北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

他人の空似

2016-03-12 18:24:00 | 随想
カテゴリーを吉田兼好の「徒然草」をもじり、「随想・徒然竹」としてみた。
「つれづれぐさ」なら私は「つれづれだけ」と発音しようかなと思った。

誰でもそうであるように、「誰々に似ている」と言われると、うれしい時もあれば嫌だなと思う時がある。

私も過去、何人にも「誰々に似ている」と言われてきた。
面と向かって笑いながら言われると「ムッと」する時もある。

小学校3~4年の時だった。
当時の内閣総理大臣は岸信介(1898~1987)であったが、未だテレビが無い時代だ。
一般の人はラジオで聞くか、新聞の写真で見るしかない。

岸総理は1957(昭和32)年2月から1960(昭和35)年7月まで内閣総理大臣だったが、彼に私が似ていると自宅に来た爺さんが言っていた。私は嫌な気分はしなかった。

ところが、どこで噂が広がったのか知らないが、運動会での「かけっこ」の時に走っていたら何と「岸がんばれ」と声がしたのである。ハッキリと聞こえた。決して爺さんの声ではなく、若くハリのある透る声だった。あきらかに私に向かって発せられた言葉だ。

皆そう思っていたのかも知れない。丸刈りの坊主頭だったが似ていたのだろう。

尺八を始めて4年頃、青木鈴慕先生に連れられて演奏会に出た時、係りの人に「兄弟ですか?」と聞かれ、これには先生もビックリで笑っていた。演奏のスタイルは似るであろうが、顔はどうなんでしょう。

長じて会社で言われたのは「チャールズ皇太子」これは良い。

会社の旅行で若いアルバイトの女性に言われたのは「チンペイちゃん」これは知らなかったが、谷村新司のあだ名だった。少し頭が禿げ上がってきた頃だ。

自営業で新宿に通っている頃の総理大臣は「福田康夫」で私と同じ名(本名)である。
その彼に似ていると、中華店の主人が言うのである。またしても内閣総理大臣で悪い気はしない。

最近になって言われたのは、元中日の和田一浩選手。
元の会社の先輩で、新宿で会って時々飲む度に言われる。

残念ながら昨年引退したが、現役時のスポーツニュースでテレビに出る度に、私もバットを構えた横顔が似ていると思った。
HP掲載の写真をご覧になれば、似ていると思うかも知れない。
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