八雲立つ風土記の丘へ行く
冷たい雨が降ってくる。取敢えず資料館へ入る。この辺りは「意宇(おう)」というらしい。出雲の国風土記は唯一ほとんどが残っていると言われる風土記だ。くにびき神話は記紀にはない。まともには知らずというより全然見たこともなく、よそから引っ張ってきた土地が島根半島になったとは知らなかった。越の国風土記などと云うのは断簡さえ残っていないのだが、高志の一部が持っていかれたなんてことは書いていないだろうな。
出雲国府址へ行く。風土記の丘から徒歩20分くらいだったが車で。この辺りには国衙関連の建物群、国分寺・国分尼寺、正倉跡なども出ている。ただ、これらの建物群は9世紀ごろまでしかたどれないようだ。中世には出雲の国の中心は、出雲大社のある出雲市の方へ移るようだ。道中、出雲一之宮熊野神社の看板があり、出雲一之宮は出雲大社だろうと怪訝だったのだが、そういうことらしい。平安末期ごろの状況はどうだったのだろう。
松江市街に入り、松江駅近くに泊まる。
大山から降りる。下りは行と道が違い、除雪も徹底しているし、ずっと走り良い。こちらがメインルートだったのに違いない。
山を降りるともう雪はない。
安来市和鋼博物館へ行く。何を象ったのか奇妙な屋根の建物。
まずは玄関ホールにあった足踏み式天秤鞴を試してみる。足がバタついた時、たたらを踏む、などとというがこのたたらに関係があるのか。
たたら製鉄、砂鉄から日本刀に欠かせない玉鋼を取り出す。とは言うもののこれは一大産業だ。製鉄というからにはそれなりの規模のものが想像されるが、実は砂鉄を取るのがこれほどの作業だとはイメージできていなかった。
鉄穴(かんな)流しは、山を崩し、水に流し、沈殿させ、また流す。地形が変わるほどの大土木工事に等しい。更に堅牢な炉を築き、高温に熱する。即ち燃料が要る。炭にする木材、広大な森林が必要だ。これを指揮するのは技術者としてのムラゲではない。もっと広範囲な支配者だ。
ヒッタイトはいち早く鉄器を用い、中東に覇を唱えたという。しかし、伐採のし過ぎで森林が枯渇、衰退したと昔読んだ気がする。
この大プロジェクトはどのような人に率いられて始まったのか。弥生時代の遺跡から鉄の遺物が出ることはある。地域によっては鉄製農機具が普及していたともいわれるが、大規模な製鉄の証拠はないのだろう。本格的鉄の生産は6世紀と言われるが、まさに古墳時代の後期であり、記紀の特異な感じをたたえる出雲神話もこの投影であるかもしれないが、我こそ鉄のルーラーだと示す古墳の主はいるのだろうか。
この博物館は技術的なところが詳しい。近代での角炉は韮山の反射炉に似ていた。
安来へ来れば町の中にどじょうを食べさせる店くらいいくつもあるかと思っていた。どうやらそういう物でもないらしく、観光会館のようなところでどじょうの小鍋を食べた。旨いものではなかった。おまけに安来のどじょうでは足らずに大分からの仕入れだそうだ。
ちょっと思ったのは安来節のドジョウ掬いの踊りは、どじょう取りではなく鉄穴流しではないのか。あの重労働をちょっとコミカルに笑い飛ばしてみたかった、とか。
久世ICから米子道を北上。溝口ICから下道、大山寺を目指す。
雪が舞う。その内冗談ではない雪になった。一応除雪はされているが、路面は見えない。前を行く車は明らかに雪道に慣れていない。牧場が広がっているようだ。それを過ぎるとモンベルの店があった。なるほど登山をする山なのだ。さらに行くとスキー場の駐車場に出た。この辺に車を置かざるを得ないのだが満杯だ。暖冬で雪不足でシーズン初めてのまともに営業できる土曜日だったそうだ。なんとか隅に車を置かせてもらい寺まで上がる。
大山寺、寛治8年(1094)京都に強訴したという。12世紀には僧兵3000人を抱える勢力になっている。大山寺縁起の成立は14世紀半ばとされるが、これに義親の乱の記載がある。
参道の長いスロープ、結構急だ。激しくはないが雪は降り続く。一応の足ごしらえはしているが、こんなことなら防水ズボンが要るのだった。参道脇は土産物屋や旅館だ。立派なつららが軒端に揃う。階段に掛かると雪かきをしている人がいる。おかげで上がれる。山門をくぐりまた登る。宝物館はあるが閉まっている。どっちにしろ大山寺縁起は焼失している。摸本が東大史料編纂所にあるだけだ。かなりの数の僧兵がいたはずだが、この雪では何がなんやら。
しかしここには佐々木高綱の等身大地蔵というのがあったのだ。思いがけないところで平家物語で馴染の名前に出くわし、すっかり喜んでしまう。地蔵は高綱が病を得た時に作ったという。但し現存のものは江戸末期のものだそうだ。
高綱は長門・備前の守護となり、安芸・周防・因幡・伯耆・出雲などの恩賞地を貰い中国地方一帯に関係ができた。乃木希典が佐々木家の子孫というのはたぶんその関係だ。
雪の石段をおっかなびっくり降り、スロープに掛かる。軽トラが一台ゆっくり上がってきた。やり過ごしてまた下る。
やれやれ、もう少し、と思った途端だった、つるつるの圧雪に見事にすってんころりん、したたかに尻を打ちつけた。
高名の木登りの教訓や如何、やすく思へば必ず落つと侍るらん・・・・