信州飯田では六年毎にお練りまつりがある。
寅年と申年であり、今年がちょうどその年に当たり3月25日(金)から26日(土)27日(日)の3日間行われ、私は行く予定である。
何故か公式HPなどは7年に一度と表示されていて、不思議に思っている。
詳しくは「飯田お練りまつり」で検索ください。
興味がある人は是非行ってもらいたい。「リニア」は未だだから、新宿から中央道の高速バスで行くのが一般的である。
飯田の人が言う飯田弁なら「飯田においなんよ」とか「飯田においでなんしょ」である。
何しろ6年に一回しか見られないのである。
諏訪の御柱まつりと同じ年だから覚えやすく、私は高校まで飯田で育ったのでその後も毎回のように行っている。
出し物はいろいろあるが、特にお薦めしたいのは約400年の歴史ある「東野大獅子」と「大名行列」である。
「東野大獅子」は日本一とも言われる、大きな獅子頭でそのスケールの大きさに圧倒される。
前回6年前は残念ながらデジカメを忘れて、携帯のカメラで撮影したが、いち早くお知らせしたいのでここにアップする。
ご所望した商店主らは、赤い毛氈に座って真正面で舞の演技を見られる。
宇天王のメンバーは12人の交代で行う。概ね背の高い人が選ばれるようだ。
小さい頃に見た時は怖くて仕方なかった。
宇天王が眠っている獅子を起こすところから始まる。
眠りから起こされた獅子は、大暴れをし手が付けられない状態になるが、宇天王の優美で華麗な舞と笛や太鼓の調べによって、勇壮豪快な獅子が段々と気を落ち着かせ、静かになって行く様が見ものである。
獅子頭の重さは30㌔で数十秒毎に交代で20人編成になっていて、それが4班に分かれている。重たいので長くは舞えないそうだ。
頭から屋台までの長さは25m、頭は総勢120人、笛60人、小太鼓・大太鼓38人、王様が12人、計230人の構成で役員も含むと320人体制だと言う。
舞は「大門口の舞」「まだかの舞」「道中起しの舞」「道中ばやし」がある。一気に駆け出したり、引っ込んだり、右に左に頭を振る演技であり、見学者に怪我はさせられないから、係りが座布団で防御するのも大変である。
小さい頃から、この笛太皷の曲が好きで、心が躍る。私の見学時は追っかけで、どこまでも付いて行くのである。
1998(平成10)年の長野冬季オリンピックの閉会式アトラクションに出演し、リンクの周りを演技したのだが、会場が広すぎて迫力が無かったのは残念だった。
「大名行列」は本町三丁目の出し物で、実は私の実家は本町三丁目なのである。
先頭から最後まで50m以上の長さの行列で、国宝級の槍や薙刀があるそうだ。
明治5年のお練りから参加して、行列、所作など往時を思い出させる。
行列は奴さんが「エーハリワサートーナー」「エーヨヤサートーナー」と歌うようにゆっくり進んで行く。
槍は結構重く、演技で投げ合うので受け取るのも大変である。
行列とは別に、ご所望により「傘」や「草履」の芸を披露する。
「草履」などは空高く上げたり、くるくる回しながら上げたり、随分工夫をしながら演技をしているが、中にはふざけて高く上げ過ぎて、屋根に上げてしまった事もある。
演技者は当然地元であり、皆素人であるから開催の1か月ぐらい前から、毎夜練習をしている。
実は悲しい思い出があるのだ。
私が中学1年生で妹は小学4年の時だった。私の住んでいた住所は大横町といって本町が縦の通りなら、大横町はクロスした横の通りだったが、飯田市の正式の表示は本町三丁目大横だった。そこで妹と出演した。
学生だから土日の2日間、笠や袴、草履などの衣裳をつけて鉄砲(布袋に入れた木の棒)をかついで出たが、雨に降られたり時には雪も舞うほど寒い時もあった。
ある時、昼になるとあらかじめ各家庭に事前に知らせてあるとおり、それぞれ弁当が届けられていた。順番に名前を呼ばれて皆うれしそうに、受け取っていたが、なかなか私は呼ばれなかった。
段々悲しくなりついに泣き出してしまった。どうやら我が家は連絡が漏れたらしい。
電話で連絡を受けた親父が、あわてて弁当を持参した。
妹と涙を流しながら、いただいたのであった。美味い訳がない。
「大名行列」を見るといつも思い出す、悲しい思い出である。
寅年と申年であり、今年がちょうどその年に当たり3月25日(金)から26日(土)27日(日)の3日間行われ、私は行く予定である。
何故か公式HPなどは7年に一度と表示されていて、不思議に思っている。
詳しくは「飯田お練りまつり」で検索ください。
興味がある人は是非行ってもらいたい。「リニア」は未だだから、新宿から中央道の高速バスで行くのが一般的である。
飯田の人が言う飯田弁なら「飯田においなんよ」とか「飯田においでなんしょ」である。
何しろ6年に一回しか見られないのである。
諏訪の御柱まつりと同じ年だから覚えやすく、私は高校まで飯田で育ったのでその後も毎回のように行っている。
出し物はいろいろあるが、特にお薦めしたいのは約400年の歴史ある「東野大獅子」と「大名行列」である。
「東野大獅子」は日本一とも言われる、大きな獅子頭でそのスケールの大きさに圧倒される。
前回6年前は残念ながらデジカメを忘れて、携帯のカメラで撮影したが、いち早くお知らせしたいのでここにアップする。
ご所望した商店主らは、赤い毛氈に座って真正面で舞の演技を見られる。
宇天王のメンバーは12人の交代で行う。概ね背の高い人が選ばれるようだ。
小さい頃に見た時は怖くて仕方なかった。
宇天王が眠っている獅子を起こすところから始まる。
眠りから起こされた獅子は、大暴れをし手が付けられない状態になるが、宇天王の優美で華麗な舞と笛や太鼓の調べによって、勇壮豪快な獅子が段々と気を落ち着かせ、静かになって行く様が見ものである。
獅子頭の重さは30㌔で数十秒毎に交代で20人編成になっていて、それが4班に分かれている。重たいので長くは舞えないそうだ。
頭から屋台までの長さは25m、頭は総勢120人、笛60人、小太鼓・大太鼓38人、王様が12人、計230人の構成で役員も含むと320人体制だと言う。
舞は「大門口の舞」「まだかの舞」「道中起しの舞」「道中ばやし」がある。一気に駆け出したり、引っ込んだり、右に左に頭を振る演技であり、見学者に怪我はさせられないから、係りが座布団で防御するのも大変である。
小さい頃から、この笛太皷の曲が好きで、心が躍る。私の見学時は追っかけで、どこまでも付いて行くのである。
1998(平成10)年の長野冬季オリンピックの閉会式アトラクションに出演し、リンクの周りを演技したのだが、会場が広すぎて迫力が無かったのは残念だった。
「大名行列」は本町三丁目の出し物で、実は私の実家は本町三丁目なのである。
先頭から最後まで50m以上の長さの行列で、国宝級の槍や薙刀があるそうだ。
明治5年のお練りから参加して、行列、所作など往時を思い出させる。
行列は奴さんが「エーハリワサートーナー」「エーヨヤサートーナー」と歌うようにゆっくり進んで行く。
槍は結構重く、演技で投げ合うので受け取るのも大変である。
行列とは別に、ご所望により「傘」や「草履」の芸を披露する。
「草履」などは空高く上げたり、くるくる回しながら上げたり、随分工夫をしながら演技をしているが、中にはふざけて高く上げ過ぎて、屋根に上げてしまった事もある。
演技者は当然地元であり、皆素人であるから開催の1か月ぐらい前から、毎夜練習をしている。
実は悲しい思い出があるのだ。
私が中学1年生で妹は小学4年の時だった。私の住んでいた住所は大横町といって本町が縦の通りなら、大横町はクロスした横の通りだったが、飯田市の正式の表示は本町三丁目大横だった。そこで妹と出演した。
学生だから土日の2日間、笠や袴、草履などの衣裳をつけて鉄砲(布袋に入れた木の棒)をかついで出たが、雨に降られたり時には雪も舞うほど寒い時もあった。
ある時、昼になるとあらかじめ各家庭に事前に知らせてあるとおり、それぞれ弁当が届けられていた。順番に名前を呼ばれて皆うれしそうに、受け取っていたが、なかなか私は呼ばれなかった。
段々悲しくなりついに泣き出してしまった。どうやら我が家は連絡が漏れたらしい。
電話で連絡を受けた親父が、あわてて弁当を持参した。
妹と涙を流しながら、いただいたのであった。美味い訳がない。
「大名行列」を見るといつも思い出す、悲しい思い出である。