北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

四国旅行記 そのⅢ

2016-11-30 10:46:00 | 旅行
11月23日(水)勤労感謝の日 四国旅行3日目も晴れ。 5時起床

あらかじめ申し込んでいた早朝散歩に行く為、風呂には入らなかった。

6時15分ロビーに集合。未だ暗いので懐中電灯を貸してくれた。

案内係は背が高く、かくしゃくとしたオジサンだったが82歳と聞いてびっくりした。

参加したのは2組の夫婦だけだった。聞けば「新横浜」で一緒に乗った夫婦であり、御主人は私と同年だった。




未だ暗い海岸である。足元を懐中電灯で照らしながら、海岸への遊歩道を降りて行く。



段々と明るくなってきた。この日の日の出は6時44分とホテルに表示されていた。



白山洞門は高さ16m、幅17m の海蝕洞。花崗岩では日本一。昭和28年に高知県の天然記念物に指定された。

洞門の上に白山神社が祭られており、一般人は入れない。
海岸の遊歩道には大きな岩がごろごろしていた。台風が海岸から運び、小石はむしろ浜辺にあった。
津波の恐ろしさが分かる。



ホテルには7時に着いた。朝食は6時40分からなので、散歩に参加しなかった組はもう食事が始まっていた。



朝食は、かたくち鰯を自分で焼く。温泉玉子・カツオフレーク・かまぼこ・ノリなど、割と簡単だ。
国際ホテルと名乗るだけあって、外国人も多かった。

出発は8時30分。名札を付けた仲居さん達に別れを告げた。中に「見習」の札を見つけ、「見習いさん、さようなら」と言って笑わせた。





中浜万次郎(ジョン万次郎)の像。日米和親条約の締結に尽力した。




展望台からの足摺岬。四国最南端の岬である。
この展望台は高さ80mで270度の視界。



「足摺岬」の歌謡曲があったと思ったら、春日八郎の歌だった。



遊歩道を歩いて、灯台の真下まで来られる。



途中に見事な亀石がある。ただし眼だけは誰かが彫ったらしい。



金剛福寺は第38番札所。境内は120,000平方メートルの大道場で広い。見学後、バスは四万十川に向かう。約80分である。

時々お遍路さんに遭遇する。バスから手を振ると喜ぶと添乗員が言う。
そう言う添乗員はこの旅行後に休暇を取り、自ら再び東京から高松まで飛行機で入り、お遍路をするそうだ。



四万十川は思ったより広い。
船下り場所は川下にあると思ったら、結構上流の方に来た。

目の前の屋形船に乗船して、周りの景色を見ながら、弁当をいただいた。
アユは船上でおかみさんが炭火焼にしてくれた。11時から11時50分。

船の運転は若くて杉浦太陽似のイケメンで、記念に写真を撮っていたおばちゃんがいた。



この沈下橋は増水時には、沈下して見えなくなる。すなわち川の流れの下になってしまうのである。

上の道があるところまで水が浸かるそうだから、ただごとではない。
道路の岩には、浸水したところにペンキで印が表示してあり、平成17年のもあった。

「四万十川]と言ったらアユと、青のり(原藻)が有名である。

バスガイドさんの説明でお遍路さんを題材とした、映画「釣りバカ日誌14」のDVDを旅行後に借りて来た。中にタクシー運転手役の間寛平が四万十川で、アユ釣りをしているシーンがあったし、四万十川の」支流で高島礼子に結婚を迫る三宅裕司が、川に飛び込むところもあった。

又、お遍路としてスーさんと浜ちゃんが金剛福寺にお参りしたり、翌日行く足摺岬や竜串海岸での釣りをするところが懐かしい。



四万十川からバスは道の駅「ゆういんぐ」まで80分で休憩。

その後「仁淀川」を渡る。大阪にある淀川に似ているからだそうだ。四万十川より有名ではないが実は、透明度は日本一だ。
さらに65分で桂浜。



「南国土佐を後にして」で歌われた「月の名所は桂浜」に来た。
この歌は親父の、唯一の上手く歌える歌だ。


バスガイドさんが、ここの焼きナスのソフトクリームは美味しい、と言うので二人で食べだしたらあっと言う間にバスの集合時間で、我々が最後であった。焼きナスの香りがして美味だった。



高知城を築いたのは山内一豊である。



高知城天守は江戸時代から現存する12天守の一つで、本丸のすべての建造物が残っているのは高知城だけだ。

築城工事は1601年から10年かかった。



天守閣の最上階には「高欄」がある。それは装飾的で権威の象徴である。



天守閣から下を望む。
「古城」に歌われるような矢弾の痕は無い。一度も攻められなかったと言う。

今回のツアーには城の見学が2つあり、城好きの私の決め手にもなっていた。



ホテルは近くの「三翠園」で5時に着。バスで来る途中に「はりまや橋」を渡ったが、見学には行かなかった。「三大がっかり」と聞いた事があり、見たことにした。

何よりテレビで「大相撲」を見たかったし、翌朝の「木曜市」にも行かなかった。

風呂は塩分を感じた。6時30分夕食。

写真左上の大皿に高知名物「カツオのたたき」やカンパチ・マグロの刺身。
「カツオのたたき」は土佐だから2日続けて出されたが、ここのは旨かった。

当然、中生で一杯。他の夫婦を見ると、大概「土佐鶴」の300mlの冷酒をやっている。仲がいいね。

何とか貝の一つに、身が入っていなかった。どうも見たところ貝に穴があき、食べられてしまったのかな。
ケチだから、仲居さんに言ったところ、おまけに二個もくれた。親切な仲居さんで気に入った。

さらに、豚しゃぶ・大きなクルマエビのフライだがこれが変わっていて、枝豆だかをすりつぶして、パスタみたいにぐるぐるエビに巻いてフライにしてあり、手が混んでいる。揚げ立てで美味い。
ゆずゼリーも出て、大変おいしくいただいた。

約10,000歩歩き、ほど良い疲れだった。
我々の部屋は5階で広く、ソファーもゆったりで良かった。

風呂はややこしく、エレベーターで2階まで下り、隣の建物の廊下を渡ってさらに、温泉館に行くのである。女性はさらに3階に上がるのだ。

疲れもあり、9時頃うつらうつらと寝た。


四国旅行記 そのⅡ

2016-11-29 10:49:00 | 旅行
11月22日(火) 四国旅行2日目は晴れ。5時30分に起床して大浴場に入る。
四国は東京より西だから日の出が遅い。6時30分頃明るくなった。

椿舘での朝食は6時50分からバイキングで、じゃこ天・納豆・ダシ巻玉子・ポテマヨ・サラダ・ヨーグルト・フルーツなど。



バスは7時50分出発で、最初にすぐ近くの「石手寺」。
四国八十八カ所の霊場で、第51番札所。お遍路さんが多く参拝している。

ここは、国重要文化財の本堂で別名「落書き堂」。夏目漱石や正岡子規も落書きをしたそうだ。
確かに後ろに回ると、今ではホワイトボードにたっぷり落書きがしてある。

ツアーでは忙しいが、いくつもの建物があるのでゆっくり見るべきお寺だ。



松山城は約400年前、加藤嘉明によって築城された。
海抜132mで、山麓からロープウェイで行く。



天気に恵まれて快晴、暖かい。私の18番である三橋美智也の「古城」を、つい歌いたくなる。



天守閣は連立式天守(天秤スタイル)で、敵の侵入を防ぐため、山麓から本丸にかけて珍しい「登り石垣」になっており、まっすぐ天守閣に行けないのである。又、はさみ撃ちに出来るように工夫されている。

ガイドさんの説明では石段の奥行きが広く、敵にとっては攻めにくく、味方にとっては上から反撃をしやすいよう作ったと言う。

行きはロープウェイだが、帰りは一人一人リフトに乗った。これが混雑していて意外と時間がかかり、集合時間が迫っていたので、リフトを降りて駆け出した。



松山城から55分で内子(うちこ)。ここは木曽路や飛騨高山のように古い町並みを保存している。

内子から宇和島に行き、昼食はホテルで名物「鯛飯」。これは鯛の刺身を、自分で醤油の付けだれにつけて、ご飯にのせて食べる。旨かった。

宇和島は闘牛で有名だ。闘牛場が丘の小高い上にあるとはびっくりした。

天気が良いのでバスの中は暑く、喉が渇いてブラック缶コーヒーを飲んだり、盛んに宇和島「みかん」を食べた。これが又美味い事。



バスはどんどん走って高知県に入る。宿毛(すくも)を過ぎると国道321号だ。ガイドさんが言うには高知県は過疎化でほとんど地元の人が歩いている姿に会わないそうだ。

午後3時過ぎに竜串の「足摺海底館」海中展望塔に着く。
透明度は9mで良い方だと言われた。



展望塔に入って階段をどんどん下り、見学場所はほぼ海底であった。
客が来るとカゴにエサを入れて撒くから、魚が寄ってくる。箱フグやら、熱帯魚も見られた。

直径50センチ位の丸いガラスの、のぞき窓から写真を撮ろうとすると、魚はすぐ動いて上手く撮影出来ない。何しろ天然である。ウニが岩の穴の中にわんさかいた。



竜串海岸は砂岩で、地殻変動で隆起した為、あちらこちらの岩の中に小石がむき出しているのが見える。

浸食された岩が様々な形を作り、くじら岩とかいろいろな名がつけていた。

バスはさらに南下して足摺温泉に着く頃は、すっかり夕方で夕日がきれいだった。

5時に「足摺国際ホテル」に着いたのだが、ガイドさんが言った「露天風呂で夕日が見えるかも」は、お茶を飲んでテレビで相撲を見ていた為、風呂に入る頃には沈んでしまっていた。



湯上りに自販機で缶ビール。会場で飲むより安いと判断したが、ちょっとえげつなかったかな。
夕食はカツオのたたき・サザエ・エビ・なまこ酢付け・豚しゃぶ・茶わん蒸し・フルーツなどで腹いっぱい。

我々の部屋は割と新しい部屋で、海側ではなかったが、ベッド部屋の他に小上がり的な和室付きで広かった。
その割にテレビが小型で、バランスが悪いね。どこかで利益のバランスを取っているのかな。

翌日は早朝散歩で「白山洞門」見学をするべく申し込んだ。6時15分集合なので、早めの21時に就寝した。

四国旅行記 そのⅠ

2016-11-28 11:32:00 | 旅行

今まで一度も四国には行っていなかった。

最近はテレビで旅番組が多く、行かなくても大体分かる。

しかし、夏目漱石の「坊ちゃん」を読み、二宮和也主演の「坊ちゃん」のテレビドラマを最近見て、道後温泉を見たくなった。(来年には改修工事が始まると聞く)

そして高峰秀子や松下奈緒の主演で大石先生だった壺井栄の「二十四の瞳」の映画を見たり、読んだりして小豆島や金比羅さんに興味を持った。さらに松山城に高知城、足摺岬に室戸岬。

思い立つ日が吉日。元気な内に四国に行く事にした。
11月21日(月)~11月26日(土)の6日間である。

私の条件に合ったのはC社の「小豆島も足摺・室戸岬!四国の名所へ」「四国全周ハイライト6日間」「ご夫婦限定 トイレ付きバスでご案内」とタイトルが3つも付くコースに参加した。

11月21日(月)曇り。我々は新幹線10時29分発「新横浜」で合流した。夫婦限定で12組の総勢24名である。(最低限の人数)

C社の旅行は今回で3回目であるが、添乗員が男性なのは初めてである。若くイケメンであった。
グリーン車の9号車、15のA・Bが席であり、進行方向左側だから海を見ていた。
(ほとんどは持参した新聞を読んでいた)

名古屋を過ぎて、昼食に「みそカツ弁当」が出た。みそカツは2つもあり、タレが少し甘かった。
早くも缶ビールを飲んでいるおばちゃんがいた。
弁当はボリュームあり、私は腹一杯だった。

福山駅には13時44分着。「両備バス」の大型バスに乗り込む。
申し込み順かどうかは知らぬが、指定された座席はツアー客の後部座席で「又、後ろか?」と思った。何故なら前回もそうであったから。しかし座席は日毎に代わるから、次は多分前であろうと期待した。

バスは尾道を右下に見て、「瀬戸内しまなみ海道」を進む。バスガイドの上手い事。6日間その話を堪能した。

島から島へと、いくつもの橋を渡って大島に着いた。大島名は全国にあるから、ややこしい。
ここにビューポイントの「亀老山(きろうざん)展望台」がある。
標高307.8m。「日本の展望スポット2016年第3位」に選ばれ、360度のパノラマだ。ああ絶景かな。

瀬戸内海と言えば、宮城道雄作曲「春の海」を思い出す。福山市の鞆の浦で舟遊びをした時の情景を曲にしたそうで、その事は生前の宮城道雄の甲高い声の録音を聴いた事がある。



曇りでややかすんでいるが、まだいい方だと言う。

初日の見学カ所はそれだけで、道後温泉に夕方着。ホテルは「椿舘別館」である。
早速、「道後温泉本館」の風呂を浴びに行く。
道後温泉本館は110年前に建てられて、3階建てになっている。
ここに夏目漱石も来たのか、と思うと感慨無量である。



いくつかのコースがあり、我々は一階の一番安い「神の湯階下」一人410円だった。
ドラマで見た通りだったが、本当に湯船は深く泳げるなと思った。ただ浴場は思ったよりは狭い。
いい湯だった。夕食時間も迫るし、土産店の見学もあるので30分位で切り上げた。



夕食は食前酒も出たが「伊予娘」なる冷酒もいただいた。
刺身は定番であろう。写真左上は「鯛鍋」で、右上は「イカリングの陶板焼き」



椿舘本館にて21時から「水軍太鼓」の演奏を聞きに行った。右上のからくり時計が9時を告げると車夫の足が交互に動き、演奏が始まった。それは凄い太鼓だった。
勇壮で館内が良く響き、腹から足元から鼓動がドンドンと気持ち良く伝わって来る。

4曲30分間の圧巻のスピードあふれる、迫力満点の演奏を無料で満喫した。
(YouTubeで演奏が聴ける)


シンガポール旅行 そのⅥ

2016-08-01 11:56:00 | 旅行
7月19日(火) シンガポール5日目
別れの日が来た。飛行機は午前11:00発だから全員6:30起床。自然に目が覚めた。



朝の、フワラードーム・スーパーツリー方面。

朝食はネスプレッソマシーンもあったので、コーヒーとブルーベリー味のパンを食べる。日本から持参したアルファ米の白飯少しと梅干を1個も。
他の人はスーパーで買ったカップラーメンやみかん等で、簡単に済ませた。

8:30チェックアウト。パネルタッチで自動的に出来るとはハイテクが進んでいる。一人2万円くらいだった。

ここで甥が大型タクシーを呼んだのだが、トイレに行った甥を私が待っている間に、妻らは先に大型タクシーに乗り込んでいた。

甥が出て来て、タクシーが違うと大騒ぎのすったもんだの乗り換えで、呼んだ大型タクシーに6人が乗り込んだ。
シンガポールのタクシーにチップはいらない。冷房が効き過ぎなのはおもてなしだそうだ。



マリーナ・ベイ・サンズにはもう一泊ゆっくりと泊まりたかった。

チャンギ飛行場に行く途中で、お世話になった甥とお別れである。彼はタクシーを降りて皆と「さよなら」を交わしたが、下を向き寂びしさをこらえているように見えた。

運転手に飛行機名を聞かれANAと言うと、流石にANAのゲートにピッタリと横づけしてくれた。
9:00にチャンギ国際空港に着。

私は土産物屋でやっと、自分用にマーライオンの絵がある「ショットグラス」2個入りをS$13,9
(1100円)で購入した。

11:20頃離陸。満席ではなく、80%位か。機内ではスナック菓子が出たので、自分に解禁して「プレミアモルツ」を飲んだ。

12:30頃昼食で、私は白ワインと肉じゃがを選んだ。

テレビ画面でフライト状況を見ると、高度12496m、外気温-50℃、真対気速度891㌔の表示。
地図も表示されて、今どのあたりにいるかが解る。
羽田に近づくと、高度は下がり、外気温は上るので見ていて面白い。

左窓側の外国人女性は、ほとんど寝ているようであった。それでも缶酎ハイの「ストロング」を注文していた。
雲の上を飛行し、太陽がまぶしくほとんどガラスを暗くしている。

夕方には「チキンサンド」が軽食として出て、コーヒーをいたただく。

千葉辺りから段々下降して、右に左に夕闇のロケーションを見せてくれる。

予定通り19:00頃、羽田空港に着陸。帰宅ラッシュに遭遇したが、自宅に22:00前には無事着いた。

シンガポールは素晴らしい所だった。見て良し、食べて良しだ。
比較的街なかはきれいだし、皆親切である。

MRTで席を譲ってもらった87歳の義母が「サンキューベリーマッチ」と言ったのには驚いた。しかしその場が和んだのは良かった。

交通は地上の電車は無く、地下鉄MRTの他に、バスやタクシーがある。
今、マレーシアとシンガポールを新幹線で結ぶ計画があり、日本などの新幹線売込みが激しいらしい。

日本人旅行客も何人か見かけた。見かけは中国人と似ているので区別は難しいが、日本語で分かる。ただ私の感覚では、ホテルでもレストランでも中国人なのに英語が上手いなぁと思ってしまった。

土地は狭いから、マンションは高層である。
一年中暑く、湿気があるが、建物の中は快適である。

ホテルのトイレは当然水洗であるが、ウォッシュレットではなく、便座も自宅の暖房に慣れていると常温でひやっとする。ここでも日本製のTOTOが活躍していた。

面白かったのは、大小便の押しボタンは丸い5㎝位のを押すのだが、上下に分かれており、どちらかを押せば良いのである。うまく考えたものである。

あわよくば水が美味ければ良いし、私の英語が上手ければ良いと思った。

でもやっぱり、目黒でなくともさんまの塩焼きに、日本酒を冷でがいいなぁ。

シンガポール旅行 そのⅤ

2016-07-30 12:50:00 | 旅行
7月18日(月) シンガポール4日目
朝食はホテル隣のファーイーストプラザ(遠東商業中心)ビル地下の店に行った。



Ya Kun Kaya Toast(ヤクンカヤトースト)でトーストセットを注文した。一人330円と安い。

薄切りのパンにバターたっぷりとカヤジャムを挟んである。。カヤジャムとは、卵、ココナッツミルク、パンダリンリーフという香りの葉、と砂糖で作られて甘い。それに半熟卵とコーヒーだった。



Goodwood Park Hotelは1900年にドイツ人の社交クラブとして建てられたコロニアルスタイル と雑誌に出ている。110年以上経っているのだが、部屋など古さを感じなかった。

9:30ついに3日間お世話になったGホテルに別れを告げて、一路タクシーでマリーナ・ベイ・サンズに向かった。




一階受付で手続きをして、荷物を預けて散歩に出かけた。



下から見たマリーナ・ベイ・サンズ。
ヨットをイメージした建物である。

この屋上にプールがあり、後で入った。世界最高、圧巻の地上200m天空プールのキャッチフレーズあり。
2010年にオープンしたばかりのアメリカ系の新しいホテルだ。



Mホテルと陸橋で結ばれた、ベイ・サウス・ガーデンに向かう。
これはスーパーツリーで、高さ22mのところにスカイウェイがあり、ここを歩くのだ。

ところが並んで待っていたところ、突然の雨でしばらくクローズと言う。
仕方なく隣接のフラワー・ドーム・&クラウド・フォーレストを先に見る事にした。



世界各国から集めた、様々な種類のサボテンが展示されている。

ここで偶然、日本人の若夫婦と幼稚園女児に会い、何故か女児と仲良くなったのだ。
先ず発端は、私がお嬢さんの声を聴いて、日本語で感嘆の声を上げていたから、声をかけた。

そこへ義母も参加して「可愛いね」とか話をしたら、なついて手を振ったり、そのうちに手をつないでくるようになった。



これは珍しい「蛸のサボテン」である。



広すぎてほんの一部しか写せないのが残念だが、枯れた花が無く良く管理していると感心する。



これはもう絶景だった。ゆらゆら揺れる。一方通行と知らず戻りかけると、警備員が制止した。左側の塔エレベーターで降りる。

ここでも女児に会い、しっかりと手をつなぐ相手を探したのは甥だった。
話を聞けば御主人は佐賀出身で、現在はタイの日本企業に勤務だと言う。
女児は、英語も話せてタイ語も少し話せるそうだ。



Mホテルに戻り、チェックインにTA君らが行ったのだが、ホテル側に不手際があった。

彼が予約したようになっていなくて、3人と3人の部屋が別の階になっていると言うのである。
大変長らく待たされた結果は、50階のスウィートルーム一室に6人が特別泊まれるようになったのだ。(一番左側の棟)

不幸中の幸いであろうか。英語が堪能なYO君の交渉力・会話力だったのだろう。
屋上が57階になるから、かなり上階の部屋である。下から見ると反り返っている。



マリーナ・ベイ・サンズに戻ると、様々な一流テナントが入っており、写真は上階下階ともバーバリー。果たして売れるのかな?



昼食は有名な鼎泰豊(ディンタイフォン)で小龍包、チリクラブ入り小龍包、チャーハン、豚肉入りチャーハン、葉物等をいただく。



ここの豚肉入りチャーハンが今回のシンガポールでは一番美味かった。



部屋からシンガポール海峡を望む。



反対側は眼下にマーライオン公園を望む。
スウィートルームは専用のエレベータ―があり、一般人は乗れない。

屋上のプールには男のみ3人が入った。先ず暖かいジャグジーに入ってからプールに入ったのだが、最初は冷たく感じ私は少しためらった。
意を決して、3人が縁まで行って万歳の写真。残念だがガリガリの裸では恥ずかしくてとても見せられない。



5098号室のスウィートルームは、入ってすぐにリビングとダイニング、左と右に別れて2寝室。風呂場とシャワールームが2ヶ所、トイレが3ヶ所、立って自転車をこぐトレーニングルームにマッサージ室、大型テレビが5台などがあった。
こちらは我々が泊まった、クィーンサイズのベッド2ケと手前にエキストラベッドを用意した。

今度は左側が私で、右側に義母、妻はエキストラベッドだった。
もう一部屋はキングサイズのダブルベッドにエキストラベッドだった。



我々の風呂。周りは大理石で何種類ものジャグジーがあり、強弱も出来る。
しかし風呂は足の長い欧米人向けに出来ており、足の短い私には不向きで、風呂から上がる時は跨いで飛び降りる感覚だったと言うのはオーバーだろうか。

ここに入るには扉があり、その中に左側に広い洗面所2ヶ所と右側にすりガラスのドアがあるトイレ、シャワー室などがあり、真正面に風呂で仕切りのカーテンがないのである。
だから、入浴中にトイレに入ると丸見えだから落ち着かない。



義弟家族の風呂は、カーテンを開ければまるで露天風呂。夜景が見える。
何と贅沢なことだろう。某都知事だった○添さんが言った「我々が安い部屋に泊まるのはおかしいでしょ」の気持ちが良く解る。



夕食の為、Mホテル地階のレストラン街に向かったところ、またしても例の女児が飛んできて、甥の手を握った。小さいとは言え、うらやましかった。冗談に20年後お嫁さんに何て話も出た。

夕食は義母のたっての願いで「うどん」系が食べたいと、選んだのが、トーストボックス。
義母と私は新メニューの太めのビーフンのさっぱりめのスープ入り、他は相変わらず辛いスープだった。今回は皆軽めに済ませた。

この後はついに「カジノ」に潜入である。入るにパスポートがいる。
もの凄い人である、バカラ、ルーレット、ビリヤード、スロットなど何でもある。
写真撮影は禁止のお触れ書きがあり。

早速甥が見本を見せる為、ビデオポーカーをやった。残念だがすぐ負けた。次に簡単なビデオルーレットをお手本と示し、その後義弟や妻などもやったがほぼトントンだった。良い遊びだった。

私はバドミントンのM君を思い出し、潔癖症のためかやる気にならなかった。

明日の朝食として、簡単に済ます為スーパーでパン等を買った。信用があるのか、パンはほとんど日本語で書いてあり、私はブルーベリー味パンだった。



シンガポール最後の夜は23:30に寝た。