歩いて5分位だった。途中セブンイレブンで缶ビールを購入。

ライトアップで美しいホテルに入ると、案内係はブータン出身でシンガポール大在学中の美人女性だった。聞いてびっくり、まだ19歳だし、その健気さにすっかり気に入ってしまった。



私・妻・TEさんの部屋は568。5階と思いきや最上階の3階だった。これがエレベーターが複雑で、何回も違うところに出たりした。

初日はTA君・KAさん・YO君は567で、566がドアで行き来できるようになっていたから、2日目は私達を566に変更してくれた。
親切に「日本経済新聞」をくれたので、相撲の勝敗が解って良かった。

全員一部屋に集まり、缶ビールと飛行機でもらったスナック菓子で乾杯。
明日の予定の打ち合わせをした。当初の予定より毎日変更になった。

初日は軽くシャワーを浴び、私は一人早めにゆったりとした手前のベッドで、TEさんは奥のエクストラベッドに横たわった。

日本のユニット式より広い洗面所であるが、一部屋で右にカーテンのある風呂と左にトイレがあり、後日困った事が起きた。

シンガポール旅行 そのⅠ

2016-07-25 11:40:00 | 旅行
久しぶりに飛行機に乗った。

会社勤めだった今から28年前の1988(昭和63)年10月にアメリカ・ハワイに行って以来だった。
この時はNCR米国流通業視察と言う名目で、成田からシアトル経由でシカゴ、ニューヨーク、デイトン、サンフランシスコのツアーで20人位だったか。
その後ツアーと別れて、会社の2人でハワイに回り、あまり話せない英語でも無事日本に帰って来られた。

今回は義弟の息子を訪ねて、5人でシンガポールに向かった。(妻・87歳の義母・義弟・その妻)
4年前には私以外の4人はシンガポールに行っているので、彼らは2回目である。
飛行機や宿泊の手配は、旅慣れた義弟がしてくれた。(7/14~7/19)

7月14日(木)夕方6時頃は土砂降りだった。 ネットで京王線は平常運転を確認して、雨は止んだ8時前に自宅を出た。

ところが、土砂降りの影響か15分位遅れているの表示あり、一瞬高尾経由で中央線かと迷ったが、それでも何とか新宿に着き、山手線経由で品川に行き、京浜急行で羽田空港国際線ターミナル駅まで行った。

飛行機は給油が遅れているのアナウンスがあり、午前0:15発予定がかなり遅れて0:50離陸であった。
飛行機に乗り込んでから離陸までの時間が長く感じられ、ぐるぐる同じところを回っているのではないかと、ハラハラしながら外を覗いたが、暗くあまり解らなかった。

ただ、離陸時はアナウンスもあるしエンジンが全開になるので、いよいよだなと思い、しばらく走ったところでフワッと持ち上がったので、無事離陸出来たと安心した。

飛行機は全日空で日本語でOK。飛行が安定した1:30赤ワインとスナック菓子2種。
おしぼりにペットボトルもいただく。このペットボトルが旅行中大活躍してくれた。

全日空は総合的な空港サービスが世界№1とある。
我々の機種はボーイング240席で、ほぼ満席。エコノミークラスのちょうど飛行機の真ん中あたりの右窓側18のH席に私は座った。

普段は寝ている時刻なのに結構、映画を見ている人がおり、私も「エベレスト神々の山嶺」を飛ばしながら見る。各席にあるから便利だ。ただ最初は操作が解らず、窓側K席の若い女性が教えてくれた。
他に「寅さん」や「東京物語」「男はつらいよ」「海街」など見ている人がいた。

しかし、ここで寝ないと現地は朝だ。機内は少し暗くなった。エコノミークラスで座ったまま寝るのはきついが、どうやらウトウトしたらしい。

気が付くと5:00朝食で鮭彩弁当と「茅乃舎」のスープをいただく。
飛行速度は910㌔/hで、通常の電車の10倍以上、新幹線の3倍以上の速さで、予定通り現地時刻6:30シンガポールチャンギ国際空港に着。(時差は1時間)

機内で記入した入国カードとパスポートを手に、緊張して入国審査をした。
以前は一所懸命「サイトシーング」と覚えたが、そこでは審査官の「帽子を取れ」のしぐさと、両手の親指を機器にかざす方法ですんなり通り抜けた。

シンガポールではガムの持ち込みは禁止である。販売もしていない。だから日本のようにガムが道路にへばり付いていない。
以前パチンコ店で椅子に座った時、柔らかいガムがズボンについて、大変困った事があった。日本もそうしてもらいたい。

空港で早速両替をする。シンガポール1ドルがほぼ80円である。(5万円がS$630だった)
全員トイレを済ませた。待合のソファーには当然異国の人で一杯である。それでも私にはアラブ系が多いと思った。

空港外は未だ薄暗い位だった。夜明けは日本より遅いようである。

白川郷・金沢旅行記

2016-05-01 16:04:00 | 旅行
2016年4月26日(火)~28日(木)まで、飛騨、山中温泉、東尋坊、金沢への2泊3日旅行に行って来た。
これはC社の「山中温泉の老舗旅館白鷺湯たわらやに2連泊」がメインのタイトルで「戦国浪漫感じる遺跡から城まで飛騨・北陸充実の旅」がサブタイトルである。
なかなか上手いタイトルをつけたものである。

行きは特急あずさで松本まで、移動はバス、帰りは富山から北陸新幹線で東京までである。
我々夫婦は、八王子から8時3分に乗った。ほとんどは新宿からで、総勢36名だった。
連休前の平日とあって、あずさは空いていた。さわやかな空気に迎えられて無事松本に着いた。

すぐに、大型で新型の長野観光バスに乗り込む。座席の指定があり、我々は10列目で一番後ろの前。もうここで残念に思った。一番後ろは3人組のおじさん達で、あずさの中から酒を飲んでおり、ガイドの話より自分達の話でうるさかった。我慢して、先ずは飛騨高山に到着だ。



造り酒屋が多い。
以前来たのは高山に尺八仲間がおり、箏と合奏練習をしてそのまま別れてしまった。仕方なく駅前の居酒屋で一人寂しく飲んだなぁ。



甚五郎の酒屋。「杉玉」は新酒が出来た時に知らせる役目がある。
長沢勝俊作曲「飛騨によせる三つのバラード」の第三章に「杉玉」があり、8分の5拍子や8分の3拍子など演奏に苦労した事を思い出した。



次は、白川郷の合掌造り。10年に一回茅葺の屋根を葺き替えるという。



和田家は見学出来るので中に入ると、名物ばあさんが朗々と自信たっぷりに解説をしてくれる。
写真は2階の太い柱と梁。駒尻とはコマの先がとんがっているような造りで、屋根が乗っているだけ。釘を使わず地震に耐えられる建築方法だ。1階はいろりを焚いていた。



1泊目は山中温泉の老舗旅館「たわらや」で、とにかく源泉かけ流しで熱い。
「厳選垂れ流し」ではありません。誠にもったいない位の湯量と熱さで、いきなりは入れないから、まず寒くても露天風呂に入り、そして内風呂に入るとちょうど良い。

そして一夜明けた27日(水)も薄日が差す晴れ。バス席は7列目に昇格。
先ずは福井県大野市の越前大野城。織田信長の家臣金森長近が1576(天正3)年築城開始。昭和43年に再建。
小高い山の上にある為、下から歩くと20分位でちょっとした山登りだった。

石垣は自然石をそのまま積んだ野面積みだそうだ。あれーツァーのおじさん写っちゃった。
竹田城に負けずに「天空の城」を売り出し中。



城下町の一角に名水百選の「御清水」(おしょうず)。湧水で美味い。
こちらは町中にあるが、私の生まれた信州飯田の「猿庫の泉」(さるくらのいずみ)も名水百選で、山の中にある。



白山平泉寺(はくさんへいせんじ)は、中尊寺の平泉寺とは違う。
苔むす静かな所で、なだらかで少し広い階段を上ると突き当りは拝殿で、その裏に本殿がある。



左側が本殿。
バス停前に何故かソフトクリームやさんがあり、これがジャージー種で柔らかくジュ―シーだった。



曹洞宗大本山、永平寺の入口。
永平寺は1244(寛元2)年道元禅師にによって開かれた座禅修業の道場である。



傘松閣(さんしょうかく)は156畳敷きの大広間。
天井の絵は昭和5年当時の著名な画家144人による230枚の花や鳥の絵。



ここは仏殿だが、その裏には法堂がある。
山門から仏殿、法堂に行くには結構な板の廊下階段があり、山の斜面に作られた事が解る。
廊下は雲水らによる雑巾がけで綺麗であり、中学の時の廊下掃除を思い出した。

この日は尼さんらも修業で沢山来られていた。
私も尺八を演奏する手前、修業をせねばならない。

永平寺は雪が深く、瓦が痛むので1000円寄付すれば、数珠を頂けると知って寄付をした。
数珠と嬉しい事にお経の本もくれた。
これには私も知っている「開経偈」や「般若心経」が載っている「修證義」だった。

雲水らは夜は9時に消灯で朝3時30分に起きて朝食。食事当番は2時30分起きで、とても私は務まらない。
贅沢はしない食事でも彼らは、態度がきりっとして実にキビキビ立派でカッコ良い。

私も、修業のお経を唱えようと思う。



一乗谷朝倉氏遺跡は、特別史跡・特別名勝・重要文化財の国の三重指定だそうである。上の写真は唐門。



一乗谷(いちじょうだに)は地名。朝倉氏は兵庫県の豪族で朝倉広景から、朝倉孝景の時代に一乗谷に移り、繁栄したらしい。
しかし、1573年の刀羽坂の戦いで織田信長に敗れ、焼打ちになった。
遺跡の発掘は昭和42年から始まり、復原された。



2日目の夕方、無料券をいただいて散策中「菊の湯」に行こうと思ったら、小雨が降りだし傘は持たなかったので諦めて、再び同じ宿の風呂に入った。

内湯に浸かっていたら、ガラスの向こうに何か見えたので、何かと思って見たらガラスの外側に「蜂の巣」を作り出して約3㎝位だった。こちら側に黄色い横縞の腹が見えた。すぐ横は露天風呂だ。スズメバチだったら大変だ。
早速、フロントに伝えたのは当然だった。

3日目の28日(木)は残念ながら朝から雨風強く時々土砂降り。バス席は少し前に進み2列目。
しかし、この席も真後ろの席のおばさんが、バスガイドの話しを聞かずうるさかった。
連れ合いは時々、舟を漕いでいたから気にならなかったらしい。

最初は「東尋坊」から始まった。



東尋坊とは坊さんの名前。
松本清張の「ゼロの焦点」を読み、いつか現場を見てみたいと思っていた。しかし、土砂降りで風雨強く、ちょっと下に降りただけで、傘をさしており危ないので引き返した。
ここで死ぬわけには行かない。



3日間バスを飛ばして、松井秀喜記念館を左に、松井ネットを道路上に見たりして金沢入り。
先ず、武家屋敷跡の野村家の庭園を見学。
外人さん達もじっと考え混んで、いつまでも見ている。



玄関前の岩に苔むす風情がよろしい。
肝心の屋敷の写真が無いのは、とても見せられない人物が映っているので掲載出来ない。



近江町市場の「市場寿し」は回転寿司だが普通にも握ってくれる。ここは本店。
実はツアー解散の声と同時に、飛び込んだのには情報があった。私の高校同級生のT君の話で旨いと聞いた。「のどくろセット」の寿司を頼んだが12貫もあり、美味いのなんの。全てが柔く新鮮でコメも旨い。それがエビ入り味噌汁も付いて2380円+税だった。

しかも連れは腹いっぱいだと言うから、私はその鯛も食べたから大満足だった。
おかみさんが「明日から連休で大忙しだから、本日は空いていてよかったね」

市場は近江商人が開いたからだと言う。そこは活気があって良いし、楽しい。
串に刺した、大いちご3ケ300円を食う。

あるO水産のエビ担当のお兄さんが「うちは大量仕入れだから安く出来る。地元の客を大事にするから、セット販売はしない」と説得力があった。



休憩時間は残り30分だった。ここもT君の情報で「東出珈琲」。なに探さんでもバス停の斜め前だった。世界のコーヒーがあり、私は「ブラジル」で連れは「キューバ」。何れも美味い味わいで満足して、予定通り古いが木造の雰囲気のある喫茶店を後にした。



兼六園は根上松(ねあがりまつ)から。土を盛って若松を植えて段々土を削って根上りになったと。
値上りの兼六園にはしないで欲しい。
以前、一人旅で来たが、うっすらと覚えているだけだった。



「ことじ灯籠」の名は「琴柱」(ことじ)に似ているところから名付けられた。
とに角、雨激しく写真撮影は傘をさして、資料を持って大変である。もう資料はびしょびしょで破れかかっていた。



霞ケ池の反対側から。つつじが綺麗だ。
もう駆け足で見て、バスに飛び込んだ。



旅の最後は、ひがし茶屋街。テレビで良く見る光景だが、やはりテレビは映し方が上手い。
脚立を使って映しているカメラマンもいた。
もっと灯りがともる、夕やみの方が良い。
ガイドの話によると、私が夜来るところではなさそうだ。



いよいよ最後となった。中田屋の「きんつば」をお土産に買う。私には甘すぎる。
「きんつば」は信州飯田の「和泉庄」の方が甘さが控えめだ。歌舞伎座で売っている。

写真に写らなかったがその左側に「箔一」があった。
そこで、欲しかった九谷焼の「おちょこ」を買った。これは運命で九谷焼のおちょこを求めて三千里ではないが、あちらこちら見て回ったが希望の品は無かった。

「箔一」で誠に品のある中年女性に、希望を言ったらずばりお目当てのおちょこを見つけてくれた。

何しろ中は金箔である。加賀百万石の思い出の品だと大枚をはたいた。パンパンパパンと講談では無い。冗談である。
実は予算ぴったりの3000円+税だった。

帰って時々、眺めながら「純米酒」をやっている。しかし味は金箔に負けるなぁ。

バスは無事富山に着き、バスとお別れした。
富山から北陸新幹線だったが、連休前で空いていた。ところが東京駅ではもう連休のラッシュが始まって、ホームはいっぱいの人。どこへ行くのだろうか。

3日間の旅行は、添乗員さんが若い女性で元気でテキパキとやってくれた。
バスの運転手も安全運転で安心出来たし、バスガイドさんの上手い事。何でも知っていて解り易く感心する。時々コックリタイムもくれて、お疲れの人には良かった事だろう。

たわらやさんには2連泊で、あわよくば他の温泉にも行きたかった。
食事は普通の旅館と同じだが、他人のコメントでは概ね良いと書いてある。
それでも毎回違った食事で、小さいがのどぐろやカレイ、はたはた、等の焼き魚や温泉卵、刺身、豆腐鍋、茶わん蒸し、生卵を自分で焼くベーコンエッグ、天婦羅、野菜寿司など2日間にわたり、夜はビールや地酒の「獅子の里」を飲んだ。

あの蜂の巣はどうなっただろうか。